第12話 ナツメグを致死量ぶち込んで
膠で粘りついたような瞼の隙間に朝の光が入り込んで、瞼の裏を血の色に染めていた。その眩しさに、閉じた瞼の上から手をかざした。泥のような眠りからようやく覚めた。
昨夜は身体に酒を流し込みすぎて眠りというより昏睡していた。今、僕の身体は全身が鉛になったように重苦しい。
ガラス窓の外、目の痛くなるような蒼穹を見上げる。すでに初夏の太陽は中天高く昇っていた。朝というか昼という時間の方がまったく正しい時間だ。
「謁見に遅刻した!? ……まあいっか」
初登城で夜もすがら酒を飲み惰眠をむさぼって王との謁見をすっぽかしたひよっこ王子。そんな自分に対して嫌悪感が湧きそうなものだ。が、別に僕が望んで登城したわけではなかったし、むしろ登城させた人間の方にだいぶ問題があったし、そんな彼らに対するこれは当てつけだったので、そういう意味では僕が望んだことだった。
「……しんど」
身体の上にかかっていた薄織のブランケットを跳ね除けて、むくりと芋虫のようにおぼつかない半身を起こす。二日酔いで頭痛がひどい。寝間着にも着替えずそのままソファに寝ころんだせいで、せっかく見立ててもらった服装はしわくちゃだ。
テーブルの上の水差しを取るついでに、辺りをきょろきょろと見回した。
「あれ……イザークさんは」
ブラウベーレ公の姿は少なくとも部屋の中にはなかった。一緒に酒を浴びるようにしていた彼はどこへ行ってしまったのか。昨夜の記憶を忘却の彼方から引っ張り出してみるものの、どうも玉虫色だ。
僕は……タマムシのイモムシだ。
彼はやたら酒を勧めてきた。つい何時間か前までは散々酒で満たされていたグラスに水差しの水を雑に注ぐ。それを喉を鳴らして飲む。ただの水だというのに、寝起きの渇きと頭痛では甘露に思える。
部屋をのそのそ出るなり、外で警備にあたっていた近衛騎士にブラウベーレ公の行方を尋ねると、なにか言いづらそうにしていたので、僕は何事かをますます尋ねた。
「ブラウベーレ公爵閣下は……、その……、地下牢に繋がれていまして」
僕は首を傾げた──というより、座らぬ首が自重に耐えきれずぐにゃりと曲がった。
「えっ……地下牢?」
「はい。ブラウベーレ閣下は今朝に国王陛下の寝所へ剣を持って押し入り、畏れ多くも陛下を弑そうと現行犯をなさいました由……」
「はあ?」
──彼が、父王を、殺しかけた?
帯びていた酒気を一瞬で吹き飛ばして、僕は近衛騎士に頼んでブラウベーレ公の拘束されている地下牢に案内してもらった。
地下牢の空気はじめじめと湿って黴臭いものを想像していたが、天井には小さな通気口が設けられていて、案外乾いた空気をしている。それでも石段を下りれば、明かりは手持ちのランタンと廊下の壁に設置された油灯だけなので薄暗く、陽も当たらないので肌寒く、不健康な環境だった。
ジジッとランタンの灯心が一声鳴いたのが聞こえたほど静まり返っている。僕は自分の靴音を耳にしながら石廊下を歩いた。
ブラウベーレ公の牢は廊下の突き当たり、一番奥まった場所にあった。
分厚い扉は罪人が出られないよう樫板と鉄板からなり、廊下側から看守が中の様子を窺い知る唯一の窓にも太い鉄格子が嵌められている。
創作物だと往々にして看守に賄賂の金貨を投げて囚人と会話する場面があるが、今回は現実であったし、僕が王子であるからか、そのような面倒くさい順序は挟まれなかった。
蝶番が軋み、看守によって扉が開けられる。そろりと足を踏み入れた。
「イザークさん……!」
声をかけると、薄闇の中で黒々とした人影が身じろいだ。人影にランタンをかざす。その頼りない明かりに照らされてまず映ったのは、彼のシャツの脇腹あたり。赤黒いものがべっとりと付着している。……血だと分かるより早く、身がすくんだ。
「イザークさん!」
全身が凍りつきそうなのをこらえるように、声を張りあげる。
「やあ……、ジルくん」
石床に座り込んだ彼がひらりと手を振った。その手には手枷が嵌められていて、鎖の擦れる金属音を立てた。太い鎖の先は石壁に深々と穿たれた鉄杭へ繋がっている。
怪我をしているはずなのに、彼はへらりと笑った。僕が何度も見てきた、不謹慎な笑みだ。
「おれはもう、王太子にならなくて済んだよ。……万歳万歳」
彼は吐き捨てた。
「そもそもなれる器じゃなかったさ」
へらり。
「きみに王太子をなすりつけてやった」
へらへらり。
「おれは自由だ」
そんなことすら宣う。
「イザークさん、その怪我は」
「おれの育てた優秀すぎる部下たちと、まともな斬り合いになってね。殺しはしないよう手加減したら、おれが斬られた」
と、彼は乾いた笑いをこぼす。
「きみの父上は、残念なことに、無事だよ」
とも、こぼした。
「イザークさん、どうして……」
「最後にジルくん、なんかうまいもの、食べさせてよ」
「……これから初めて父王陛下に謁見する王太子の大事な初仕事があるので無理ですね」
「ジルくんは、優しいね」
彼は完璧に僕の皮肉を理解した。父王に彼の助命嘆願をすると。
「うるせえ」
おかしい。目頭に熱いものがほとばしる。視界がぼやけてきた。……むかつく。
地下牢を飛び出して訳も分からず迎賓館の厨房を借りた。様々に取り揃えられた食材の中から、鮮やかな緑につやつやしたピーマンを掴み取る。ピーマンのヘタの周りを切り取るようにして中の種を抜き取る。
次に肉ダネ。この間のロールキャベツのように、挽き肉と炒めタマネギをぶち込んで、ナツメグをぶち込む。むかつくあまり、致死量のナツメグをぶち込みたくなった。それこそナツメグを大量摂取したときみたいな重篤な眩暈がする。
卵も割り入れて、怒りのままに肉ダネを捏ねる。無心になって捏ねる。背後で近衛騎士やら侍従やらが狼狽えているが、知ったものか。
肉ダネができたらピーマンにぶち込む。
これはまるで、僕だ。
種族の繁栄のために実らせた大事な種子の代わりに挽き肉を詰められた哀れなピーマン。
バカがやらかしたせいで、これから繰り上げで望まないお飾りの王にさせられる、僕みたいだ。
ピーマンの張りぼて、肉人形。
鍋にトマト缶もぶち込んで、味を調えるためにコンソメ塩胡椒もぶち込んで、ぶち込んだら、あとは煮る。
「──できましたよ、ピーマンの肉詰めトマト煮込み」
最後に、牢屋にぶち込まれている彼の元へ、料理を載せた盆を持って戻る。
彼は短く、「ありがとう」とだけ言って受け取ると、品のない様子でフォークを掴み取って、ピーマンにずぶりと突き立てた。大口で齧りついて、リスのように頬を膨らませて咀嚼する。ごくんと飲み込んで、また一口。それを繰り返して、ピーマンが全てなくなると、ようやくこんなことを言った。
「ジルくん、なかなか素敵な最後の晩餐だったよ、ありがとう」
そして彼の頬をできる限りの力でひっぱたいた。彼がその碧い目を落っことしそうなほど見張る。宝石を嵌め込んだような美しい瞳が、潤んで揺れていた。
「死ねっ!」
「矛盾してるよ、ジルくん」
王に掛け合う。王に謝る。王に嘆願する。どうかこの度し難い莫迦野郎の命を救ってください……、と。




