第17客 ランチはじめました
こんがりと焼ける匂いが立ち込める。
「おんちゃん、できたぜ」
よし、配膳だ。
階段を上がりノックする。
「お待たせしました。海鮮丼二つと、
焼きとうもろこしです。
かき氷は食後でいいでしょうか?」
夏と言えば焼きとうもろこしとかき氷。
ツウだね、お客さん。
「ん?それ頼んでないぜ」
あれれ?
階段を下りて声を掛ける。
「ちょっと!タコ頼んでないって!」
目を細めた黒川が暖簾から顔を出した。
「は?タコじゃねえ、イカの間だよ」
あちゃー!やっちゃった!
きっとこの暑さのせいだ。
大急ぎで配膳を終えた。
「ふ~ランチタイムも終わりね」
7月からランチを復活させ、はや三週間。
順調にランチ目当てで来るお客さんが増えてきた。
「しかし、こうも狙った客層がずれると悲しくなっちゃうわ」
「まさか主婦を筆頭に客足が増えるなんて思っていませんでした」
私とみなみは、ヘルシー賄を食べ、英気を養う。
読みが外れると軌道修正が大変だ。
「そのうち動画視聴者の客層が増えて、
そこから徐々に口コミで広がってって」
「そうなってくれればいいですね、
でも結局はどこで拾われるかの運ですよね」
残酷なことにそうなんだ。
でもそうなってもいい構造だ。
それぐらいうちの味には自信がある。
さて、ご飯も食べたことだし。
「よし、インプレッションチェックしよっと」
スタッフルームに一足先に逃げる。
動画投稿を始めて二カ月ほどが経過した。
さてと何かに良いリアクション来てないかなあっと…
「ん!?ちょっとこれって!!」
大急ぎで厨房に向かう。
「黒ちゃん!フォロワー数が収益化ライン超えたよ!!」
「ま、マジ!?俺もついにヘイチューバーじゃん!」
これがどれほどの快挙なのかわからない。
ただ、うれしさと実感が湧いてくるラインであることは間違いない。
「っしゃ!今日も撮影するか。ちなみにコメントとかなかった?」
あったよ。
「みなみさんの声が癒しだ。とか、里中君頑張って!とか」
笑顔で黒川に伝えた。
何よ失礼しちゃうわね、
私の笑顔で肩を落とすなんて。
「ま、姉御コワ…よりましだな」
笑顔で黒川に伝えた。
私から目を反らし、そそくさと立ち上がる。
「さ、さーて今日は鯛でも捌いてみようかなぁ
カメラカメラっと」
…
私って…そんなに怖いのかしら…。
チク チク と時計のリズムが響く。
カタカタカタと、打ち消すようにタイプ音で埋め尽くす。
「ふぅ、完成!私もずいぶん早く編集できるようになったな」
幼いころからこのお店の片隅で勉強をしていた。
少し騒がしいほうが集中しやすいと思っていた。
しかし、動画編集に至っては違う。
静かな空間でなければ集中できない。
それはなぜだろう。使っている脳が違うからなのか?
それとも頭に映像を浮かべるのに、
耳から入る情報が邪魔なのだろうか。
「あ~もう二時か、明日から新人さん入るからもう帰って寝よう…」
夜のアーケード街を羽音と共に歩いて帰った。
手にブルブルっと何かが伝わる感じがする。
虫!?いや違う。
バイブレーションだ。
「あ~びっくりした…って!」
これ電話だ…
恐る恐る通話にする。
「もしも…」
「ばっかやろう!今何時だと思ってんだ!」
いいいいいいい。
直視できない時刻だ。
文字通り寝起きダッシュで、お店に向かった。
「ゴメン!ほんとゴメン!アラーム3回かけたの!」
鬼の形相で包丁握るのやめてください…
「お前さ、昨日何時に寝たんだよ」
「な、何時だったっけかなぁ。
あ、あそこの汚れすごいね。掃除しなきゃ」
おーこわいこわい。
包丁握った黒ちゃんは鬼よりこわいさね。
「あ、そうだみんな、お盆休みはかなり予約埋まってきました。
頑張って乗り切りましょう!今年のボーナスは弾むわよ!」
さてと、今日もがんばっちゃいましょうか。
エプロンに袖を通す。
まずはランチランチ。
丸々と太った鯛をまな板に載せる。
中骨に沿って包丁を流す。
落とした切り身を横に置く、包丁がキラキラと輝いている。
「なにこの脂…なんでもかんでも脂が乗ってりゃ良いってもんじゃないのよ」
私は俄然トロより赤身派。
「まあ俺もそう思うが、
その口触りが美味しいもの食べてるって実感するんだよ、
お客さんはな」
まるで理解ができないわね…
いや、幼い頃から良い身を食べすぎたのかもしれない。
今日の黒ちゃんの賄いランチは完売、
ランチ営業を再開してランチだけのお客さんも入るようになってきた。
これなら車はリースじゃなくて、
買ってしまってもよかったかもしれない。
内線がなる。マグロの間のお客様からだ。
「はいフロントです」
「あ、すんません、今日って夜まで延長大丈夫ですか?」
延長!大変ありがたいお客さんだ!
「はい、問題ありませんが料金変わりますが大丈夫でしょうか?」
「あーしってますしってます。6時から人増えても大丈夫ですか?」
それならイルカの間が開いてるからそっちに行ってもらおう。
「大丈夫なのですが、
恐れ入りますが5時から別のお部屋へ移動お願いいたします」
よし、今日はクジラもイルカも埋まりっと。
しかし平日なのに、珍しい。
西側の窓から差し込む日は、
決して焼けた色などしていない、
5時だというのにまだ青々としている。
「夕礼始めます。まず、今日からパートさんが一人入りました。
あおいさん、挨拶よろしくお願い致します」
ショートカットの彼女は一礼する。
つられてあやも一礼した。
「あおいです。あやの紹介で入りました。
中学高校が同じでした。小学生の息子が二人います。よろしくお願い致します」
あやさんと少しだけ時間も被るし、うまいことやってくれるだろう。
「じゃあみなさん、今日は団体さん入りますのでよろしくお願い致します。
黒川さんは18時上がりです。では今日もよろしくお願いします」
さてと、団体さんの準備はじめようかな。
「おい、乙姫」
黒川に肩を叩かれた。
「どうしたの?」
「どうしたの、じゃない。お前も早番だろ?」
なんて言おう。
「いや~私今日寝坊して遅刻しちゃったからさ。
あははは~」
黙って私を睨む。
その目つきをなんだか受け取れきれずに受け流した。
鳴り響く鈴の音が戦闘の合図。
「きたわね。みんな、明日はお休みだから頑張りましょ。
あおいさんはすみませんが今日は洗い物中心になってしまいます。
またゆっくりした日にしっかり教えていきますね。
ではついてきてください」
おお、パリパリで汚れてないエプロンが恋しい。
いや、この汚れも私たちの勲章よ。
「さっそくなんですけど、少々洗い物にはルールがありまして、
こっちは手洗い、こっちは食洗器、そして洗剤も使い分けていただきます」
あ、いやメモを取るほどの事じゃないんだけど…。
「特に香料つきの洗剤を調理器具と刺身用の皿に使ったら、
あそこの男が、魔王だろうが神だろうがお構いなしに怒りますので、
気を付けてくださいね」
普段は優しい人なんだよと付け加えておいた。
ついでに彼女募集中と言っておいた。
暖簾がバサッと開いた。
「ちょっと乙姫!」
血相変えたあやが声を荒げた。
「ど、どうしました!?」
「今日延長したお客さん、イルカとクジラ間違えてるっつの!」
あれ?延長したお客さんはクジラに案内…
あ!
「間違えた!延長のお客さんイルカじゃん!」
やらかしてしまった。
「鉢合わせになってな空気になっちゃったじゃない!
まあ誰も気にしてないけど」
らしくない。
どうした私。
「ご、ごめんなさい」
ああ、新人さんの前でパートに怒られる店長っていったい…
乾杯の一杯目を届け終わり、
スタッフルーム前の廊下で丸い椅子に腰を掛け、早めの夕食に手を付ける。
「里中、あとは大丈夫そうか?」
「はい黒川さん、団体さんのコースはもう片付くので大丈夫っす」
厨房から聞こえた時報。
ああ、もう18時か、黒川が帰り支度をする。
私に近づいてくる。
彼の腕が私の腕をつかんだ。
「おい、帰るぞ。上がる時間だ」
振りほどく。
「お疲れさま」
おいと言われ再び腕を掴まれる。
「ちょっと離してよ!今食べてるの!」
「ふざけるな。帰るぞ」
再び振りほどく。
「し、シフト作ってから帰るの」
視線を逸らすことしかできない。
「みなみちゃんだってシフト作れるだろ?」
離せ。
「帰れ…早く帰んなさいよ!」
ようやく諦めたのか、
彼は黙ってスタッフルームに入っていった。
ああ、次のシフトはどうしよう。
かおるさんはもう一人立ちできるだろうか?
あおいさんの教育は…
里中くんに仕入れ任せても平気なのだろうか…
あきらちゃんはみなみに任せて…
どうも私はPCを操作するときはブツブツと独り言を言っているみたいだ。
ゲームやってる時もそうなのかな?
よし、終わった!印刷しておこう。
立ち上がる。
振り向こうとする。
すると棚が横を向いた。
あれ?違う…横を向いているのは私?
あれ…なんか…視界が…
目を開けると、そこは一面真っ白な世界に包まれていた。




