7.婚姻の儀
フレンシアを出立してから数日後、ディッセンとの国境にある辺境伯家に到着した。
争いの続いたディッセンで、大掛かりな挙式を行う予定はなかった。
ただこの国境の地で、両国の極僅かな臣下に見守られながら、婚姻が成ったことを公にする事のみが決められていた。
エマは憤慨していたが、ディアーヌは仕方のないことと納得していた。
争いが終わったばかりのディッセンで、他国から嫁いで来た身で派手な挙式など挙げてしまえば、国民感情からどう思われるかなど、火を見るより明らかだったからだ。
とはいえ、ディアーヌとて一生に一度の花嫁姿に、少女らしい憧れくらいは、勿論あった。
だから、ジークフリートと初対面にして婚姻の儀をとり行うことが決まってからは、内心大騒ぎだった。
婚姻の儀で着るドレスが決められている訳ではないのだが、ディアーヌは幼い頃から婚姻のドレスは白というこだわりがあった。
おそらく、母であるヴィヴィアンヌが婚姻の儀で着用した話を周囲から繰り返し聞かせられた故の刷り込みだろう。
自分も嫁ぐ時は白いドレスが着たい。
ずっと望んできたささやかな願いだ。華美でも贅沢でも無いからどうか許して欲しい。
◇
婚姻の儀の朝。
ディアーヌはフレンシアから持参した、装飾のない生成りの布地に、真っ白なレースが重なったドレスに身を包んだ。
レースには細かな銀の刺繍が施されている。
緩やかに波打つ淡い金の髪と合わさって、まるで物語から飛び出して来たかのようだと、エマやメイドたちは感嘆の声を上げている。
「大丈夫よね?」
「勿論です!こんなお綺麗な花嫁さま、見たことがありませんわ」
けれど当のディアーヌは、緊張で固まってしまっていた。
三年間。
顔も知らず、両手ほどの手紙の遣り取りしかしたことの無い十歳上の婚約者。
それでもその人と夫婦になるのだと、覚悟するには十分な時間だったのだ。
「ふーっ」
大きく息を吐いて、ディアーヌは瞼を閉じた。
すぐにドアを叩く音が聞こえ、取次のメイドが刻限を知らせに来たことを知る。
「……参ります」
再び瞼を開いたディアーヌの瞳には、もう迷いはなかった。
メイドが扉を開ける。
ディアーヌはゆっくりと歩き出した。
◇
辺境伯家の礼拝堂に入ると、その場にいた全員が、一斉に振り返ってディアーヌを見た。
一瞬、怖気付きそうになる。
(しっかりしなさい!)
再び押し寄せようとする緊張を跳ね除けて、ディアーヌは背筋を伸ばした。
真っ直ぐ前を向き、祭壇の前へと歩き出す。
祭壇側には神官だけが立っていた。
ジークフリートの姿はまだ見えない。
母の婚姻の儀ではバージンロードなるものを祝福されながら歩いたそうだが、無論この地にそんなものはない。
剥き出しの床を進む靴音だけが周囲に響き、両国の立会人たちが、ディアーヌへと視線を向けていた。
祭壇の前へと辿り着いた時、背後で盛大に扉の開く音がした。
(え)
反射的に振り返ると、真っ直ぐにこちらに向かって歩いて来る男が見えた。
ディアーヌは咄嗟に顔を背けると、祭壇に向き直り両手を握りしめた。
段々と近づいて来る足音に合わせて、心臓の鼓動もどんどん弾んでいく。
不意に靴音が止まった。
同時に、隣に並び立つ、人の気配がした。
「遅くなった」
「!」
間違い無い。ジークフリートだ。
「いっ…いえ……」
自分に向けられた言葉だったのかさえ、わからなかった。
ずっと会える日を待ち望んでいたはずなのに、視線一つ合わせられずに俯いてしまった。
頬がやけに熱かった。
「それでは、これより婚姻の儀を執り行います」
神官の言葉に、はっとして顔を上げる。
神官の祝詞が終われば、婚姻証明書にサインをして、指輪を嵌めればそれで婚姻は成立する。
婚姻の成立だけを目的とした略式のため、誓いの口付けすら必要なかった。
合理的といえば合理的だ。
少なくとも、祝詞の間に冷静さを取り戻せる。
ディアーヌは、罰当たりな思考には目を瞑ることにした。
「ご記入ください」
言われるままにサインをし、差し出された指輪をそれぞれ薬指に嵌めた。
これで、ディアーヌはディッセン国の王弟ジークフリートの妻となった。
(やっとここまで来たのね……)
ディアーヌがほっと胸を撫で下ろしていると、不意に左手を取られた。
(えっ?)
そのまま左手を引き寄せられて、薬指の指輪の上から口付けられる。
(へぇっ!?)
処理できずに固まってしまったディアーヌの視界に映るのは、自分よりもずっと長身な男の人で。
(あ)
おそるおそる見上げた先で捕らえられたのは、ディアーヌを見つめる紺碧の双眼だった。
「これにて婚姻の儀の成立を宣言いたします」
神官の声は、やけに遠く聞こえた気がした。
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