27.帰還
帝国との和議が成立したのは、ディルクたちが戻ってから一月程が経った後だった。
いつしか夏も終わりが見え始め、マリアのお腹は、いつ産気づいてもおかしくないくらいにはち切れそうになっていた。
「妃殿下、俺また殿下のところに行って来ます」
ジークフリートの帰還の目処も立ち、後は帰りを待つばかりといった頃、突然ディアーヌはディルクにそう告げられた。
「そうなの?何か緊急の件なのかしら」
ディルクが再度ジークフリートの下へ赴かなければならない理由が思い浮かばなくて、ディアーヌは首を傾げた。
そんなディアーヌに、ディルクは躊躇いがちに訳を話し出す。
「あー……帝国から上の兄上が帰って来るんで、迎えに行きます。下の兄上は義姉上の出産もあるんで、俺が」
「っ……!そう、なの……」
「はい」
ディルクの上の兄。
帝国に使節として赴いていたところを、突然命を奪われたディッセンの宰相補佐。
罪の無い彼の死が、この度の帝国とディッセンの争いの発端だった。
「ただ、あっちはお国柄火葬らしいんすよ」
「火葬……」
ディッセンでもフレンシアでも馴染みの無いその埋葬方法は、最後は小さな骨壷の中で骨だけになるのだという。
気候的に合理的であると同時に、その姿を想像しただけで何ともいえない切なさに襲われる話だった。
「それで、俺兄上を受け取ったら実家に直接帰らせて貰うことになったんで。妃殿下には、一旦ここで失礼させていただきますね」
確定事項を淡々と告げるディルクの顔はいつも通り朗らかで、彼の中で何か一つ区切りがついたのだろうかと、ディアーヌは感じていた。
「わかったわ。こちらの事は気にせずゆっくりして来てね」
「ありがとうございます!」
ディルクの長兄の子たちはまだ幼いという。きっと後継についての話し合いも必要なはずだ。
笑顔で去って行くディルクの背を見送りながら、ディアーヌは顔を見る事も叶わなかったディルクの亡き長兄に対して、そっと冥福を祈った。
◇
「触るな!鬱陶しい!」
愛する妻から罵倒されても、夫であるルドルフは平然としている。
「え〜でも時間かかるよ?腰さすった方が良くない?」
マリアの扱い方は心得ているのだろう。一貫して穏やかな態度に、手負いの獣のごとく攻撃的だったマリアも諦めた様に頷いた。
「……好きにしろ」
「そうする」
(ご夫婦仲がよろしいのね)
目の前で繰り広げられるグリンデンベルク夫妻の遣り取りに、ディアーヌは一人感嘆する。
今朝産気づいたマリアのお産は、長くなりそうだと言われていた。上三人は短時間の陣痛で済んだというマリアは「何でだ!?」と憤慨していたが、こればかりは仕方がない。
それに、もしかしたらお腹の子は、とても忠義な子なのかも知れない。
ジークフリートが辺境伯領に向かって、陣営を出立したとの報告をディアーヌは昨日受けていた。
状況次第ではあるが、ジークフリートの帰還とマリアの出産は、時を同じくする可能性があったのだ。
「わたくしは失礼しますわね」
ディアーヌは夫妻に断りを入れると、その場を後にした。
その足で向かった先は、いつかマリアに連れられて来た、城壁の出し狭間だった。
見張りの兵にエマが声をかけると、そのまま中へと通される。
この城に来てからの自身への信頼を嬉しく思うとともに、辺境伯領の兵たちの大らかさに苦笑いを浮かべながら、ディアーヌは出窓から外を眺めた。
ここからなら、凱旋するジークフリートの姿を一番に見つけることが出来る。
(知らなかったわ)
フレンシアにいた頃、婚約者だったジークフリートとの交流は両手で数えられる程の手紙のみだった。
それでも、度重なる出陣の合間に気遣ってくれているのだと不満は呑み込んでいた。
(不満に思う方がおかしいのに)
けれどそれがどれ程過酷な環境なのか、本当の意味ではディアーヌはわかっていなかったのだ。
辺境伯領へ来て以来、日々その事実を実感していた。
(そういえば……)
「ふふっ」
「ディアーヌ様?」
「何でもないわ」
堪えられずに上げてしまった笑い声に、エマが不思議そうな顔をしている。
「少し、昔のことを思い出していただけよ」
ディアーヌはエマを安心させる様にそう言うと、再び窓の外へと視線を向けた。
(好きになって欲しいばかりだったわね)
フレンシアにいた頃の自身の行動を振り返ると、相手に求めるばかりだったのだと、ディアーヌは幼い心が愚かで可愛らしいとおかしくてたまらなかったのだ。
それはきっとディッセンに来てからも。
守られて、愛されて育って来たディアーヌは思う存分子どもでいられた。
けれどもう、その時間もそろそろ終わりだ。
ほのかな恋に憧れて、まだ見ぬ婚約者に思いを馳せて。嫁いでからは空回りして、ただ優しくされることに甘えていた。
好きになって欲しいは、好きだから。
恋はしようと思って出来るものではない。
ただ知らずに、勝手に落ちているものだったのだ。
◇
どれくらい経っただろうか。辺りが夕暮れに包まれる頃、城内に威勢の良い泣き声が響き渡った。
マリアの子が生まれたのだ。
兵たちも皆喜びに湧き、歓声を上げている。
ディアーヌの下へもすぐに母子の無事が知らされ、エマと二人手を取り合って喜んだ。
一言お祝いに行こうかと、ディアーヌがその場を離れようとした時、窓の外に微かに異変を感じた。
(え)
城門に黒い影が見えた。
一見すると影に見えたそれは、けれどすぐに集団なのだと理解した。
そのまま、城門が開かれる。
我先にと出迎える兵たちに囲まれる様にして、規則正しい騎乗した隊列が、徐々に近づいてその姿を現していく。
黒い髪に、漆黒のマントを風にたなびかせて、眩しそうに不意に顔を上げたその人の姿を、ディアーヌが見間違うはずがなかった。
(ジークフリート様!)
それは、ずっと待ち望んでいたジークフリートの帰還が、現実になった瞬間だったのだから。
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