20.わたくしは王弟妃です
ジークフリートが、帝国との国境線である辺境伯領へと出陣した後、使用人たちの前では気丈に振る舞っていたディアーヌだったが、自室で一人眠る夜は声を殺して泣いた。
思えばこの邸に嫁いで以来、一人で眠るのも初めてだった。
ジークフリートは今頃どこで野営をしているのだろうか。
辺境伯領へは早くても三日はかかるはずだ。まだ戦が始まったという知らせはない。
(こんなに不安になるのね)
心配いらない、大丈夫だといくら言われてもどうしたって心は揺れる。大切な人を戦場に送り出すディッセンの者たちは、誰もが皆こんな思いを胸に眠れない夜を過ごして来たのだ。
(それなら)
どうせ眠れないならこの時間を有効に使おうと、ディアーヌはベッドから起き上がると、ランプの灯りをつけた。
机に向かって座ると、すぐに手紙をしたためる。
ジークフリートたちが戦っている間、自分もまた出来ることをするのだ。
そう固く心に誓って。
「二人にお願いがあるの」
翌朝、朝食の前にアンナとエルンストを呼ぶと、ディアーヌはそう言って封のしていない手紙を差し出した。
「拝見してよろしいのですか?」
怪訝な表情を浮かべる二人にディアーヌは笑顔で頷く。
「勿論よ」
促されるままに手紙に目を通した二人は読み進めると、徐々に目を見開いていった。
「妃殿下、こちらは……」
エルンストの声には迷いが浮かんでいた。
「王宮に行って検閲を受けて来てもらいたいの」
「ええっ!」
アンナが思わずといった悲鳴を上げる。
けれどディアーヌは動じなかった。
「開戦の知らせがまだとはいえ、今は戦時下も同じでしょう?ならフレンシアへの手紙は情報漏洩に取られかねないもの」
落ち着いた声で、真っ直ぐに視線を向けるディアーヌに二人は息を呑む。
ディアーヌがフレンシアの母宛に書いた手紙には、帝国との戦が始まった場合に備えての物資の依頼が書かれてあった。
そして、今回の件はおそらく帝国の第一皇子側と聖王国とが裏で組んでいるだろうと書き添えた。
そうすれば母は必ず、ディッセンへの物資を融通してくれるからだ。
帝国が同盟の破棄を告げたのはディッセンに対してだけで、形式上フレンシアとの同盟はまだ破られていなかったとしても。
「……推測の域を出ないのでは?」
エルンストが強張った声でディアーヌに尋ねる。
「勿論よ。ただこれでもフレンシアで王の姪として、公爵家の長女として教育を受けて来たわ。冷静に考えると、今回の帝国の不可解な動きから読めるものもあるのよ」
そうしてそれ自体は、ディッセンもフレンシアも既に把握している情報に違いなかった。
ディッセンの王妹を娶った帝国の第一皇子がディッセンの使者を殺した。
それは彼が、帝国内で劣勢に立たされているからとしか考えられなかった。
幼かった皇后腹の第三皇子が成長し、勢力を拡大している。そんな折皇帝は病に倒れた。
後ろ盾を失う前に強硬手段に出たのだ。
大公国との和議を結んだばかりのディッセンは、疲弊して軍事力に劣るとでも囁かれたのだろう。
あくまでも同盟は国同士のものだ。
第一皇子個人への軍事支援をしないディッセンを切り捨て、聖王国の支援を受け第三皇子派を退ける。
ディッセンは当然進軍してくるが、聖王国と帝国で挟み撃ちにすれば良い。
帝国との同盟があるため、フレンシアが攻めて来ることはない。
概ねこういったところか。
しかしこれらの企みにはいくつもの穴がある。
帝国内で全権を握れるか。
ディッセンとの同盟破棄は支持されているのか。
内乱中の聖王国が、果たして第一皇子に援軍を送れるのか。
フレンシアがどう出るのか。
だからそこを突く。
「事実とわかる範囲の情報を組み合わせた推測に過ぎないわ。見当はずれなら指摘してもらいたいし、そうでないなら……」
あくまでも手紙にはディアーヌの名で母に支援の依頼をしている。
もしディッセンとして必要なら、この手紙に王の名を添えるだけで良い。
不要ならば検閲の際に破り捨てるだけで済む。
ディアーヌの行動を怪しむなら監視するなり好きにしてもらって構わない。
ディアーヌは本気でそう思っていた。
「妃殿下……」
アンナが何かを言いかけて、言葉を詰まらせる。ディアーヌを見つめる目は真っ赤だった。
「わたくしは王弟妃です」
真っ直ぐな瞳でディアーヌは答える。
「自分に出来ることをするだけよ」
その日王宮に赴いたエルンストとアンナは、日の明るい内に邸へ戻って来た。
王から「感謝する」との言葉を携えて。
ディアーヌの手紙は、ディッセン国王からフレンシア国王宛の親書と共に送られた。
それから一週間ほど経った後だ。
ディッセンに、帝国との開戦が通告されたのは。
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