10.この国で出来ること
そろそろ書き溜めたストックが尽きて来ました……。
翌朝、目覚めると既にジークフリートは居なくなっていた。
ほっとしたのと、夫婦になって早々これは良くないのではといった思考が交互に押し寄せて来る。
「はぁ」
とりあえず身支度を整えて、それからアンナに話を聞かなくては。
寝台から重い身体を引きずるように起き上がると、ディアーヌは呼び鈴を手に取った。
◇
「あの……わたくし、その……まだ、子どもなんだということを……突きつけられたというか。えっと、大人になるまでの、猶予をいただいたというか」
要領を得ない話を、それでもアンナは根気よく聞いてくれた。
主夫婦の初夜の翌朝に呼び出されるなど、大抵悪い話だろうと予想出来るのに。
急かすことの無い態度がありがたくも、申し訳なかった。
「なるほど」
話を聞き終えたアンナは、納得したとも呆れたとも取れる呟きと共に神妙な顔で頷いた。
「言ってしまえば、殿下らしいということに尽きますが」
苦笑いとため息と。隠しきれない愛情のこもった声だと思った。
「子どもは子どものままでいて欲しい方ですからね……」
アンナはどこか遠くに思いを馳せる様に、そう言った。
「でも、わたくし十七歳なのよ?」
ディッセンの成人年齢には達している。
だから嫁いで来たのに。
「言い出したら聞かないところのある方ですから……」
ジークフリートは意外と頑固なのだという。
「わかったわ……十八歳までそのことは忘れます」
こうなったら仕方がない。
それなら、自分は今自分に出来ることをしよう。
ディアーヌはそう意識を切り替えた。
「あのねアンナ、お願いがあるのだけど」
◇
「初めまして妃殿下……いや奥様とお呼びした方が?」
好々爺といった風貌のオリバーと名乗る男は、そう言うと首を傾げて豪快に笑った。
「どちらでも構わないわ。今日はありがとう」
ディアーヌも、あまりに飾り気の無い笑顔につられて笑顔になる。
「それにしても一体何を?」
アンナばかりかこの場にはエルンストも揃い、ディアーヌを不思議そうに見つめていた。
およそ令嬢が生涯訪れる機会などない、邸の裏庭。
平気な顔をしているのは、ディアーヌの後ろに控えるエマくらいだった。
ディアーヌがアンナにした頼み事は、信頼出来る農業経験者を紹介して欲しいという事だ。
出来れば、邸の信頼出来る者で。
そうして選ばれたのが、庭師のオリバーであった。彼の実家は裕福な豪農なのだという。
「それでワシは何をしましょう?」
好奇心に溢れたオリバーの様子に、ディアーヌは一人安心していた。
この分ならきっと大丈夫だ。
新しいもの好きじゃないと、これから話すことは、多分受け入れられないだろうから。
「ええ。まずはこれを」
ディアーヌはそう言うと、エマに目配せをする。
エマは持っていた布の袋を開き、オリバーの目の前へと差し出した。
「ほぉ、こりゃ……見たことねぇ種だ」
オリバーはエマから布袋を受け取ると、中の種を掬って手のひらに乗せ、まじまじと観察した。
「こりゃあ何ですか?」
「砂糖の種よ」
「砂糖!?」
ディアーヌの言葉にオリバーが目を丸くする。
「砂糖とは南の地方でしか採れないのでは?」
エルンストが誰に言うでもなく、呟いた。
もっともな疑問だった。
現に砂糖の生産と輸出の大半を、地形的に南の聖王国が握っていた。
西の帝国でも栽培が可能なため手に入らないことはなかったが、価格を釣り上げられてから、もう何年も経つ。
「あの、これは畑の砂糖でね……」
「砂糖大根ですか!?」
説明しかけたディアーヌの言葉を遮る様に、オリバーが驚愕の声を上げた。
不敬だとかの概念は、今の彼からはきっと消えている。
ただ信じられないといった様子で、じっと手のひらの種を見つめていた。
「ええそうよ。名前は……色々な呼び名があるのだけど」
畑の砂糖、砂糖大根、砂糖蕪。
どれもが正しく、そして不確かだった。
何せ発案者が、正確な名を覚えていなかったのだから。
◇
聖王国との同盟が破綻した後、彼の国はすぐにフレンシアへ輸出する砂糖の値段を、およそ十倍にも釣り上げてきた。
これにフレンシアが黙っているはずがない。
そして何より、彼の国はフレンシアに誰がいるのかを理解していなかった。
ヴィヴィアンヌである。ディアーヌの母は「砂糖が高いなら自分で作ればいいじゃない」と言い出したのだ。
しかし北に位置するフレンシアでは栽培は不可能だと、誰もが理解していた。
ヴィヴィアンヌ以外は。
「あれ!あれよ!何か北の方で採れる砂糖が絶対あったのよ!畑に植える蕪みたいなやつ」
砂糖の採れる蕪……。
聖女の神託である。皆半信半疑ではあったものの、ヴィヴィアンヌの言う通り、国中の農地を探し回った。
そうして確かに見つけたのである。
フレンシアでも一部地方の農家だけで栽培されていた、畑の砂糖という名の金脈を。
◇
「フレンシアで作り始めて三年になるわ。だいぶ軌道に乗って、そろそろ輸出も始められそうなくらいよ」
ディアーヌの説明に、オリバーを筆頭に、その場の人間は皆感嘆の声をもらした。
「何と貴重な……」
エルンストなど感極まって言葉に詰まっている。
「しかしお姫様」
喜びに湧く空気を破る様に、オリバーは神妙な顔でディアーヌに尋ねた。呼び名は本当に、好きにすることにしたらしい。
「よろしいんですかい?こんなもの他国に流出していいもんじゃねぇでしょう?」
オリバーの心配はもっともだった。
フレンシアは当初、当然ながら独占する予定であった。栽培技術も、販売も。
けれどそこに、ディアーヌが頼み込んだのである。
度重なる戦乱で、ディッセンの地は疲弊してしまっている。ならばその地の田畑を耕し、豊かにしたいと。
ジークフリートとの婚儀が延期となった間に、ディアーヌも己に出来ることを必死に探していたのだ。
国王は勿論、宰相である父も簡単には頷かなかったが、母だけはディアーヌの願いに加勢した。
『あらディッセンでも砂糖が採れれば聖王国の収入が壊滅するじゃない?いい気味だわ。それに教えたのわたくしだし』
結局聖女である聖王国憎しの母の一声で、無事にディッセンへの持ち出しが認められた。
勿論、実際にディアーヌが輿入れする時にという条件付きではあったが。
「フレンシア王の許可はきちんといただいてるわ」
だから安心していいのだとディアーヌは微笑んだ。
まだ何か言いたげなオリバーを見かねたのか、それまで黙っていたエマが、背後で静かに口を開く。
「もし、この国や王弟殿下がディアーヌ様を裏切る様なことがあれば、全ての種子を腐らせ、実った作物には永続的な虫害が起こることになりますので、ご安心ください」
エマの言葉は、種を手渡してくれた時にディアーヌが母に言われたそのままだった。
なかなかに酷い内容にも関わらず、オリバーは得心したといった風に大きく頷いた。
「わかりやした!必ず実らせてディッセン中に砂糖大根の畑を作ってやりますよ!」
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