はじめての闘い その53
――"ジュネス"邸の暑い夜は、依然として明けない様子です
――夜の名残は、<意識してから>が長い様です。
「そうですね
――定義なんて持ち出すべきではありませんでした。
定義なんてモノを持ち出さなくても、ヒトは最低限の相互理解を可能とするのでしょう
――勿論、そうすることが出来ないヒトもいるでしょうし、そうされないヒトもいるでしょう
――しかし、今、あなたとわたしの間では、ある程度、叶っている筈です。
自分で撒菱を設置しておきながら大変申し訳ありませんが、苦し紛れに出した<定義に関しての質問>は撤回します。
ところで、何の話をしていましたっけ?
――大蛇に絡まれたラオコーンの顔にある"K"は<苦痛>を表しているか? という話でしたっけ?
――あってます?
はっきりしている事は、"K"が目の前にあっても、ヒトはそれが=(イコール)<苦痛>であるかどうか断定することが難しい、という事です。
恐らく"K"が何を表しているかを探るには、それを取り巻く状況が助けとなるのだと思います。
文脈
というやつですね
――"文"に話は限りませんので、"テキスト"脈などがあるかもしれませんが……。
少なくとも、ラオコーンは蛇に撒きつかれています
――だからこそ、その顔にある"K"は<苦痛>である可能性を十分に孕んでいる対象だと云えるでしょう。
それ以上は断言が出来ない
――ただ、それだけです」
太腿の"防御層"に、"摂"氏の
<ちょこっとキック>
が触れた途端、"蜘蛛宇宙人"は
びくり
と再び身体を震わせ
――さらに縮こまりました
――が、"摂"氏の足が離れると、膨張し直しました
――少しだけ。
予想していた衝撃
――その大きさ
が、身体に来ないことを確認したのか
――間。
瞑っていた"蜘蛛宇宙人"は、
恐る恐る
相手の出方を横目で伺いました
――クリブの中の赤子の様に丸まって、
――まるで、親指をしゃぶっているかの様に、その手を口元に当てていました。
"摂"氏は相手を見下ろします
――見下しはしません。
身体を丸めたまま、相手は
呆然
と
"摂"氏の出方をうかがっています。
[俗に云う "蜘蛛宇宙人"は様子を見ている!! という状態です]
"摂"氏が跪きます
――それを見届けてから、"蜘蛛宇宙人"の警戒心がさらに和らぎました。
月が、"ジュネス邸"<離れ>の屋根に、隠れました
――それでも、相手を見るには十分な明るさです。
片膝をついた"摂"氏が、その指の背で、先程攻撃した"蜘蛛宇宙人"の"防御層"に触れます
――撫ではしません
ただ、触れるだけです。
"蜘蛛宇宙人"の考えが、伝わってきます。
「オレも、<ラオコーンが悲鳴を上げているか、そうではないか>なんて五億年くらい前に流行った議論(正確には約二百年位ですね)を出すべきじゃなかった
――撤回する
――それに<ラオコーン像が悲鳴を上げているかどうか>は、最初から問題ですらない事は、ショーペンハウア―が既に指摘している。
よって、ここで新たに問題として挙げる必要はもうないだろう」
「もうそろそろ、結論に向かってもいいですか?
――夜は長いですが、この闘いも長いので
――そろそろ眠くなってきました……」
"摂"氏は声帯を震わせて、音を空間に滲ませよう
――とはしませんでしたが、
"蜘蛛宇宙人"は、頷きました。
"摂"氏は欠伸を――
しました。




