第十話 白のあと
次の区画へ。
残りの円筒を順に引き抜く。出し惜しみ、躊躇はない。
投擲―――そして閃光。
再び投擲―――また白く染まる。
閉鎖空間で閃光がまた弾けた。白い光が部屋を塗り潰し、影を消していく。
茂は間を置かず侵入した。視線だけが走る。
家具の裏から壁際、天井、床へ。
動くものはない。
気配も、残っていない。
床の奥に、動かない小さな塊と倒れたままの人影があった。
保育士だった。
呼吸は浅い。短く吐く音だけが続いている。
視線は合わない。焦点はすでに崩れている。
長くは持たないだろう。
救助優先度――低。
その足元に動かない園児。姿勢だけが途中で止まっていた。
次の区画。足を止めず同じ処理を繰り返す。
閃光。
白く潰れた視界が、少しずつ戻っていく。
最後の区画は静寂ではなかった。
かすかな呼吸音。押し潰されたような嗚咽。
部屋の奥で保育士が壁際に崩れていた。
耳を押さえ、視線が定まっていない。
呼吸が乱れていた。
吸おうとしても、うまく入らない。 肺が悪いわけじゃない。
身体が、息の仕方を忘れている。
その足元。
小さな塊がいくつも転がっていた。
泣き声はない。
口は開いているが音にならない。
鼓膜。
平衡感覚。
そのあたりがまとめて狂ってるのか?たぶん。
一人の園児が床を掻く。意味のない動き。
もう一人は硬直したまま、痙攣だけが断続的に走っていた。
保育士が何かを言おうとするも声にならない。
口の周りの空気だけが震える。
茂は一瞬だけ視線を置いた。生きてはいる。正常ではないが。
動くものはない。
全区画。
――クリア。
視線を切り、そのまま窓に向かって歩き出した。
窓際で手が躊躇なくロックへ伸びる。
固定具も解除する。金属が短く鳴り、冷たい空気が室内へ流れ込んだ。
閃光に焼かれた空間に現実の温度が戻る。
窓の向こう、現場指揮所から視線が一斉に集まる。
茂の腕が上がりそれが振られた。
――数秒の沈黙。
無線が騒がしくなる。
確認と復唱が飛び交う。
終わったと分かった瞬間、一部の隊員の肩に力が入る。
指揮所の空気が変わる。
無線が鳴る「突入」の一言。
声は低い。
正門に張られた規制線の外で、スマホが一斉に掲げられる。
盾列が前へ出て入口を押さえ、隊が一気に侵入する。
靴音が廊下に連なり号令が飛ぶ。
「一班、右区画」「二班、左区画」
「保育室1クリア」「保育室2クリア」「事務室、異常なし」
確認の声が奥へ進む。
数分して、誰かが声を上げた。
「全区画確認。安全確保完了」
室内の空気が一気に騒がしくなる。
続いて、救急隊が現場へ滑り込む。担架が運び込まれ、医療バッグが床に置かれた。
隊員たちが膝をつく。
「自発呼吸、あり!」
ペンライトで瞳孔を確認する。
ガーゼで血を押さえ、頸部を固定する。
周囲は、処置の音で満たされていった。嗚咽。短い悲鳴。誰かの名前を呼ぶ声。
茂は一度だけそちらを見た。
何も感じない。
害獣は終わった。ここから先は、警察と救護の仕事だ。
警察、救急、照合班――それぞれの役割に分かれる。
それを確認してから、茂は歩き出した。
玄関へ向かう途中、警官の盾が横を抜け、担架が脇を通る。
救急隊員の腕が肩に触れかける。茂は足を止めない。開放された玄関を抜け、敷地内へ出る。
警官と救急が行き交う。
その先、正門に張られた黄色い規制線に、報道と保護者、
野次馬が押し寄せていた。
太陽は高く影が足元に落ちている。
スポーツグラスを外し視線を上げた。白い光が落ちてきて、瞼が反射で細まる。
さっきまでの光とは違う。
あれは、刺す光だった。視界を奪うための、瞬間だけの白い光。
今の光は動かない。逃げない。ただそこにある。
茂は数秒、空を見たまま立つ。
目が慣れていく。
太陽の光だ。
―――戻ってきた。
それだけを、身体が先に理解する。バラクラバはまだ被ったまま。
規制線の向こうに、濃い人の密度。こちらに視線が集まってくる。
茂は一瞬だけ考える。
外す理由はある。だが、外す必要はない。
顎下にかけた指を止め、そのまま下ろす。風は布越しに通る。
顔は隠れたまま。誰かがカメラを向ける。映るのは、匿名の覆面だけだ。
規制線の内側では、警官と救急が行き交い、無線の応答が重なっていた。
白いテントの下では、田村警部補が片手で端末を押さえながら指示を飛ばしている。
「一班、奥を確認。救急導線確保。規制線拡張」
茂は一瞬だけ規制線の外へ目を向けた。
報道。保護者。見物人。無数の視線。
すぐに田村へ視線を戻し、指揮所へ向かった。




