28.変わらない幸せ
足を踏み出す度に、ドレスの裾を踏んでもつれそうになる。
この城に来た日、生まれてから一番歩いたと驚愕したのはついこの前の出来事なのに、まさか自分が走る日が来るなんて。
ディアーヌは荒い呼吸の合間に小さく笑った。
心臓の鼓動が早鐘みたいに高鳴っているのも、きっと走っているせいだけじゃない。
(もう少し!)
階段を降り切ると、後は真っ直ぐな回廊を行くだけだ。ディアーヌはただ前を見据えて、走り続けた。
「ディアーヌ?」
「!!」
急に視界が開けた時、ホールに辿り着いたのだと理解はしていた。けれど、まさかすぐ目の間にジークフリートの一団がいて、ディアーヌを見つけて目を丸くする彼の姿が見られるなど予想すらしていなかったのだ。
「あっ……あ、あの」
ジークフリートが固まってしまったディアーヌに向かって、ゆっくりと近づいて来る。
言いたいことも、言うべきことも山程あったはずなのに、ディアーヌの喉は張り付いたまま言葉を紡ぐことが出来なかった。
「変わりはないか?」
遂には、目の前で気遣わしげなジークフリートに顔を覗き込まれてしまう。
今まで走っていたから、顔は赤らんでいるし、髪も乱れている。こんな姿を見せたいわけではなかったのだ。
でも、それ以上に、ただジークフリートの無事な姿を確かめたかった。
(ん〜!!)
「ディア……はっ!?」
ディアーヌは、持て余した感情のままジークフリートに抱きついた。体格差のせいでしがみついたと言った方が正しいかも知れないが。
絶対に振り払わせないというように、華奢な身体のどこにそんな力があったのかと、ジークフリートが困惑するくらいには、その意思は明白だった。
「う〜……よ、よかっ……た」
何がだとか、戦勝を寿ぐ言葉を伝えなければだとか、ディアーヌとて頭ではわかっているのだ。
言うべきことも、取るべき行動も。
けれど出来なかった。
今はただ、ようやく会えたジークフリートの無事を実感すること以上に優先するべきことが、ディアーヌにはなかったのだ。
「……心配をかけたな」
躊躇いがちにディアーヌの背に回されていたジークフリートの腕に、力がこもる。
ディアーヌはその腕が離れていってしまわない様に、更に強くしがみついた。
「え〜いいなぁ殿下……羨ましい」
「俺も早く嫁に会いたい」
「俺は結婚したい」
「俺はまず恋人が欲しい」
(!?)
正気に返ったのは、ひとしきり泣いた後、方々からそんな耳慣れない声が聞こえてきたからだった。
「……え」
恐る恐る顔を上げたディアーヌの視線の先にあったものとは、遠巻きに抱き合うジークフリートとディアーヌを見守っている兵たちの姿だった。
(えぇ!?そうだわ、わたくし何てことを……)
途端に我にかえったディアーヌは真っ赤になって俯いてしまった。
自身の行動を振り返ると、恥ずかしさしかなかったからだ。
「どうした?」
それなのに、相変わらずジークフリートは不思議そうにディアーヌを見つめるだけで、恥ずかしいという気持ちは感じていなさそうに見えた。
(ずるいわ!)
久しぶりに会えたのに、相変わらずジークフリートの余裕のある態度に、ディアーヌは唇を尖らせる。
結局、二人の関係は何も変わっていないのだと、現実を突きつけられた気がしたのだ。
「……なんでもありませんわっ!」
だから、ちょっとだけ拗ねた口調で答えたのは許して欲しい。
頬の赤みが治まる頃には、ちゃんと自分で機嫌を直しておくから。
「そうか……それならいいが」
ジークフリートはどこか釈然としなさそうではあったが、それ以上ディアーヌを追及することはなかった。
「では行こうか」
「え……はいっ!」
どこにとは聞かなかった。どこでも良かったから。ディアーヌはただジークフリートに差し出された手を取って、そのままついて行った。
(これを幸せっていうのよね)
日常が帰ってきたのだ。
時間はいくらでもある。
そう思うと、自然とディアーヌの足取りは軽くなるのだった。
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