2-3ご令嬢は皇帝に嫌われたい
ろくに眠れなかったセナに、無情にも朝が来た。
寝不足の目には鋭すぎる朝日を浴びながら、セナは欠伸を繰り返す。
「昨日は…一体…」
洗面所で顔を洗いながら、セナはモヤモヤした気持ちを洗い流そうとする。冷水は眠たい頭には多少のいい目覚めになったけれど、心のもやもやは晴れない。
「(ああ…、疲れが溜まっていく…)」
「おはようございます」
つんとした声が響く。声の方を向くと、扉から朝食の準備を持ったメイドたちがいた。セナは、あ…、と声を漏らす。
「(…朝食は出してもらえるんだ…)」
セナはメイドたちが料理の乗ったお皿をテーブルにテキパキ並べていく様子を眺める。
メイドの一人が、そんなセナを一瞥すると、ふっと失笑した。セナはそんな彼女に首をかしげる。
「それでは」
準備を終えたメイドたちはさっさと部屋から出ていく。セナはそんな彼女たちを追いかけるように歩き、軽く扉を開けた。
彼女たちはすたすたと歩きながら顔を見合わせて笑っていた。
「結局、昨日は何もなかったらしいわよ」
「陛下があの人間の部屋に行くって言うからびっくりしたけど、…あんなちんちくりんじゃあねえ」
「ほんと、笑っちゃう。惨めよね。夜に陛下が部屋に来たのに、何もされないなんて。そんなことあり得る?」
ふふ、と笑い合いながら歩いていく彼女たちの背中を見送り、セナは静かに扉を閉めた。そして、扉に背中をもたれかけさせた。
「(ち…ちんちくりん…)」
自分の頬や体をぺたぺたと触りながら、セナは呆然と呟く。
ふいにセナは、昨夜のフェンリルとのことを思い出して、はっとする。両手で自分の体を抱きしめて、小さく体を震わせる。
「(…い、いやいや、ちんちくりんだったおかげであんな男に好きにされずにすんだのだから、喜ぶべきことのはず…!ちんちくりん万歳…!)」
セナは、そう、そうよ、と自分に言い聞かせる。
「(…でも、例えば私じゃなくてアナスタシア様だったら、妙齢のちゃんとした令嬢だったら、中断されることはなかったのか…)」
お前じゃない、ということをフェンリルから突きつけられた気がしてセナは頭にショックが走る。
「い、いやいやいや、そんな、あの男とそういうことがしたかったみたいな…決してそういうわけでは……わ、わっ!!」
突然開けられた扉によって、セナは前に押し出されて顔面から倒れ込んだ。すると頭上から、あれっ、という声がした。顔を上げて声の方を振り向くと、ピンク色のふわふわした長い耳を持つ、桃色のショートボブの髪型をしたとても可愛らしい少女が自分を見下ろしていた。
「う、うさぎ…?」
「なんだ、いたんだあ」
ノックしたのに返事がなかったから、と言いながら、少女はセナの前にしゃがみ込んだ。
「怪我はない?ええと…セナ」
「え、ええなんとか…。あなたは?」
「僕はラビ。見ての通り、半分うさぎで、半分人間なんだ」
ラビはそう言うと自分の耳をひょこひょことあざとく動かしてから、にこりと微笑んだ。その可憐な笑顔につられて口元が緩むセナだったが、彼女の一人称に、ん?と首をかしげる。まじまじとラビの姿を見ると、格好は上は執事が着るようなスーツ、下は黒色の半ズボンを履いていた。
「あれ、あなた、男…?」
「見てわかるでしょう?それより、早く立ち上がったら?」
「えっ…と、手を貸していただけない?」
「なんで?」
こてん、と首をかしげるラビ。セナは、え、ええと…、と彼を見上げる。
「こ、転んでしまったから、助けてほしいのだけれど…」
「どうして?セナは僕と同じくらいの体躯だよ?持ち上げるのは相当な力仕事になるんだもの」
「力仕事…って、あなた男なんでしょう?それくらいしてよ!」
「やだ。僕そんなことしたくない」
ふいっ、とそっぽを向くラビに、セナは、むむむ…、と唇を噛みしめる。セナは仕方なく自分の力で起き上がり、服の埃を払った。ラビはそんなセナを見つめてにこりと微笑んだ。
「改めましてセナ。僕、ここで君のお世話をすることになったんだ。よろしくね」
「お世話…って、あなた男じゃない!どうしてあなたなの?」
「ええ、何が不満なの?僕、こんなに可愛いのに」
ラビの黒目がちのきゅるんとした瞳に見つめられて、セナは、返す言葉に詰まる。
「(…言われてみたら女の子みたいに可愛いし、別に構わないのかしら…?あれ、どこかおかしいかしら…?あれ…??)」
「じゃあセナ、朝食をとったら、軽くお城の案内してあげる。また終わったころに迎えに来るね」
ラビはそう言ってひらひらと手を振ると、部屋から出ていった。セナは小さく息をつきながら、朝食の置かれたテーブルに向かった。
美味しそうな食事を眺めて、セナはようやくお腹が空いてきた。セナは席について、サラダに手を伸ばした。すると、扉がノックされた。返事をすると、昨日サンドイッチを持ってきてくれたメイドがお茶の準備を持ってやってきた。
「あ…」
「セナ様、よく眠れましたか?」
優しい彼女の笑顔に、セナは自然と頬が緩む。彼女はセナのそばに来るとお茶の準備を始めた。
「あのっ、…き、昨日はサンドイッチをありがとう…。とても美味しかった…」
「あら、嬉しい。…でもごめんなさい、昨日は誰もあなたの食事の準備をしなかったの。みんなまさか、あなたがこれからもお城にいるものだと思っていなかったみたいでしたから。だから、せっかくここへいらした日におもてなしができなくって、私、とても心残りに思っていたんです」
メイドはそう言うと、紅茶の茶葉をいれたポットにお湯を注いだ。紅茶のいい香りが部屋に広がる。メイドはセナと目が合うと、にこりと微笑んだ。
「申し遅れました、私、ベイズと申します。羊の血が半分流れています。困ったことがあったら、なんでもお申し付けくださいね」
優しい彼女の声と雰囲気に、セナは胸の奥が絆されていくのを感じる。
「(…人の優しさに触れた…)」
「セナ、迎えに来たよお」
扉が開いて、すたすたとラビが入ってきた。セナはラビの登場にむせる。げほげほと咳き込むセナに、ラビは怪訝そうな顔を向ける。
「あれ、まだ食べてないの?遅すぎるよ」
「あなたが早すぎるわよ!」
「もー、早く食べてよ」
ラビが不服そうに頬を膨らませる。セナは、ええ…、と慌てながら朝食を口に運ぶ。そんなセナを見て、ベイズは微笑む。
「ふふ、ラビはお茶でも飲んて待っていらしたら?セナ様、どうぞごゆっくりなさって」
「べ、ベイズ…!」
セナはベイズをきらきらの瞳で見つめる。ラビは、椅子に座って、ベイズのいれたお茶の入ったカップを両手で持った。
「にしてもベイズ、どうしてセナに゛様゛なんかつけてるの?」
ラビが首をかしげる。ベイズは、ええ?と目を少し丸くする。
「だってセナ様は、陛下の正妃になられる方でしょう?」
「ちがうよ、そんなわけないじゃん。昨晩何もなかっみたいだし、陛下にセナを番にする気はないんでしょ」
ラビの言葉に、セナはまたむせる。ベイズが、あらあら、と言うと心配そうにセナの背中を優しくなでた。セナは、あ、ありがとう…、とお礼を言った後、ラビの方を見た。
「…ねえ、どうしてみんな、昨夜フェンリルが私の部屋に来て何もなかったことを知っているわけ…」
「そりゃあ、陛下の番の話は国の一大事だからね。皆関心があるよ」
「…ねえその、゛番゛っていうのは、」
「まあ、セナが番になるわけがないよ。陛下が人間なんか番にするわけないもの。正妃は狼の中から選ぶに決まってるでしょ」
ラビの言葉に、ベイズが目を丸くする。
「ええ?でも、陛下がこんなふうに女性を連れていらっしゃったことなんて…」
「おおかみ…、あの皇帝って、狼男なの?」
セナが尋ねると、知らなかったの?とラビが呆れる。セナはそんなラビにむっとする。
「私は人間よ?獣人のことに詳しくなんかないわよ。ただでさえあの人、耳とかしっぽとか出してないじゃない。わかるわけないじゃない」
「確かに、陛下っていつも人間の格好をしていらっしゃいますよね。どうしてかしら」
ベイズは首をかしげる。するとラビが、ああ、と口を開く。
「耳と尻尾を隠しているのは、いつでも冷静な証、って皆言ってるよ」
「…ああ!なるほど」
ベイズは納得したように両手を合わせる。セナはよくわからずに首をかしげる。
「…どういうこと?」
「ええとですね、獣人は…」
ベイズはそう言うと、自分の頭についた角を両手でごしごしとこすった。すると、彼女の角は姿を消して、人間の姿になった。セナは目を丸くする。
「ああっ!可愛いベイズの角が…!」
セナが残念そうに言うと、ベイズは、ふふ、と微笑んだ。
「獣人は、こうやって角などを隠せるし、完全な獣の姿になることもできるんです。でも、角を隠し続けるのは容易ではないんです。心が激しく動くとすぐ出てしまいますしね」
「だから、常に耳と尻尾を隠している陛下は冷静だって周りから見られてるわけ。陛下も、感情的でなく理性的な皇帝だっていうアピールを周りにしてるんだと思うよ。まあ、一般の獣人にとっては無理に耳とか隠す必要もないし、獣人の姿でいる人が多いよ。獣の姿も楽だけど、まあ、帝国での生活がしやすいから、完全な獣じゃなくて、獣人の格好でいるのを皆選んでるかな」
ラビはそう言うと、完全なウサギに姿を変えた。ラビはひょこひょことセナの周りを飛び跳ねてみせた後、元の姿に戻った。セナは目を輝かせてラビを見つめる。
「かかか、可愛い…!ねえお願い、もう一回うさぎになってみて…!」
「やだよ。ねえセナ、それより早く朝食、食べちゃって」
「…はあい…」
ラビに断られたセナは残念そうな顔で朝ごはんを口に運んだ。ベイズはそんなセナを見つめてにっこりと微笑んだ。




