↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/18

第5話 永久機関アイスバイン

 蒲公英(レーヴェンツァーン)市街区画の石畳通りに面した二階建ての小さなレストラン。


 外壁は瀟洒な赤煉瓦と白漆喰の造りが目印。クリーム色とビリジアンの二色でストライプに染め抜かれた庇(ひさし)布(ぬの)が春の麗らかな陽光を受け、風をはらんで揺れている。


 高級感あるウォルナット材の木扉には真鍮の店名プレートが下がっていた。そこには〈団栗亭(アイヒェルン)〉とレタリングが彫られている。ドングリを大切そうに抱えたリスのレリーフ付き。


 入り口の黒板立てには、店主の白チョークの達筆で本日のランチメニューが書かれている。


──豚スネ肉の煮込み(アイスバイン)。


 開店は午前十一時からだが、それより早い朝九時に出勤した僕。給仕(ウェイター)とはいえ、仕込みの手伝いや掃除など、開店前の準備が多々ある。


 そして頼んでもいないのにイザーク氏は勝手についてきた。もちろん、お屋敷にいたときの貴公子然としたシルクの装いではなく、質素な綿のシャツとスラックスだ。相変わらず胸元は第二ボタンまで開襟されているものの。


 とにかく店内に入ろう。従業員用の裏口、飾り気のない扉を開けた。


「おはようございます、ブルーノさん」


「おはようさん、ジル。今日もよろしくな!」


 がはは、と豪快に笑うようにして気立てのいい挨拶を返してくれるのは、この〈団栗亭(アイヒェルン)〉店主のブルーノさん。髪に白いものが交じった中年のいかつい男性だが、実はこの店のメルヘンチックな装飾は全て彼の趣味である。


 そのブルーノさんの視線が僕の顔から逸れた。背後に立っていたイザーク氏の偉容を見るや、目をぱちくりとさせる。


「なあジル。そのあんちゃんは?」


「ああ、あの、その。なんと言いますか……大家さん、かな?」


 僕は口ごもる。マフィアの……と正直に言うことは口が裂けてもできなかったし、マフィアだと人前で言わないことも約束だったし。


「なんだ、手伝ってくれるとでも言うんか」


「そういうわけでもないみたいです。……冷やかし?」


「応援、と訂正してもらおうか、ジルくん」


 やや文句ありげなイザーク氏の声が背後から飛んできた。僕は素早く振り向いてイザーク氏を一喝する。


「イザークさんは黙っていてくださいっ」


「へえ、イザークってのか。それにしても……でっけえな、あんた」


 イザーク氏の体格にブルーノさんが感心の声をあげると、途端にイザーク氏は厚い胸を反らして得意げにほざく。


「ふふっ、ありがとう。ジルくんにお似合いのいい男でしょう。……あと、いつもジルくんがお世話になってます」


 おまえは一体何様だよ、まだ二日目の付き合いだよ、と僕は物申したいことの一つや二つあったのだが、さっさと仕事を始めねば、と正気に戻った。すぐさま本題に入る。


「あの、ブルーノさん。折り入ってお願いがあるのですが」


「おう、なんだ、ジル。……まあ粗方予想はつくがな」


「はい。……イザークさんをお店においてもいいでしょうか。端っこの隅っこでいいので」


「まあ、それは構わんがなあ」


 すると、ブルーノさんが怪訝な顔を僕へと寄せてきた。そのまま耳打ちされる。


「……なあジル」


「はい」


「あのあんちゃん、体格からして普段から相当いいもん食ってるだろ。もしかして貴族のボンボンなんじゃねえか」


 僕は慌ててブルーノさんに囁き返した。


「まさか! ちょっと裕福みたいですがね」


「ならいいんだが。無礼があったら困るからよう……」


 ブルーノさんはそこで言葉を切って僕から顔を離した。


「お二人、相談は終わったかな?」


 内緒話が終わったのを見計らって声をかけてきたイザーク氏にぴしゃりと言う。


「イザークさんはバックヤードの隅っこでおとなしくしていることっ。絶対にホールに出てこないでください!」


「おいジル」


 そこにブルーノさんの声が重なる。


「なんでしょう」


「あんちゃんを窓際のいっちゃんいい席に案内してやんな。やたら顔がいいしデカいから、窓際にいれば目立つだろ」


「えっ、なんで──」


 すぐさま反論を作ろうとすると、イザーク氏はぽんと僕の肩を軽く叩いてしみじみこう言う。


「いい店主殿じゃないかあ、ジルくん」


 僕は初めてイザーク氏の顔をはっきりと睨みつけた。


 ♢


 イザークは白金(プラチナ)万年筆を軽やかに走らせる。〝上司〟へ報告書をしたためていた。


 店内は明るく、〝任務〟遂行をするには見通しがいい。南向きの大きな掃き出しガラス窓。イザークはやはり大窓に面したいちばんいい席に案内されていた。


 各テーブルにはクロスがひかれ、とろりとしたガラスの一輪挿しには今が見頃を迎えているチューリップの花が生けられて、店内を華やかに彩っている。


 付け合わせ(ガロニ)のブロッコリーが茹でられているのか、キッチンからは独特の青い匂いがしていた。


────────────────────


・任務二日目、現在朝九時半。


 前日の夕食に対象と私はビーフシチューの残りをいただく。


・朝五時半、対象起床。


 深夜、対象の就寝状態を確認した内では不眠症状をみとめられず。


・朝六時、朝食。


 対象の栄養状態が充分でないと私が判断したため、今後も肉類供給などで不足を補っていく。


・朝九時、対象出勤。


 私も職場のレストランに同行して、万が一の逃走経路や対象の交友関係、店の客層などを確認するようつとめるもの。


────────────────────


 さて、対象が仕事着にドレスアップした。白シャツにチャコールのベスト。腰には臙脂の前掛け。後ろで一つに結わえた漆黒の髪。屋敷ではくたびれて疲れた様子だったのが、今は水を与えられた野菜のようにしゃきりとしている。


「ジルくん、かっこいいよ、イケメン!」


 イザークの没個性の賛辞を浴びせられて、げえ、という表情を隠しもしないジル。ついに開店時間となり、完璧な営業スマイルを浮かべたジルは、来店したお客たちに「いらっしゃいませ」と挨拶をしている。


「もう一度聞きますけど、なんで来たんですか」


 ジルが小声で文句をこぼした。


「うん? せっかくだし同居人の職場は気になるじゃん? かわいい女の子に会えるかもだし? あれ、迷惑だった?」


 イザークが軽口を叩いてみると、ジルは苦虫を百匹まとめて噛み潰したような顔になった。


「迷惑ではないですが、でも、お客様にナンパしたら、そのときは責任をもって僕があなたを殺します」


「りょーかいりょーかい」


 ジルは肩で軽く息をついた。


「さて、招かれざるお客様、ご注文はいかがなさいますか」


 メモを手に注文を取るジル。イザークはすでに決めていたメニューを告げる。


「本日のランチ──アイスバインを」


 アイスバインの値段は三コルン。先ほどここの求人チラシをちらりと見た。時給一コルンぴったりだった。対象の三時間の労働が、このアイスバインになるのだ。


「付け合わせの発酵キャベツ(ザワークラウト)は十フェイで大盛りにできますが、それはいかがいたしましょう」


 百フェイが一コルン。すなわち、ザワークラウト換算なら六分の労働で大盛りにできるということ。かわいらしいような、物悲しいような。イザークは困ったように微笑む。


「大盛りで。それと、黒ビールも」


「ジョッキサイズはいかがなさいますか」


「大ジョッキが一コルンか……。じゃあ大で」


「かしこまりました」


 まずはジル自らがカウンターのビアサーバーで黒ビールを大きなガラスジョッキに注いで、イザークのテーブルに運んできた。


「お先に、黒ビール大ジョッキでございます」


「ありがとう」


 イザークは短く礼を告げた。


 適温に冷やされたガラスジョッキ。そこになみなみと注がれた黒ビール。まだ少し寒い春でも、暖炉の焚かれた暖かな店内で飲めば、それはもう甘露なのだった。


 昼から酒を飲むなんて、不真面目なのか贅沢なのか。


 きめ細やかなクリーム色の泡の下には黒琥珀の輝きが満ちている。イザークはさっそく一口あおってみることにした。たちまち冷たいほろ苦さが渇いた喉を清々しく通り抜けていく。


「くう──っ」


 ひとりでに小さな感嘆の声が漏れてしまう。


 これは、焙煎麦芽(ローストモルト)の春風が、きっと山に雪解けを運んできたのだ。カカオのように芳醇なコクと香りが追いかけてくる。


(んー、これはいい)


 ほどなくして、ジルが料理のプレートを運んできた。


「お待たせいたしました。本日のランチ、アイスバインでございます」


 まずは目で味わうことにする。なめらかな白磁の大皿の上、豪快に鎮座するのは大きな肉の塊だ。表面は飴色になるまで長時間煮込まれて、中は品のいい桜色。添えられた淡金色のザワークラウトはこんもり山を成して、頂には飾りのクレソンが緑を主張している。


 イザークはカトラリーを手に取った。慎重に肉へとナイフを入れる。


(……お)


 ひとたび肉にナイフを差し込めば、すうっと抵抗なくナイフを受け入れた。そして、口に運べば、舌の上で塩辛さと肉の旨味がまろやかに調和する。


(狩猟採集時代から、やはり労働の対価には肉が効くと相場が決まっている)


 ここで付け合わせのザワークラウトもつまもう。乳酸発酵由来の爽やかな酸味が口を駆け抜け、言うまでもなく肉と合うのだ。まるで二つは運命の赤い糸で結ばれた恋人のよう。


 そこに黒ビールを追いかけるように流し込めば──ますますのシャングリラ。


 食べる。


 ひたすらに食べる。


 食べることに没頭する。


 食べるために生きている。


 いや、食べるから生きているのか……。


 とにかく、そんな哲学的なことすら考えたくなってしまうくらいには、旨い。


 肉、キャベツ、酒、肉、キャベツ、酒……。


 この円環が止まらない。次の一口を求めるたび、味が切り替わるたび。いちいち新鮮にうまい。イザークも生まれ直すような錯覚に陥ってしまう。


(……止まらない、これは)


 これは……そう、この世に実在する永久機関というやつなのだ。


「──お会計は四コルン十フェイのはずですが」


「五コルンだ。受け取ってくれ」


 会計のとき、イザークが多めに渡すと。


「失礼ながら、当店ではチップを受け取っておりません」


 ジルは断固としておつりを受け取らなかった。店もそうだが、ジル自身がそういう人間なのだろう。


「おいしかったよ、ごちそうさま、ジルくん」


 代わりといってはなんだが、精一杯の笑顔で感謝を述べると、ジルは複雑そうな表情を顔に描いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。