はじめての闘い その3 ―"どれ" くりぇー
ダイニング・ルームに入ります。
たとえば眠る前、蚊取り線香をつけて
――当時はもう、蚊帳が人気の時代では無かった…
――それを広げるほどの広さも、"摂"氏のいえには無かった…
――部屋に、線香のニオイが籠りはじめても飛び続けて
――追うと、どこかに隠れ
――留まり
――窓を開けても部屋から逃げることをしない
――「無視する」と決意し、消灯して、ふて寝しても、己の命のあることを必死に伝える虫
――その羽音の様な、そんな
「バズ」(「ぶぅぅーん」)
がありました
――部屋内部で、乱反射していました。
音は、<大金持ち>の象徴が詰め込まれたダイニング・ルームに、妙に相応しく、思われました。
そして、音は、在り続けました。
しかし、"摂"氏は、煩わしいとは、思いませんでした。
それはまるで、羽音に悩まされながらも、
「かくり」
と我知らず眠りに落ちた後、朝になり、音がない事に気付き、掃き掃除をして部屋全体のゴミを中心に集めると、死骸として、その他大勢で出来た鼠色の<堆積>の中、黒い点として紛れ込んで個を主張している
――それを確認することで、煙に効果があったことが分かる
――その時、眠りを妨げていたあの音は、前晩の様に単に
「五月蠅い!」
<何か>ではなかったことを知る
――<ゴミ>の中、千切れたのか、羽根は見えず、
――糸くずの様な、手
――錠剤の様な、胴
そして、あの寝苦しさの原因が、具体的に
「バズ」
であったことを思い出す
――"摂"氏は、そんな気持ちで、立ったまま、ダイニング・ルームの「バズ」を聞いていました。
その「バズ」は、奥から、やって来ます。
"摂"氏は、
そろり、
そろり、
と近づきます。
横目で、長テーブルには、"ジュネス"の勉強道具が残されたままであることを確認します
――そして最後に復習しただろう事は、【歴史】で
――そのテキストの脇にあるグラスの氷は溶けきって
――炭酸も抜け切って
――椅子が一脚、床に倒れています。
そして、また「バズ」に意識が奪われます。
それは、
冷蔵庫か、
クーラーの室外機か何か、
――<機械の作動音>だと、"摂"氏は最初に、思いました。
しかし、それは、とつぜん言葉の形を取りました。
「う」
の音です。
唇を突き出して奥から出す
「う」
――それは、ヒトの喉から出る音であることはもう、間違いがありません。
少し聞いていると、
「お」
にも近い――そう思われます。
ただまだ、その音が何であるにしろ、<文>を構成するだけの複雑さを持たず
――まるで同じものだけを連続再生させることで用を為して、自分だけで満足している様子でした。
それは誰かに何か、特定の意味を伝えようとしているのか、
――単に威嚇をしているのか、
わからないところがありました。
そのうち、語尾に鼻音が混じり、鼾になりました
――と思った途端、それは、それではなくなりました。
はっきりとした、
「なぜ?」
「なぜ?」
「なんでなんだよ!?」
最後は叫び
――というより、<金切声>
でした。
そして、再び
「う」
その音だけの、呻りが続きました。
それは、"ジュネス"の声以外の、何者のモノでもありませんでした
――しかし、姿は見えません。
声に誘われ――不吉な兆し――"摂"氏はダイニング・ルームの奥へと進みます。




