9.再「君を愛するつもりはない」
そして冒頭に戻る。
ジークフリートが城から戻って来たのは、結局夜も更けてからだった。
「妃殿下は部屋でお待ちくださいね」
アンナが責任を持って連れて来るからと、ディアーヌは早々に夫婦の寝室にと一人押し込まれていた。
(これはやっぱり、そうよね?)
寝台に一人腰掛けて待つ間、どうしても不安が付き纏う。
そもそも初めて顔を合わせてから、三日間。ディアーヌはジークフリートと言葉すらほとんど交わしていなかった。
しかし婚姻の儀は既に済ませているのだ。
今宵が初夜で間違いない。
「ふぅ……」
緊張するなというほうが無理だ。
嫌ではない。勿論。
そもそもこの婚姻は同盟がかかっている。
何としてもやり遂げなくてはならない。
ただ。
出来ればあとほんの少しだけ、ジークフリートがディアーヌに、興味を持ってくれたらいいのにとは思う。
二人、無言のまま過ごすのは辛すぎる。
そう考えていた時、部屋の扉が開く音がして意識が逸れた。
扉に視線を向けると、入って来たのは当然夜着姿のジークフリートで。
ディアーヌは震える両手を必死に握り締めて、近づく夫をじっと待ったのだった。
◇
「君を愛するつもりはない」
いきなりこれである。
いくら何でも、それはない。
しかも愛妾がいるわけでも、男性が恋愛対象なわけでも無いという。
理由はディアーヌがまだ『子ども』だから。
いや、正確には『未成年』だからか。
正直どっちだっていい。
こちらも生半可な覚悟で嫁いで来てはいないのだ。
ディアーヌはあまり感情の起伏の無い人間だ。
穏やかな性格だと、ずっと言われて育って来た。
感情の赴くままに生きる母とは似ていないと。
実際、自分でもずっとそう思ってきた。
けれどどうだろうか。
(すっごく、すっごく!悲しいし腹が立つわ)
乙女の覚悟を無碍にして、ただで済むと思わないで欲しい。
溢れ出そうな気持ちのまま、ディアーヌは目の前に立つジークフリートを見上げた。
紺碧の瞳がディアーヌを見下ろしている。
艶やかな黒髪を後ろで一つに束ね、誰がどう見ても美しい顔をした精悍な大人の男。
三年間、髪の色すら知らなかった。
容姿のことを聞いては失礼だと思っていたから。
何も知らずに、想像のジークフリートを自分の中で際限なく膨らませてしまった。
(恥ずかしい……)
結局は、こどもと大人だ。
初めから、相手にされていなかったのだ。
だからあんなに優しかったのか。
(どうしよう)
それでも自分は、同盟を背負って嫁いでいる。
ジークフリートの言う通り、あと数年してもちゃんとした夫婦になれる保証などない。
(どうしたら……)
ふと、以前母に渡された本を思い出した。
『君を愛することはない』
ディッセンで流行りのロマンス小説だというその本は、なるほどこの国の男をよく表しているのだろう。
(そうよ。あの本の女性は確か……)
そう思い出した瞬間、ディアーヌは寝台の飾りに自身の手を叩きつけようとした。
「やめろ!」
けれど寸前でジークフリートにその手を止められてしまった。
「っ…!」
掴まれた手首が痛い。
強い力に抵抗一つ出来なかった。
「何をするつもりだ!?」
ジークフリートの瞳に動揺の色が見える。
さっきまでの腹が立つほど余裕のある態度とは違って、今は明らかに焦っていた。
「だって……白い結婚にするって……」
溢れそうな嗚咽を必死に堪えてそう言うと、ジークフリートに必死に弁明される。
「いやっそれは!急いで大人になる必要はない。君は、ゆっくり私にも、この国にも慣れてくれればいいんだ」
必死な弁明は本心からなのだろうか。
信じたい。
けれどもう、感情がぐちゃぐちゃで、わからなかった。
「っ…う…でも、ちゃんとしないと…同盟が…だから…血を…ひっ…く…」
「は!?」
何をしようとしていたか、ディアーヌの覚束無い説明をどうやら解き明かしてくれたらしい。
ジークフリートから一際低い声が漏れた。
「はぁ……」
深いため息に、ディアーヌの身体がびくりと震えた。
呆れられてしまった。
当然だろう。自分でも一体、何をしているのかわからないくらいなのだから。
「ディアーヌ」
「!」
初めて、ジークフリートに名前を呼ばれて、心臓が、大きく跳ねた。
ギシりと、寝台が軋む音がして、気がつけばディアーヌの目の前にジークフリートが座っていた。
ジークフリートの大きな手が伸びて、ゆっくりとディアーヌを引き寄せた。
(え!?)
抱きしめられている。
背中に回された手は、微かに触れる程度だけれど。
ディアーヌの額は確かにジークフリートの胸元に重なっていたのだから。
「わざわざフレンシア側で婚姻の儀を済ませている。口出しなどさせない。それにこの国で、私に異議を唱える者などいやしない」
だから安心しろ、とジークフリートはそう言っているのだ。
「……はい」
そうまで言われてしまったら、ディアーヌはもう受け入れるしかなかった。
ただ。
おずおずと顔を上げると、ディアーヌは息のかかる距離にいるジークフリートを見上げて、尋ねた。
「では……わたくしが十八歳になったら夫婦の夜伽をする、ということですわね?」
「ん?」
何故だろう。
ジークフリートが固まってしまった。
お読みいただきありがとうございます!
もしよろしければ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎での評価やブクマ、リアクションなどしていただけると嬉しいです!




