第11話 その願い、叶えてあげる
迎賓館の玄関ホールは壮麗なばかり。壁一面のガラスは鏡面仕上げになっており、ただでさえ浩々としているホールの奥行きをさらに拡大させている。煌びやかなクリスタルガラスのシャンデリアから視線をその上へと滑らせれば、天井には金タイルを細かに砕いたモザイクで王家の象徴である黄金の獅子を勇壮に描いていた。
出迎えに現れた老年の侍従は侍従長だと名乗った。白髪交じりの灰髪を撫でつけ、ロングテール・ジャケットをまとった腰を僕の前で丁重に折る。
「ようこそおいでくださいました、ジルヴェスター殿下」
「あの、ジルヴェスターって、もしかして僕のことですか」
眉をひそめて尋ねると、侍従長は、ああ……、と目を伏せて一人で納得した顔ぶりになってから、僕に視線を戻した。
「殿下は確か、『ジル・ヴェスト』とお名乗りになっていましたね。ええ、あなた様の本当の御名は『ジルヴェスター殿下』であらせられるのですよ」
──ジル・ヴェスト。
──ジルヴェスター。
種明かしされてみれば、なんとも単純な手品だった。今まで微塵たりとも気づけなかった自らの迂闊さを呪いたくなるくらいだった。いや、この場合は自分が王の子だなんて気づけという方がどうかしている……。
「ジルくん、自分自身について理解できたかな?」
隣に立つブラウベーレ公の鬱陶しい微笑みに僕は彼の顔から視線を外した。
「すでに嫌というほど理解しましたよ。これ以上は知りたくなくて逆にわくわくしますよ」
「そいつは重畳」
いつも通りの揶揄が飛んできたところで、侍従長が僕の姿を上から下まで観察し、なにか考え込んでいる。
「ジルヴェスター殿下」
「なんでしょう」
「いえ、我が国の王子ともあろう御方がそのような……、質素なご格好をされていますのは、なんと申し上げますか、臣下として痛切極まりなく……」
ああ……、この格好が遠回しに批判されているのだ。
僕はうつむくように自分の姿を今一度見た。一番くたくたでない木綿の白シャツ。一応ヘンリックさんにアイロンはかけてもらった。膝や尻が擦り切れていない、こちらも木綿の黒ズボン。これは前に〈団栗亭〉のおつかいで転んで破ったズボンの代わりにブラウベーレ公が購入してくれたもの。一、二度しか着ていないほとんど新品だ。
逆に言えばこの服装しかなく、侍従長の言い様はあまりに理不尽ではないか。
「…………」
僕──ジルヴェスターが二の句を継げず黙りこくっていると、その苦い空気を察したのか、ブラウベーレ公は侍従長にやんわり苦笑した。
「ジルヴェスター殿下にふさわしい恰好をそなたらが見繕ってやってくれ」
「承知いたしました」
侍従長は、そばに控えていた若い侍従に目配せした。若い侍従がうなずくように目礼して音もなく走り去っていく。すると、侍従長は僕用の客室へと案内すると言った。
部屋に到着するなり、先ほどの侍従が着替えの包みを持って現れた。着替えはわざわざシルクのつやつやした薄布に包まれている。包みを受け取って着替えることにした。侍従が着替えの手伝いを申し出たが、僕はそれは断った。
包みをほどくと、中から新しい服装が現れる。
ブラウベーレ公が毎日着ていたようなフリルをあしらったシルクのドレスシャツ。同じくシルクのベスト。その上から羽織るジャケット。スマート・ズボンもぴったり寸法通り。
こうして僕は王子様らしくなった。中身はひょろひょろの豆苗みたいだというのに。
与えられた客室──もう内装に関しては説明するまでもないほど豪奢──を出ると、ブラウベーレ公が待ち構えていて、こちらに声をかけてきた。
「よ、ジルくん。ちゃんと王子様らしくなったじゃん。馬子にも衣裳ってやつ?」
「それ褒めてます?」
「褒めているとも」
「イザークさんって本当にお偉い方だったんですね」
彼もきっちりと正装に着替えていた。普段は誘うように第二まで開けられている襟元のボタンが今はきっちり閉じられている。その下にある不埒な胸元を見なくて済むと思うと、僕の心はいくらか平穏に保たれる。
「ジルくん、おれ、王太子だよ?」
「は?」
……もう、何がなにやら。
「説明してください」
ブラウベーレ公は今までの経緯を語った。
──今までずっと王命によって密かに僕の護衛をしていたこと。
──大家で通すはずが、マフィアだと呼ばれたのでその演技に乗ったこと。
──マフィアのドンとはむろん僕の父、国王陛下であること。
──国王陛下は僕の手料理を食べたがったこと。
──ブラウベーレ公も王子であること。
──それで、なんやかんやあって王位が彼に回ってきたこと。
「へえ、繰り返すようですが、イザークさんは王太子殿下になるってことですか」
「そう」
「イザークさん、飲みませんか」
僕は客室の片隅にある高級酒瓶の棚にもう目をつけていた。
「そうだね」
と、彼が短くうなずく。
「飲まないとやってられんわ、こんなこと」
「そうだね」
僕は自室に彼と酒瓶たちを伴って引きこもることにした。ワイン、ウィスキー、ブランデー、ビール、リキュール。琥珀やら紅やら黒檀やら、様々な色の酒が次々と空になっていく。
王家の秘蔵だとか、目玉が飛び出るほどの高級酒の数々だとか、王子の体裁だとか、明朝には父王と初の対面だとか、今日王子になったばかりの僕はそんなこと知らない。知っていようが無視している。
もったいぶって顔を見せなかった父のことなんて知るものか。今さら会いたいだなんて都合が良すぎる。病気の母を見殺しにしたくせに。
「ジルくん、お父上が憎いか?」
オンザロックのグラスを傾けていたブラウベーレ公のなんとも形容しがたい横顔が、僕の印象に焼きついた。
「僕、父になんか会いたくないです。……父のせいで、母は孤独に死にました。僕は、父が憎い」
「……そうか、そうだよね」
と、彼はグラスの中のウィスキーを飲み干して、ふと呟く。
──じゃあ、その願い、叶えてあげる。
酒気に溺れた僕が最後に見たのは、ブラウベーレ公のけぶるような甘ったるい笑み。どろりと糊のようにまとわりつく眠気にはどうしても勝てず、僕は意識を闇に放り出すしかなかった。




