第6話 宝石の苺パフェ
ランチタイムのピークも過ぎた午後二時、僕は一つのことに気づいていた。
それは、イザーク氏の顔面効果でめちゃくちゃ女の子が来店してくるということ。
まさかまさか、彼のいけすかない美貌に絶大なる集客効果があったなんて。僕にも十分の一くらいでいいから分けてはくれないものか。やはり、この世は理不尽にできていた。
イザーク氏は依然として外から内装が窺えるガラスの大窓のそばの一等席に座っている。アイスバインを食べ終えたあとは読書にいそしんでいるようだ。
気になる本のタイトルは……『盆栽の極意』。渋すぎる題名に面食らった。
チャラいのだから、『メロ男の髪型♡』とか、『必ず堕とす~口説きテク百選~』とか、『パリピの教科書』とか、そんなチャラついたタイトルを読んでいそうなのに!
客席のテーブルの上にしれっと置かれている他の本も、『スパイスから作る本格カレー大全』とか、『蕎麦打ちのススメ』とか、『燻製をじっくり科学する』とか。……ふざけているのか。カレー蕎麦の燻製でも錬成するつもりなのか?
それはさておき、女性方が外の石畳通りを歩いていて、イザーク氏の姿を一目みとめると、なんと〈団栗亭〉に吸い寄せられてしまうのだ。
その効果というべきか、弊害というべきか、なんというべきか。
苺パフェの注文が今日はやたらと入る。ただいまの時間はおやつタイム午後三時の少し手前。肉類を控えたい女の子たちが頼むにはもってこいのメニューである。
ここは労働者向けの肉料理レストランだが、パフェを注文してちょっとおしゃべり……みたいなカフェじみた扱いになってきた。確かに店主ブルーノさんがやたら内装をかわいくしているし、今からでもおしゃれ路線に転向すべきだろうか?
「──ああっ!」
冷蔵庫を開けたブルーノさんが突然、狼狽の声をあげる。
「どうなさいました、ブルーノさん!」
「パフェに使う苺がなくなっちまったんだ! 買いに行かないともうねえや!」
「それはまずいですね……」
「頼む、ジル。追加の苺を買いに行ってくれないか? ついでに、あの客寄せパンダみたいなあんちゃんも一回外に連れ出してくれ! 店が回らん!」
「わ、分かりました……!」
……というわけである。
うるさい顔に似合わず窓際で黙々と読書していたイザーク氏。今読んでいるのは、『めくるめくシルク絨毯の世界』だ。
──くっそ、上流階級みたいなもんを読みやがって。
きっとこういう裏ビジネスで稼いでいるのだろう。
「イザークさん、いったん外に出ましょう」
「なんだい、休憩かい?」
イザーク氏は本に落としていた視線を僕へと投げかけた。
「おかげさまで休憩する暇がありませんよ。僕まで駆り出されて、硬いアイスを削り取る掬い器を持つ手がパンパンです。別に、あなたの顔面を削り取って大穴を開けてやってもいいんですよ」
「おかげさまでって、どういうこと?」
イザーク氏が筆で描いたような眉を怪訝にひそめる。
「周り、見てみてください」
それまで本に集中していたからか、彼は店内の異様な喧噪に気づいていなかったらしい。辺りを見回したイザーク氏は、男性労働者ではなく女性たちの顔がずらりと並ぶ様子を見て、顎に手をやると何やら考えるそぶりを見せた。
「これは……、いつものお店の様子なのかい?」
「そう見えますか?」
イザーク氏はぶんぶんと首を雑に振った。
「いいや?」
「ちょっと外に出ますよ、客寄せパンダ」
「ふむ、目立ちすぎたか……」
──本当にディッシャーで穴開けたろか。
「あらあら? お兄さんが席を立ったわ?」
「えっ? 彼を見に来たのに、もういなくなっちゃうの?」
「そんなぁ、おいしそうなハンサムがいると思ったのにぃ!」
彼女らが嬉しそうな悲鳴をあげると、これ見よがしにイザーク氏が破廉恥なウィンクを飛ばす。
「フラウたち、ちょっと待っててね☆」
「「「きゃーっ!!」」」
僕は問答無用でイザーク氏を連行した。女の子たちの黄色いアンサンブルを背に浴びて、いったん店を出る。
仕事着ではなく私服に着替えて買いに行く。仕事着は万が一にも汚せない。
石畳通りを三ブロック越えた先に、苺が売っている青果店がある。そこへと一路を走る。
突然、子供のように石を蹴つまずいてすっころんでしまった。顔まで打たないよう、とっさに手をついて軽く受け身を取ったものの、手にはざらりと冷たい石の感触があった。次に、膝に熱い痛み。
イザーク氏の目の前で転んだ恥ずかしさのあまり、顔から火が出そうになった。それに最悪だ……、ズボンに穴が開いた。
「大丈夫かい、ジルくんっ」
顔をしかめて砂埃を手で払っていると、イザーク氏の慌てた声が背後から追ってきた。そこでようやく、彼よりずっと先を走っていたのだと、はっとした。
「もう、イザークさんのせいですからねっ」
羞恥を隠すようにイザーク氏を鋭く睨みつければ、彼は逞しい長身をしぼませるようにすくめた。
「ご、ごめん……、調子に乗りすぎたみたいだ」
「嘘です。転んだのはどう考えても僕のしくじりですから、気にしないで」
「そうか」
うなずいたイザーク氏は、ふいにこう言い出した。
「きみは先に店へ戻っていなさい。代わりにおれが買ってくるから」
なんだかそれは、チャラつきを感じさせない真面目くさった声だった。教師か父親か、そんなどことなく威厳のある声で言った。何かがおかしい。でも僕はそれをはっきりと言語化できなかった。
「店名義で領収書を切るの、忘れないでくださいよ!」
イザーク氏が後ろ手をひらひらと振って道の先を颯爽と進んでいく姿を、僕はただ茫然と見送ることしかできなくて。
♢
なにはともあれ、イザーク氏は無事に苺を買いおおせた。ブルーノさんからは盛大なる感謝の声。僕は膝を擦りむいてしまったことをブルーノさんに黙っておくことにした。お店が賑わったせいで怪我したなんて知られたら、なんだか申し訳なかった。
バックヤードでイザーク氏が何か言いたげな顔をしている。釈然としていない顔だ。
「ジルくん、今日はもう無茶するべきじゃない」
「お店の都合っていう不可侵条約があるんですよ」
「それはその通りだが、その膝で給仕できるのかい?」
「だから──痛っ」
ズボンの布と傷が擦れて、びりっと激しく痛んだ。手洗い蛇口の清潔な水で傷をすすぐ。冷たい水が傷に沁みて、また痛い。
「はあ……」
つい溜め息が出た。濡れた膝から水が滴って、石床に黒々とした染みを描いていく。カバンの中を探り、絆創膏を取り出した。
「ジルくん、絆創膏、貼るよ」
「いいです、自分でできますから」
「いいから」
僕は諦めて椅子に座り、血の滲む膝をイザーク氏に向けた。
「痛いの、痛いの、飛んでけ☆」
余計に具合の悪くなりそうな呪文と共に、意外と丁寧な手つきで絆創膏が貼られた。
「ブルーノさんがね、『店の奢りにするからパフェ食ってけ』って言ってたよ。『怪我させた詫びだ』って。よかったね、ジルくん」
「ブルーノさん、気づいて……、いや、言ったな、あんた」
僕はイザーク氏のけろりとした顔を睨みかけたが、それをやめて、ほっと息をついた。
「アイスクリームがあなたの澄ました顔の代わりに削られてくれるそうです。親切なパフェに感謝していただきましょう」
さて、バックヤードで食べる苺パフェのお味はいかに。
大きくてつやつやの苺が、カスタードクリームのキャラメリゼの上で、カラット数のすごい紅玉みたいに輝いている。
ここの店員だというのに、苺パフェを食べたのは初めてだった。
だって、値段は一コルンもする。僕の時給そのまんまなのだ。
これを食べたら人生の時間が無駄になる──そんな気がして一度も手を出していなかった代物なのだ。
鶴の首のように細長い銀色のパフェスプーンで、表面のキャラメリゼを慎重に割っていく。ぱきり、と小さな手ごたえがあって飴色の蓋が割れる。
すると、ひんやりとしたパフェグラスの中で地層のように幾重にも折り重なっていたアイスクリームと、苺スライスと、苺ソースと、ナッツと、クラッシュクッキーが姿を現すのだ。
その紅い鉱脈が埋まった地層をうっかり崩さないように、上からパフェスプーンで丁寧に掘削していく。
苺シャーベットを掘り当てた。そろそろと掬って口に運んでみる。氷の冷たさのあとに、甘酸っぱさが弾けた。シャリッとした歯触り。つぶつぶの果肉も入っている。ざくざくのナッツとクッキーの歯ごたえが、ときどき変奏を加える。
ついにブリュレ部分を口にする。カスタードクリームの卵とミルクのこっくりとしたコク。
そこでまた、すっきりした苺シャーベットを味わう。
シャリシャリ、とろり。
二つの異なる食感がハーモニーを創り出していく。
最後に、大切に取っておいた頂点の苺を口に放り込んだ。その途端、口いっぱいに弾けるのは、華やかな香りと芳醇な果汁。
──これはきっと、宝石を食べている。
それは、自分の一時間という宝石。たまには労働を捧げたっていいんじゃないかと思える、そんな宝石。
バックヤードから店内をこっそり見てみると、また人だかりができている。再び苺がなくなってしまうのも、あとは時間の問題だけかもしれない。




