2-2ご令嬢は皇帝に嫌われたい
部屋から出て廊下を歩いていってしまうメイドたちの足音を聞きながら、セナは硬直した。
「(…今からあの皇帝がここに来る…ということ?)」
混亂しながら、セナは、あのメイドたちの言っていた言葉を思い出してそんなことを理解する。
セナは腕を組み、ベッドに腰掛けた。
「(…そういえば皇帝は、私が献上されたとわかっているのかしら?アナスタシア様が来るものだと思い込んでいたとしたら…)」
王国の城にて、国王たちが話していたことをふと思い出して、セナに一抹の不安がよぎる。
「(嫌われる前に即返品されたら、家や国に仕返しできないのでは…?)」
部屋に来て自分の顔を確認した皇帝が、アナスタシアではないのかとがっかりする顔を思い浮かべてセナは深く傷つく。アナスタシアと比べて自分はかなり確が落ちると、自分では言いたくないけれど王国での扱いから、セナはそう思わざるを得なかった。お前じゃない、と言われそうな気がしてならないし、そう言われることがかなり恐ろしく思えた。
このまま返されたのでは、復讐もなにもなく、ただただ行き遅れ令嬢の情けなさが国に広まるだけである。
自分を笑っていたあの日のアレックスたちの言葉を思い出して、セナは腹の底からムカムカとする。
彼らの予想通りにはなりたくないセナは、どうしたらいいか考える。しかし何も思いつかない。
「(メイドたちの様子だと、もう皇帝が来るまで時間がない…)」
慌てたセナは、取り敢えず立ち上がる。そして、何か手段はないかとあたりを見回す。焦りからか、人生の経験不足からか、何もいいアイデアが浮かばない。
セナはどうしたらいいか全く思いつかないまま、部屋からベランダに出た。そして、真っ暗になった夜空を見上げた。ベランダの手すりに手を乗せて、ふと、下をのぞき込む。
「…逃げちゃおうか」
ぽつりとセナはそんなことを呟く。考える時間がないのなら作ればいい。これからどうしたらいいかは、逃げながら考えたらいい。
セナは寝間着のまま体を手すりの上にぐっと乗り出した。
「…さすがに高すぎて無理かな…」
自分がかつて閉じ込められていたお城の塔よりは低いと言え、何の鍛錬もつんでいない人間が無事におりられる高さではない。セナは少し考えながら、いや、もう少し現実的な案があるかもしれない、とやっと思い直す。
が、しかし、乗り出した体が、そのまま地面に吸い込まれるようにするりと落ちた。あ、あ…、と慌てている間に、セナの体はベランダから落下した。
「(こんな形で死ぬなんて…)」
セナは、まだ誰にも復讐できていない悔しさに歯を食いしばる。このままでは死んでも死にきれない。そんな無念を噛みしめていた時、セナの体が地面に叩きつけられる寸前で、何かが絡みついて宙吊りになった。
「…あ…え?」
セナは何が何か分からないまままばたきを繰り返した。自分の体には、白く太い、冷たい何かが絡みついている。逆さまの体勢で宙吊りになったセナは、そのままゆっくりと上に引き上げられ、そして元いたベランダに戻された。そして、白い何かはするするとセナの体から離れた。
「い…生きてる…」
セナは自分の頬や体をぺたべたと手で触ったあと、深い息を吐いた。そして、白いものが動くのを目で追った。その白い何かは、ベランダの前に生えている大きな木にしゅるしゅると絡みついていく。その何かを見て、セナは目を丸くした。
「へ……蛇?」
なんと、見たことがないほど大きい白蛇が、その木に絡みついていた。どうやら、この蛇に自分は助けられたらしい。
大蛇は木に体を巻き付け直すと、ゆっくりとセナの方に顔を近づけた。その顔の大きさだけでもセナの体より大きそうである。大蛇は赤い瞳でセナをじっと見つめる。セナは大蛇を呆然と見つめ返す。
「(…蛇の目って、なんだかかわいいわよね…鼻も…)」
セナは、大蛇を見つめながらそんなことを考える。大蛇は細長い舌を出し入れして、こちらの様子をうかがっている。セナは、はっとしたあと、手すりを掴んで、なるべく蛇のそばに顔を近づけた。
「ねえあなた、助けてくれてありがとう!でも私、下に降りたいの。もう一度、さっきしてくれたのと同じように、あなたの体を使って私を下におろしてもらえないかしら?」
セナはそう大蛇に頼んだ。大蛇は頭を動かして、少し驚いたような様子を見せた。セナは、お願い!と大蛇に懇願した。
「私を下におろしてほしいの!」
「なぜ下に降りるんだ?」
「ここから逃げるためよ!」
「逃げてどうする?」
「そ、それは、…それを逃げながら考えるのよ!とにかく早く私を…え?」
セナは、聞こえた声が目の前の大蛇から発せられたものではないと気がつくと、目を丸くして肩を揺らした。そして、はっと息を呑むと声の方を振り向いた。そこには、あの日会ったアースガルズ帝国の皇帝が立っていた。
「あ…」
相変わらずの威圧感に、セナは怯える。皇帝はセナの後ろにいる大蛇の方を見上げた。
「ヨル、助かった」
皇帝がそう言うと、ヨルと呼ばれた大蛇は長い舌を見せたあと、木の方に体を戻し、そして木から降りると暗闇に消えていった。セナはいなくなってしまった大蛇に、あっ、と声を漏らす。
「(た、頼みの綱が…!)」
「逃げても無駄だ。この国に人間はほとんどいない。街に出たらすぐ見つかって騒ぎになって、連れ戻されるだけだ」
皇帝はセナを見下ろして冷たい目で言う。セナは彼のその目線と、大きな体に怯んで目をそらす。獣人であるはずの彼は、見た目は特に人間と変わらず、それがどこか恐ろしくセナには見えた。
「(…お父様とお母様は、男は恐ろしい生き物だと言っていた。…でもあれはただの方便。献上品としての私が傷物にならないようにするための嘘…)」
そうはわかっていても、20年ほど教え込まれてきた教育をすぐにアップデートすることは難しく、セナは、目の前の人物が゛男゛であるというだけで、ひどく恐ろしく思えた。いっそこの城で見た他の獣人たちみたく、耳や尻尾があれば緊張も和らぐのではないか、とすらセナは思った。
「…ここまでの旅路、長かっただろう」
低い声が耳に響き、セナはまたさらに恐ろしくなる。セナは目を泳がせた後、口がろくに動かなかったので、小さく俯いた。
すると男は、そんなセナの顎の下に手を入れて、視線を無理矢理自分の方へ動かした。セナはされるがままに彼の目を見つめる。
「…名は?」
男の問に、セナは震える唇を動かして、やっとの思いで、セナ…、セナ・シュタイン…、と返した。男はセナの目を見つめて、セナ…、と呟いた。
「俺はフェンリルと言う。…好きに呼んだらいい」
「ふ…、フェンリル…」
セナはよく考えもせず、彼から言われたまま言葉を鸚鵡返しした。フェンリルはそんなセナの瞳をまっすぐに見つめた。吸い込まれそうなほど綺麗な赤い瞳に、セナは一瞬時を忘れる。
フェンリルは、顎の下に置いた手を、頬にずらした。大きくて冷たい手に、セナはぱちぱちとまばたきをする。そんな彼女を見て、フェンリルはほんの少し口元を緩める。
夜風がセナの髪を揺らす。背中が異様に冷たくて、緊張から冷や汗をかいていたのだとその時にセナは気がついた。
「(…あんまり顔を見られたら、アナスタシア様じゃないと知られる…、いやもう無理か、知られちゃってるわよねさすがに…)」
セナはどうしようもない状況に絶望する。フェンリルは何も言わずにじっとセナを見ている。ここまでじっくり見られていては、もう誤魔化しようがない。
「(もし即返品となったら、いまこの場で失礼なことをしてやろうかしら。相手を怒らせるに足るようなこと。…どんなことがあるかしら…)」
セナはアイデアをひねり出しながら、ふと、ほぼ初対面の人に、家や国に復讐するために不快にさせるような行動をとるというのはさすがにあんまりだろうか、と思い直す。
「(…いやいや、相手は最低な男よ?妾がたくさんいて、それでも王国へ女性を献上するように申し付けてきたような下衆な男。何も気にかけなくたっていいに決まってる)」
セナはそう思い直して、心が戦闘態勢にはいり、眉をひそめてぎっと目の前の男を睨みつけようとした。
するとセナが睨みつける前に、フェンリルは彼女から手を離すと体をかがめた。そして、彼女を軽々と横抱きにした。
「わっ!わっ!!」
突然のことに驚くセナを無視して、フェンリルはセナを抱き上げたまま部屋に入った。そして、セナを優しくベッドの上に置いた。セナはベッドに座り込んだまま呆然としていた。
すると、フェンリルもベッドの上に乗り込むと、セナの前までやってきた。そして、自分の上着のボタンを1つ2つと外し始めた。セナは、目の前の男性が服を脱ぎ始めたことに動揺して目を手で覆った。
「(…な、なに、なになになに…!!)」
「…こんな形で番になるのは俺も不本意だが、我慢してくれ」
上着を脱ぎ、次は白いシャツのボタンを外し始めたフェンリルの言葉に、セナは、え、と声を漏らす。
「(…つがい………不本意…?)」
゛番゛の意味はよくわからなかったが、セナは不本意という言葉がひっかかった。夜に服を脱いだ男女がベッドの上ですることは、さすがのセナにもわかる。それが彼にとっての不本意なこととはどういうことか。
「(…私が、年齢の過ぎた哀れな令嬢だったから…)」
王国で笑われていたことを思い出して、セナはつい頭がかっとなる。セナはベッドにつけていたお尻を上げ、片ひざを立てた状態でフェンリルを睨んだ。
「ちょっとあなた、不本意っていうのは…」
そう文句を言った瞬間、ベッドの柔らかさにバランスが取れず体が前方に倒れた。そんなセナを、フェンリルが抱きしめて支える。
「(…大きい…力が強い…)」
セナは、自分の身体がすっぽりとうまるほど大きなフェンリルの体に、恐怖から硬直した。きっと自分が必死で抵抗しても力では敵わないであろうことがひしひしと感じられて、それが恐ろしくてセナは頭が真っ白になる。
「(…怖い…)」
セナの顔がどんどん青ざめていく。恐怖で身体が震えて、変な汗が身体の至る所から流れ落ちる。
男は恐ろしい生き物だ。
そんな教えは、自分を良いように利用しようとした人たちの都合のいい狂言だと、わかりきっていてもセナは、どうしようもなく今、恐ろしくてたまらなかった。
「……」
フェンリルは無言のまま、セナからゆっくり体を離した。そして、手をゆっくり彼女の頬に添えた。フェンリルの赤い瞳はまっすぐにセナを見つめている。
「…セナ」
フェンリルは名前を呼ぶと、セナの唇に自分の唇を当てた。突然のことに、セナは目を丸くする。フェンリルはセナの肩を手で掴むと、そのままベッドに彼女を押し倒した。
セナを組み敷いたフェンリルは、一度唇を離してすぐにまたキスをした。セナは恐怖から体が硬直して、上手く体が動かせない。
「(…動かせたとしても、勝てない…)」
そんな考えが頭によぎると、全身が震えた。
フェンリルの唇がセナの首筋を這う感覚。フェンリルの手がセナの着ているものを脱がしていく感覚。肌に触れる指先の感触。それら全てが怖くて、セナはぎゅっと目を閉じる。
その時ふと、自分の首に何やらふわふわのもふもふが触れたことに気が付き、セナは、はっと目を開けた。感触のした方向に視線をやると、フェンリルの頭から、黒色のふわふわした耳が現れていた。
「あっ、…」
ついセナはそんな言葉を漏らしていた。すると、その言葉を聞いたフェンリルが、ばっと上半身を彼女から離して、自身の頭にある耳に触れた。セナはぼんやりと彼を見つめる。黒くてふわふわのしっぽもでていて、セナはつい凝視してしまう。
「……」
フェンリルは何やら悔しそうに眉をひそめた後、髪を乱暴に手でぐしゃぐしゃにした。すると、その間にさっき確かに見えていた尻尾と耳はなくなっていた。
「(えっ、しゅ、収納できるシステムなんだ…!)」
「…今日は止めておく」
フェンリルはそうぶっきらぼうに言うと、乱れた自分の格好を直した。そして、セナの方は見ずに部屋から去って行ってしまった。
残されたセナは、乱れた服もそのまま、わけがわからず、しばらく呆然と寝転がっていた。




