――てない その2 ―ほい その1―
その視線こそ、"摂"氏が後で
――死ぬ前に…
"ジュネス・ルィェ"の事を思い出すと浮かぶ、典型的<視線>でした
――その視線だけが、パグの様に小首を傾げる癖のある
――人間である
"ルィェ"の瞳孔の
――多くの場合、<姦計>が常に底に澱んでいる様に見える色……
それが薄れる
――子犬の様な
――必死な朴訥
それを見せた、唯一の時でした。
[実際、死ぬ前にそう、言っていました……
――ああ、冷静になろうと努めているのに………
感情なんてモノ、なくなってしまえばいい……]
このエピソードの後で"ジュネス・ルィェ"のデータを見る
――という機会に遭遇した
時、"摂"氏はすぐに、その書き方が
「あの時言っていた……」
<鯉の滝昇り>
であるとわかった
――ということです…
――<<見ればその流れが、手に取る様にわかる>>
との事……。
因みに、それを読んでも
――『はじめての闘い』で受けた、あの………
――"ルィェ"の<へっぴり腰パンチ>
を受ける事で発生したあの……
――肉体的<痛み>
は少しも
――後付でも
無かったそうです。
[因みに、その手法の正式名称が「何か」は知りません。
――もしかしたら既に、<何処かの誰か>が<鯉の滝昇り>とは別の、<学術的>名称を与えているかもしれませんね
――知りませんけど。
これは
――世界的<現代詩>の分野では誰でも
――ラインブレイク(改行)の一手法として、
当たり前に使用している技術ですから……。
そして、ニッポン古来の
<ショードー>
という
<トラディッショナル・カリグラフィカル・スタディー>
の分野でも、当たり前の技術として、受け入れられていると思います
――知りませんけど
――ニッポンは文化的に進んでいますから、そのニッポン文化の影響を間接に受けた者に出来た事が、出来ていない筈がないのです
――間違っているのでしょうか?
少なくとも、<鯉の滝昇り>とは"ジュネス・ルィェ"がそう呼んでいただけです
――"ルィェ"は詩の分野に精通していた研究者ではありませんでしたし………
――勿論、<ショードー>も……
――どちらかと云えば、これは、数学者ゴエデルの生前未出版論文に記された理論に近い効果を目指した使った手法でしたから…。
しかし、今後の話を進める為にも、その名称を
――暫定的にでも
据え置く必要があるのです
――悪しからず。
具体的例を先に出しましょう。
①「むかしむかし――といっても何十年か前――ある処に二人、ひとがいました」
この①の文章を、
#<普通モード>で書かれた#
とします
――どこの馬の骨でも書く、フツーの手です。
②「むかしむかし
――といっても何十年か前――
ある処に二人、
ひとがいました」
という、この、②の書き方が#<鯉の滝昇り>#です。
ここでは、
<階段>
を工夫して作って、細部を詰めて載せるには
――あまりにも眠いので……
止めます
――そう、言い訳。




