英語で100点! その2
"摂"氏は答案用紙を持って、教師に話をしに行きました。
「もちろん、キミが間違っているからだよ!」と教師。
「どこがですか?」
教師は、"摂"氏がシェイクスピア的技法を使って書いた答え、すべてを
「間違っている!」
として、
「×」
を与えていました。
「スペルもめちゃくちゃ。文章も下手。もう一回、最初から学校をやり直した方がいいんじゃないかね?」
「でも…」
「言い訳をするな!」
"摂"氏は、去る前に、尋ねます。
「センセイは、シェイクスピアをお読みになったことが?」
「ああ、学生時代に――」
そして、
「それが?」
その時、"摂"氏は理解しました。
このヒトは、読んでいない――読んだとしても、翻訳文で読んでいる。
たとえ原文で読んだとしても、現代スペルで読んでいて、フォリオそのものを読んでいない
――または、読めない。
そうでなければ、これらの技法が分かる筈だ。
<<このヒトは、理解をしていないのだ>>
シェイクスピアのフォリオでは当たり前の「英語」が、この英語教師には<当たり前>では無いのだ。
このヒトは、イギリス人が誇るシェイクスピアを貶すことで、自分がイギリス人に
「お前の英語が間違っている!」
と非難の言葉を投げかけていることが、分かっていないのだ。
このヒトは、知識が足らないにも関わらず、英語の良し悪しを判断できると思っている己の増上慢を理解していない。
"摂"氏は、退場します。
クラスで、表彰式がありました。
皆が拍手をします。
"摂"氏は、見つめます。
教壇そばに立ち、はにかむ、英語のテストで<100点>を取った同級生
――英語を喋れないし、英語で読み書きが出来ない、テスト満点の、そのヒト。
もちろん、"100点"氏は、英語を喋れます――日常会話程度なら。
しかし、そのヒトは、学術的な議論を吹っ掛けられても、
「わかりません」
しか、英語で言えません
――謙虚で、大変素晴らしい答えですね
――<無知の知>という正直を表明するなんて。
もちろん、"100点"氏は、英語で本が読めますし、書けます
――簡単なものなら。
しかし、確実なことは、"100点"氏は、"摂"氏の読んでいる本は読めないし、"摂"氏の書くようには書けないのだ、ということ。
そして、"摂"氏の喋るようには、喋れないのです。
"摂"氏は理解しました。
「英語」のテストが100点であるということは、<英語が出来る>ことを何も証明していないということ。
テストの点数は、能力と「=」関係にない。
それでも、「英語」のテストの点数が高いことは、たったひとつのことを保証している
――それは、<教師の言うことをよく聞いている>ということ。
――先生が説明したことを、先生が望む通りに書くことが出来ている、ということ。
よく、
「あいつって、学校の勉強は出来るタイプだけど、賢くないよね」
という陰口属性の指摘を耳にします。
その指摘をするそのヒトは、自分が賢くないことを露呈させています
――本来、学校の勉強(テストの点)は、人間の賢さと、何も関係がないのですから。
学校の勉強が証明するものは、
「先生がいったことを、どれだけ先生の望む様に書けるか」
ですから。
つまり、"100点"を取る者は、単に
<いい子ちゃんです>
ということだけ。
技術――そんなモノ、必要ないのです。
工夫――教師が理解できる程度にレベルを落として。
"摂"氏は、"100点"氏に、心から拍手を送りました
――"100点"氏は、"摂"氏が絶対にしないことをした<素晴らしい>ヒトなのですから、賞賛に値するのです。
――英語で100点! の了――




