――てない その5 ―竜神―
後に"摂"氏は、表現する上で
<竜神>
という技法を多用する様になりました。
<竜神>は、<鯉の滝昇り>の変型(改良)版です。
"ジュネス・ルィェ"の技法を理解してから
――その本質を留めたまま
より大きな効果を目指す為に、"摂"市は、その技法を活用する様になったのです
――<普通モード>では満足できなかった、という理由もありましたが……。
しかし、問題は、程無くして、起こりました。
"摂"氏の文章を読む、
<センセイ>と呼ばれるヒト達
――そして、その周囲にいる手下達
はすべて、
<竜神>を使って書かれた文章を読むな否や、
「これは間違っている!!」
と断罪しました
――例外なく……
――何が行われているのか、理解さえせず。
それでも、"摂"氏はひとりひとりに
――極めて真摯に
尋ねるのです。
「どこが、どの様に、間違っているのですか?」
[そんな質問、無駄なのに………]
誰もが最初に返す事
――それは
「読みにくい(解りづらい)!!」
でした……。
[不思議な事に、改行を多用すると、
「読みにくい!!」
と文句をつけるヒトが、世の中には居るのですよね
――幾人かの作者は、<明らかに>、読者が読みやすいように段落を解体しているのに………
――そういうヒトに、改行の無いまま最後まで書き上げられた<文章の大きな塊>を読ませても、同じ意見を主張するのですけど……。
続いて、言い換えるヒトが現れます――
「会話文が足らないから、読みづらい!!」
――そういうヒトに、描写(地の文)が限りなく少ない戯曲を読ませると、やっぱり同じ意見……。
こんな<テンプレ>意見者は、これまで大勢いましたし、これからも大勢、生まれるのでしょう……
――というより、<テンプレ>という言葉の使い方があっているのか
――知りませんけど]
センセイ方は、続けて言うのです――
「フォームが間違っている!!」
[そう決めているのは誰でしょう?
――そのヒトの考える<正しい>事が、<絶対>であるのは、何故でしょう?]
「こんなモノは、受け入れられないに決まっている!!」
[受け入れないのは誰(そして何故)でしょうか?
――決められているというフォームを<逸脱>しても世界的に受け入れられている<例>を幾ら並べて相手に指摘しても、無駄なのですけど……]
「こんな例が過去にあるか、昔の文章から探して来い!!
――勉強不足!!」
[そういう発言をする人に、例をいくつ挙げて技巧の<効果>を説明してもはぐらかして、納得しないモノです
――"摂"氏はずっとしてきましたが、嫌な顔を返されるだけでした]
「こんなの、<足切り>されて終わりだ!!」
――そして、皆、そうしたのです。
「生意気だ!!」
「そんなにそれがしたけりゃ、家で、一人でしてろ!!」
「自己満!!」
――と付け加えて
――それらは極めて典型的でした。
それはまだ、"摂"氏が
<誰かとわかりあう事>
に希望を捨てていない時期のことでした。
[生前当時、"摂"氏の周囲にいた誰一人として、
<何故、"竜神"が間違っているのか>
<その、間違っているという"竜神"手法と工夫がもたらす効果と欠点>
それを具体的に説明づけられるヒトは、いませんでした
――いくら"摂"氏が説明しても。
「解りづらいから」
「下手糞」
というクリシェな理由以外、言葉は無いのです……。
"摂"氏がいくら説明しても、<ただ>、受け入れないのです――]
それでも一度だけ、"摂"氏はセンセイの指摘通りに、文章を直してみました
――<フツー>と呼ばれるモノに、レベルを落としたのです
――しかし、"摂"氏は気付くのです
相手は、
――<技巧が理解できなかった>
――だけではないのです
単なる<手段>に過ぎないその技巧を使わずに記された
<内容自体>
が理解出来ないのだ、
ということ――
そういえば、"摂"氏が追い出される前に、"摂"氏のセンセイであった"華"氏がした指摘のうち一つは、
「読点の位置が、間違っている!!」
でした。
["摂"氏が工夫して置いた点の位置が、気に食わなかった様です]
<竜神>は、<鯉の滝昇り>と比較しても、
<散文を書く上で単調になりがちな文章の作りを柔軟にし、流れを保持しながらも最も強調したい部分が明確になるモノ>
でした
――何度もここで主張している様に、散文はどうしても、隙間を最小限にして文字を並列させることで、全体から(俯瞰して)見ると単調に見えて、語の重要度の均一化が行われてしまうのです。
"摂"氏や"ジュネス・ルィェ"が使用した技は、それを避けるモノなのですが、多くのヒトにはわからないのでしょう
[<竜神>は、<鯉の滝昇り>と同じ程度に<規則性>がありますから、比較的<わかりやすい>のですがね……。
別に、混沌とした、<自動筆記>的行き当たりばったりで書かれた訳ではなく、きちんと見れば、手法がずっと等間隔で繰り返されていることが分かる様になっているのです。
それに、<鯉の滝昇り>や<竜神>よりも、もっと難しい技巧を使用して文章を韜晦させているヒトは、海外にたくさんいるのですが………。
例えば、アメリカには、有名どころが使う
――もう有名すぎて陳腐でもある
<意識の流れ>技法
を改良した技法を使い、語り手の意識の流れを
より如実に
示そうとしている例があります
――"摂"氏はその改良版技法を、
<土星の輪>
と呼んでいました
――それが使われた文章を読むと、あの有名な
<意識の流れ>
手法が、意識の流れでも何でもない事
――意識の流れとして、表すにはまだ足りない部分があった事
が、わかるのです。
その様な複雑な技巧を使う作家の作品は、現地でも、この国でも
――ほとんどのヒトが
読むことが出来ません
――あ、言い間違えました
素晴らしい方々は、誰も、そんな
「わかりにくい」
技巧を用いて書かれた作品を
<読まない>
のですね………
――敢えて]
――文学って、そういうモノ。




