第15話 世界に一つだけの仕事
彼が目を覚ましてから五日後、僕は特段やることもないので彼の看病ばかりしていた。いや、実際には立太子に先立つ各種方面のなんとやらが山積していたのだろうが、そんなことは彼の看病の前には優先順位がガクリと下がる。まるで彼が大切な家族であることを、行動で認めてしまうのが癪ではあったものの。
だから、彼が僕に何も告げず城を抜け出そうとしたとき、僕は烈火のごとく怒った。なぜここまで怒りたくなるのか自分でよく分かっていないほどだった。
僕は王城東棟の玄関ホールで彼と言い争っていた。周りには侍従とか近衛騎士とか文官とかが忙しなく往来しているのだが、皆が足を止めて、こちらをぎょっとした表情で見つめてから、一様に何も見なかった顔になって立ち去っていく。
「勝手に外出しようだなんて、どんな了見ですかイザークさん! 僕に黙って逃げるつもりだったでしょう!」
彼はわざとらしく肩をすくめて、にやりと不敵に笑ってみせる。
「よし。ゲームをしよう、ジルくん」
と、彼はそのまま訳の分からないことを言った。「はあ?」僕は手の甲で涙を乱雑に拭ってから顔を上げた。
「ゲーム?」
「そう、ゲーム。きみが、おれの次の仕事を見事当ててみせたなら、おれの正体を教えてあげる。勝利褒賞になってあげる。おれがニンジンってこと。……どう?」
彼は口元に意味深な笑みをひらめかせた。
「わけ、わかんな」
また、視界がぼやける。彼の綺麗なはずの顔が今はぐちゃぐちゃにぼやけて、一段とブサイクに見えた。
「きみが見事勝ったら、その暁にはおれの人生を全部あげるよ。……ほら、当ててみせて?」
「分かるわけ、ないじゃないですか! それに、その怪我で……、っ、どこへ逃げようというんですか」
分かっている。彼は医務官からようやく動いていい許可が出たばかりの身であることを。まだ抜糸も終えていないことを。だというのにこいつは、怪我した身体を引きずって一体どこへ逃げようというんだ。
「もう僕を……っ、一人に、するなっ」
本当はこいつと一緒にいたい自分が心のどこかに潜んでいることが許せなかっただけで、そんなことを正直に白状しようとしている自分も……、許せなかっただけで。
「ジルくん」
「なんですか」
「きみが『ずっと僕のそばにいて』って泣いてお願いしてくれたら大ヒントを教えてあげる」
「くそっ……、ずっと僕のそばにいてよイザークさん! ……っ、当たり前だろうがっ」
「言うのはやっ」
と、彼は目を丸くしていたがそれも一瞬で、すぐにいやらしく細める。
「ジルくんのなっさけなーい泣き顔に免じて、約束通り大大大ヒントをあげる」
彼は、また唇を動かした。
「それはね……世界に一つだけの仕事」
そのヒントは、あまりに核心すぎた。核心すぎて、答えにヒントなしで辿りつけなかった僕自身をボコボコに殴りたいほどだった。
「……僕の補佐官」
「はやっ」
と、彼は数度まばたきして。
「正解☆」
と、いつもの腹立たしいウィンクを飛ばした。
「ぶっ飛ばすぞ、てめえ……」
こいつ、最初から僕を揶揄って遊んでいやがったな。……殺す。殺したあとにもう一度、殺す。
「おれはただ、屋敷に荷物を取りに行くだけだったんだよ」
広い肩をすくめて、そんな呆れるほど単純な種明かしをしてみせる彼だった。
「くそ……!」
その分厚い胸をぽかりと軽く殴る。三回くらいは殴った。全力で殴らないのがせめてもの情けと思え。
「それなら僕も連れて行ってくださいよ!」
「え、なんで?」
高すぎる位置にある彼の顔を首を痛くしながら仰ぎ見れば、間抜けな表情が視界に映る。
「いや、僕も荷物あるでしょうが」
「あ、そっか」
「バカかあんたは! ……ああ、でも、その身体じゃ、もしなにかあったとき、僕の身代わりになれませんもんね」
ブラウベーレ公は皮肉っぽく笑んだ。
「……まったく。憎まれ口だけは達者なんだからジルくんは。もしそんなことが本当にあったら、ジルくん、さっきみたいにボロ泣きするくせに」
「もっ、掘り返すなっ、このっ」
「……ジルくん」
そして彼は、まじまじとこちらを見つめてきた。いつか港町で見た珊瑚礁みたいな、吸い込まれるような碧の瞳。
「なんですか」
「ジルくんの代わりなんかどこにもいない。だからもうおれは……きみの身代わりにはなれないよ」
「は? なに当たり前のこと言ってるんだ、あんた」
彼は唇を軽く尖らせる。
「ジルくん顔あかーい」
「うっせ! 一生涯、僕の腰巾着にしてやるから覚悟しろよ!」
「やったー」
なんか全部こいつの目論見通りみたいで、すっげえむかつく。
「ジルくん。ちなみにシャツのボタンがずれてるよ。そんなに急いでおれのことを追いかけてきたんだねえ」
「──なっ」
また頬に熱く血潮が昇っていく。
「ほら、おれがやってあげるから。ジルくんは俺がいないとダメダメなんだもん」
彼の手が胸元に伸びて、勝手にボタンを直し始めた。その手つきが妙に優しくて。それが僕のよく知らない〝母〟をどこか思わせて。
「くっ……」
殺意が芽生えるものの、歯を食い縛って屈辱をこらえる。……僕、こいつに頼っても、いいのかな。
「で、結局あなたは何者なんです?」
「おれは、きみだった」
「……えっ」
「きみの、影武者」




