最終話 ごちそうさまでした
もう鬱陶しいほどに、セミが鳴いている。子供ならセミ取りができるのだけれど、残念ながら僕は二十五歳の王太子殿下だ。いや、二十五歳でも、王太子でも、セミ取りをしたって別に構わないのだろうけれど。
あの行幸事件からというもの、イザークさんの怪我はすっかり治ってしまった。彼の恐ろしいほどの回復速度で、抜糸した頃にはもういつもの懸垂をしていたのだから、やっぱりバケモンだ。筋肉バカとも言う。
そんな筋肉バカとは品性と知性とがまったくもって異なる僕の方はというと、色々と生活が激変した。本格的に王太子となるための勉強が詰め込まれ、脳みそがパンクするかと思った。語学、教養、マナー、会話術、ダンス……。挙げればキリがないが、とにかく未知の世界だったので、知的好奇心を満たしてくれるものとして捉えれば、悪くはなかった。
──そして、今日は式当日。
死ぬほど長い式典だった立太子式が終わり、僕は晴れて王太子になった。季節はもう夏なのだ。気怠いほどの暑さ。王城の庭園でも羽化したセミが鳴いているのだ。そんな暑苦しい日に式典を執り行った。いや、日程調整するにも、各国が集まれるあたたかい季節がいいとかで。いやいやいや、理屈は分かるけどさあ。
やたら重かった宝冠を頭から外すと、首がだいぶ楽になった。礼装も脱いで、脱いで、脱ぐ。これこそセミの羽化みたいなんじゃないかって思ったんだ。イザークさんが「似合ってないねえ~」って揶揄ってきたものだから非常にむかついた。僕だってそう思いますよバーカ。
もういいや。白の木綿シャツに着替えてしまおう。これは元々、平民時代から着ていたやつなんだけど、今はすっかり作業着と化してしまっている。
傍付きの侍従がシャツのくたびれ具合に眉をひそめたけど、一応ちゃんと洗濯して清潔を保ってるんだからね? だってこれから僕がやるのは料理なんだから清潔なのは当たり前でしょ。
それはさておき、その上からトレードマークの帆布のエプロンを巻けば、何の変哲もない給仕青年に元通りだ。本当に……平民給仕に戻れてしまえばよかったんだけどね。まあ、そうもいかない世の中で。理不尽だよね。
場所は王城東棟のキッチンだ。広くて涼しくて快適。それに……材料、道具、設備、なんでも揃ってる。料理人にとっては夢みたいな場所でね。ここを僕が独り占めできるなんて天国みたいだよ。料理人たちは、王子からここを使いたいって最初に頼まれたとき、それはもう驚いていたよ。
そんなこんなで、鼻歌交じりに食料品庫から材料を取り出していく。ちょっとスキップだってしているかもしれない。式典の堅苦しい重圧から解放されたんだもの。カタブツモードのイザークさんみたいな空気からね。
王室御用達の最高級薄力粉に、魔法みたいなベーキングパウダー。鶏舎の産みたて卵に、北方産の牛乳と南方産のバニラエッセンス。お砂糖も忘れてはいけない。
そして、冷蔵庫から取り出したるは、本日の主役ブルーベリー。
王城の果樹園ではブルーベリーの木が何本も植わっている。これ、毎年ジャムやコンポートにして国王陛下の食卓に上るのだそうだ。
王が召し上がるのなら、王太子が食べたっていいよね。だから、問答無用で収穫したよ。国王陛下も手伝わせた。いや、自分から「手伝いたい」って名乗り出たかも。
夏のぎらつく陽射しの下で、麦わら帽子をかぶってブルーベリーを摘む国王親子。どこかの農家さんみたいだったよ。侍従長は相変わらずオロオロしていて。まあ、親子の親睦会的な?
陛下は麦わら帽子がよく似合ってらっしゃった。本当に農家のおっちゃんみたいで。そっちの方がもしかしたら向いてるかもしれない。
あ、イザークさん、あんたに繊細作業は無理ですよ。力仕事ならできそうだけど。
さて、あらかじめ粉はふるっておきましょうね。あとでやると面倒だからさ。
おっきなボウルに卵とお砂糖と少しの油を垂らして、泡だて器で混ぜていく。ほら、イザークさんの出番ですよー。かき混ぜるだけならできるでしょ。バカみたいな力で勢い余ってこぼすなよ。フリじゃないよ。違うっつってんだろうが。
……お、その調子、その調子。やればできる子じゃないですか。
とろとろになったら牛乳とバニラエッセンスを加えましょう。それも混ぜたら、ふるっておいた粉を投入。お日様を浴びて綺麗な藍色に染まったブルーベリーたちもここで入れるよ。ブルーベリーをつまみ食いしたいですって? 今も? 昨日も致死量食ったじゃないですか、あんた。食い意地だけはありますよね、ほんと。
まあいいや。そうしたら、かき混ぜすぎないよう、さっくりと混ぜてくださいね。そうそう、生地を持ち上げて落とすようにするんです。こら、イザークさん、粉がダマにならなくなる程度でいいって言ってるでしょう! ……あ? ダマになっていないかどうかを入念に確認している? もういいですって。だから、もういいって! あーもう。ほんとこいつ。しつこい。
熱したフライパンに油を薄くひいて、玉杓子で生地を中心だけに、とろーっと落とそう。あ、イザークさん、ここからは僕がやりますよ。あなたに任せると黒焦げの物体Xができるからシャレになんないよ。
そうだな、生地の落し方は、なんというかこう、すいーっと、手際よく、キレよく。これは慣れるしかないね。落としたところに時間が経ってからもう一度落としちゃいけないよ。焼けたときに変な模様ができちゃうからね。
え、イザークさんもやってみたい? お、やるか。やらかしてみるか。
あ……そうそう! 上手いじゃん! イザークさん、これからあんたのメインウェポンは玉杓子にするといいよ。イザークさんなら玉杓子で人を殺せるよ。……いや、マジで。
さあ、ベーキングパウダーの魔法の力(実際には化学現象)で生地がぷつぷつしてくるまで待とう。何事も忍耐は肝心。それで、表面のぷつぷつが弾けて、生地の水分が少なくなってきたら、フライ返しで一息にひっくり返そう。
イザークさん、ほら、一気にやるんだ。そう、いつもみたいに相手の息の根を一度で仕留めるイメージ。
……そう! 上手い! 天才! やっぱり、やればできるじゃん。
もう片面も焼いて、完成だよ。
うーん、ブルーベリーの甘酸っぱい匂いがキッチン中にむんむんしてるね。
え、バニラアイス? 当たり前じゃんイザークさん。熱々パンケーキにはアイスクリームって相場が決まってんです。ほら、冷凍庫から持ってきてー。
で、どうでもいい話なんですけど、ベーキングパウダーとブルーベリーの色素が混ざると、たまに食欲減退する青になることありますよねー。これはまったくの余談です。
イザークさん、お帰りなさーい。……なになに? 立太子式が終わるなり速攻で料理してるって?
だって緊張したんですもん。甘いものが欲しくなるじゃないですか。元はと言えば、イザークさんが王太子になってたら僕はこんな苦労しなかったんですからね? そうだよ。……そうだよ!
……ああっ! あんただけアイスクリームがでかいの二個なんだけど!?
え、なに? 運んできた人間の特権? はいはい、偉い偉い。偉すぎるから王太子に今からでもなってくれていいんだよー。
ったく、ようやくパンケーキにありつけるよ。あんたと話してるとパンケーキは溶けちゃうし、アイスは冷めちゃうし。……え、今の逆だった? うっせ! あ、ほんとうるせえ!
…………。うるさいよ。何も言うなよ。
あー、美味しいなー、パンケーキ。溶けたアイスがじゅわあって染みてて。ブルーベリーが口の中で水鉄砲みたいに弾けてさ。
は? このパンケーキ、ふわふわで甘酸っぱくて、ジルくんみたいだね……? 都合が悪くなったら話題を変えやがって。しかも言い方が絶妙に気持ち悪いんですよ。
……うるさいよ。褒めてるんじゃないよ。ああ、いいよ、これからも食えよ。食っていいよ。食べさせてやるよ。王太子命令だよ。
え、あんたの仕事? 僕の摂政でしょ。……違う? どういうことですか。
なんですか、その〝専属味見係〟って。
……はあ?
僕が自炊して、あんたはそれを食べるだけ?
一番美味しいところをかっさらうのが、あんたのやること?
まあ、確かに政だって同じことですけど。
……あのさ。
僕が国民の前でいい顔するお飾りの王で、あんたが裏で枢機を差配する黒幕ってことでしょ。そう、覚えたてなんですよ、この単語。あ、使い方、合ってる? ならいいんですけどね。
イザークさんってさあ……。
はあ、まあ、いいです。マフィアのドンはどのみち僕ですので。イザークさんは鉄砲玉です。あんたは武器におたまと水鉄砲でも持ってろ。
それにしても、本当にいい笑顔で食べますね、あんた。
え? 僕、ほっぺたにアイスクリームついてました? ……あ、ちょ、自分でぬぐえるから。お母さんか、あんたは。って、その指を舐めるんじゃないよ。
……破廉恥!
何とは言わんけれど破廉恥なんだよ、あんた!
あーもう、あんたを一人にしておけない。幼児みたいで見てらんない。僕がいなくなったら、どんな恥ずかしいことするか分からないんだもん。だから、死ぬまでこき使ってやる。誓って、そうしてやるからな……!
だから、なんでそんなに嬉しそうなんだよ!!!!
あー、はいはい。
おかわり、どうぞ。
もうあんた、五枚目なんですけど。




