第17話 王のパレード
「それで、国王陛下が……父が、ここの名物アイスバインを食べたいって言ってるんです。……行幸する、と」
「なにぃ!? おれが出向くのではなく、陛下がやってくる!?」
瀟洒な煉瓦と漆喰の壁。クリームとビリジアンの庇布。石畳通りに面したレストラン〈団栗亭〉は、前代未聞の震撼に押し包まれていた。
「ブルーノさん、落ち着いてくださいっ」
「落ち着けるか! これをどう落ち着けと!?」
僕はただ事実を伝えただけだった。伝えた事実の方に問題があったとしか言いようがない。ブルーノさんにとっては眼球が飛び出て転がり落ちる事実であったのだ……。
「別に、国王陛下はブルーノさんを取って食ったりしませんから!」
「ジルくんは国王陛下を何だと思ってるんだい?」
と、一緒にいたブラウベーレ公が苦笑いした。
「……鬼? マフィアのドン?」
「まあ、あながち間違いではないかもしれないね」
と、彼が愉快そうに受ける。
「やっぱり、やべえじゃねえか!」
ブルーノさんが狼狽の叫びをあげる。僕は、ついでに……と付け加える。
「僕、王太子になります」
「──はああああああ!?」
ブルーノさんは目をひん剥いて、そのまま卒倒してもんどりうって、そしてその場に見事な着地を決めそうなくらい驚いている。
「というわけで、最後のお仕事をさせてください!」
勢いよくお辞儀してみせると、目を白黒させていたブルーノさんがようやく僕の顔へと焦点を戻した。
「わ、分かったがよう……、いやいやいや、承知いたしました、ジルヴェスター殿下」
「ブルーノさん、そのままでいいですよ。ジル、で」
僕はブルーノさんに水を注いだグラスを渡した。受け取ったブルーノさんがそれを喉を鳴らして飲んで、ぷはあと息をつく。
──それから一週間は、店がてんやわんやの大騒ぎに。
今回供されるメニュー、警備体制、店員の動線、その他の使用物品、確認確認の次から次へと大嵐。
国王アルトゥール三世が行幸してくるにあたって、王城から馬車の隊列が組まれるという。それも、下々の人間にはなかなかお目にかかれない豪華なやつだ。豪華なやつ、としか表現できない。だって僕は元は下々の者だし。まだ見てもいないし。とにもかくにも、お祭りみたいなものだ。
一週間後は、人払いのために表向き臨時の店休日として、完全貸切体制で王を迎えることとなった。
まず、警備隊長を任された近衛騎士が馬を飛ばしてきた。
「これから陛下がご来店なさいます」
そんな分かりきっていることを伝えるためだけにやってきた彼は、近衛騎士団の立派な制服に、それも銀の飾緒で輝かしく飾られた最礼装に身を包んでいる。今回の行幸の本気度が少し窺い知れる。
王の行列を一目見ようとする蒲公英市街区画の人々がすでにこの石畳通りへ押し寄せていた。三日前からパレードがあると知らされていたので、すでにその知らせが新聞の一面を飾るほどだった。
ただでさえ王の庶子ジルヴェスターの存在が大きく報道されていたというのに、その王子がこれから立太子予定で、さらに蒲公英の小さな労働者向けレストランで給仕をしていたのだから、人々は驚くという表現すらも控えめなくらいで。
バックヤードに待機していたブルーノさんは、ここだけ冷凍室になったみたいに小刻みに震えていた。僕がいつものようにグラスに水を注いで差し出すと、ブルーノさんは受け取って一息に飲み干した。
「ありがとよ、ジル」
「いえいえ」
「はあ、よし、気合入れるしかねえな」
ブルーノさんは、にかっと笑う。
「はいっ」
王の行列は誰もが煌びやかとしか形容できなかった。だって、下々の者だし。
一番先頭の近衛騎士の馬に続き、王の侍従を乗せた馬車が続き、また近衛騎士の馬を挟んでから、王の豪華絢爛な馬車がようやくやってくる回りくどさだ。
馬車の外装は東方の黒漆で塗装され、金箔で王国の守護獣であるレーヴェが装飾され、部品の金具はたいてい金そのものでできているか、金メッキが施されている次第。
そんなこんなで、王がご来店した。
「ようこそおいでくださいました、国王陛下……」
ブルーノさんがアルトゥール王の前に進み出て挨拶する。そのまま床に跪こうとするブルーノさんを王は手で制止した。
「よいよい、堅苦しくされるのは困る」
「で、ですが……」
ブルーノさんが言い淀んだので、僕はその肩に軽く手を置いた。
「大丈夫ですよ、何も陛下はブルーノさんを取って食ったりしませんから」
「私、なんだと思われてるの?」
と、王の困惑の声があった。
さて、僕の出番だ。白シャツ。チャコールのベスト。臙脂の前掛け。後ろで一つに結わえた黒髪。給仕の姿だ。
だって、王の目的は、料理を楽しむのもそうだが、もっと動機は単純だ。息子の職場見学だ。
「アイスバインを頼む。そして、黒ビールも」
王は僕に注文を告げる。メモを取った僕は背筋を正してから丁重に一礼した。
「かしこまりました、陛下」
王は予定通りアイスバインを注文した。この〈団栗亭〉の名物。すうっとナイフを通すやわらかな豚スネ肉は、脂が少なく、肉本来の味わいを楽しめる逸品である。
添えられたザワークラウトの爽やかな酸味はアイスバインの塩味にハーモニーを加え、そこに、黒ビールが芳醇な風味を運んでくる。さながら、麦畑を駆け抜ける一陣の風。
「これは……!」
王のカトラリーを持つ手が、進む、進む。
王だって、一人の人間だ。
そんな単純なことを分からせてくる味わいなのだ。
「くう──!」
王だって、昼から酒が飲みたいときもある。
「で、なんでイザークさんもちゃっかり相伴にあずかってるんですか」
ブラウベーレ公も王の隣でアイスバインを口にしていたのである。
「え、陛下が、いいよって仰るから……」
「そなた、普段ジルヴェスターとそのような話し方をしておるのだな」
じとりと王がブラウベーレ公を見た。ひどく冷めた目で。
「はっ、陛下。今もなおジルヴェスター殿下との友人関係は継続しておりますゆえ」
王にそう返事する彼だが、ここで僕も眉をひそめる。
「イザークさん、陛下とはそんなカタブツみたいな話し方するんですか? ……キモっ」
「ひどいこと言わないでよ、泣いちゃうよジルくん」
「「うわあ……」」
王と僕は親子そろってブラウベーレ公にドン引きしてしまった。それはともかく、王は〈団栗亭〉のアイスバインを王室御用達にする、と驚くべきことを宣言した。
「あ、そういえば……」
ふいに僕は呟く。
「どうしたんだい、ジルくん」
「今すごくどうでもいいことを思ったんですけどね」
「うん」
「今ここで、ブルーノさんが毒でも盛ったら、この国が滅びますよね」
国王がいる。第一王子がいる。継承次点の公爵もいる。
「…………」
しーん、とレストランホールが静まり返る。
「とんでもねえことを言わねえでくれ! いや、仰いますな、ジルヴェスター殿下!」
ブルーノさんが半ば悲鳴に近い声をあげると、ブラウベーレ公がゲラゲラと笑って、脇腹の傷にさわったのか「痛って!」と一つ呻いた。




