2-1ご令嬢は皇帝に嫌われたい
そうしてセナは、満面の笑みを浮かべる両親に見送られて、生まれてからこれまで過ごしてきたガーデラス王国を出た。長い長い馬車での旅を経て、ようやくセナは、獣人の国、アースガルズ帝国に到着した。
「(…ああ…体中が痛い……)」
馬車から降りたセナは、すっかり精神と肉体を弱らせていた。
帝国の城に到着したセナを出迎えたのは、メイド服を着た、羊のような角があること以外は人間と変わらない姿をした数人の女性だった。セナは見慣れない見た目の彼女たちにまばたきを繰り返す。
「(…本当に来ちゃったんだ…。獣人の国…)」
セナはまじまじと彼女たちを見つめる。そして、口元に手を当てた。
「(…か、かわいい…!羊の獣人だ…!)」
彼女たちのくるくるつやつやとした角が可愛くて、セナは胸が高鳴る。
そんなセナを、メイドたちは冷たい目で一瞥した。セナは嫌なふうに心臓がどきりと鳴った。
「…こちらです」
メイドはそう冷たく言うと歩き出した。セナは一瞬固まった後、は、はい…、と言って彼女たちの後ろを歩き始めた。
「(…そうよね、じろじろ見すぎて失礼だったわよね…)」
セナは心の中でそう反省した。
黙って彼女たちの後を追いかけながら、セナは帝国の城の中をきょろきょろと眺めた。立派なお城で、王国のものとはまた少し造りや雰囲気が違うように感じた。
そして、城内を歩くのは、当然ではあるけれど、皆耳や尻尾をつけた獣人ばかりであった。物珍しさにセナはすれ違う人たちをじっと見つめてしまう。
「(…って、だめだめ、見すぎたら失礼…)」
「こちらです」
突然メイドたちは立ち止まった。セナも慌てて立ち止まった。メイドの一人が、部屋の扉を開けた。そこは、家具などもちゃんと準備された、大きな部屋だった。
「わあ…」
セナは目を輝かせてその部屋を覗く。メイドは、どうぞ、とそっけなく言うと、部屋へ入るよう促した。セナは遠慮がちに部屋に足を踏み入れた。
「(…すごい、きれいなお部屋…)」
「それでは、失礼いたします」
メイドたちはそう言うと、部屋の外へ出て扉を閉めようとした。セナは慌てて、ま、待ってください!と彼女たちを呼び止めた。
「あの私…、ここでどうしたら…」
「どうぞお好きに」
メイドは冷たい目でそうぴしゃりとセナに言い放つと、音を立てて扉を閉めてしまった。しんと静かになる部屋に、セナはたった一人取り残される。
ふと、廊下からメイドたちの話し声が聞こえて、セナはそっと扉を開けた。すると、廊下を歩く彼女たちがくすくすと嫌な笑い声をあげているの姿が見えた。
「陛下にあの部屋に通せって言われたから一応通したけど…、本気であの人間を番にする気なのかしら」
「まさか。あの陛下がそんなことするわけないわよ。臣下に下げ渡すおつもりなんじゃないかしら。ああいうちんちくりんが好きな男も稀にいるらしいし」
「まあ…、人間ってだけで希少性はあるから」
「私には理解できないけど」
ふふ、と笑いながらメイドたちは去っていった。セナはその背中を呆然と見つめる。
「つがい…?さげわたす…?なに…??」
セナはわけがわからなさすぎて頭が痛くなり、部屋の扉をそっと閉じた。そして、寝心地の良さそうなベッドにダイブした。
「(…なにがなにかわからないけど、人間と同じく獣人の男も最低だってことと…、…獣人も人間と似たような陰口を叩くんだなってことは…わかった…)」
セナは枕に顔を埋めて深い深いため息をつく。王国で散々笑われてきたことを思い出して、腸が煮えくり返る。セナは、ばっとベッドから起き上がると、ふんっ、と鼻で呼吸をした。
「とにかく私は、さっさと皇帝から嫌われる!嫌われて、家に返されて、お父様とお母様の面目とやらを丸潰しにする!王国と帝国との関係も悪くして、国王やアナスタシア様たちを困らせる!!私を良いように使ったこと、後悔させてやる!!ぎゃふんと言わせてやる!!」
セナは、そんな強い意志を心に刻みながら、よしやるぞ!と意気込んだ。
いつの間にかセナはベッドの上で眠っていた。はっとして起き上がると、窓の外は夕暮れになっていた。
「…おなかすいた…」
セナは、ぐうと鳴るお腹をさすりながら、あたりを見回す。朝ここに着いてから、朝食も昼食も出してもらっていない。
「お夕食はいつなのかしら…」
セナはひもじい気持ちで、恐る恐る部屋の扉を開けた。廊下をせわしなく歩くメイドたちの姿が見えて、セナは、あ、あの…、と声をかける。しかし、誰もその声を聞き入れてくれない。見向きもされない。
「(…い、いないものにされている…?)」
セナは扉のドアノブを握りしめたまま、自分をスルーして去っていくメイドたちの背中を見つめる。
「(…私は異国から連れてこられた人間だから、かなり立場が弱いのかな…)」
ぐう…、と鳴るお腹を感じながら、セナは心細い気持ちで扉を閉じようとした。すると、あっ、という声が聞こえた。はっとして顔を上げると、メイド姿の女性がセナの方を優しい瞳で見つめていた。
「あ…」
セナは目を丸くして彼女を見つめた。銀髪で少しくせっ毛で、黒目がちな瞳をした、羊の角を持つ彼女は、セナと目が合うと目を細めた。
「目が覚めましたか?」
「あ、あの…」
セナが、最初に会ったメイドたちの対応を思い出して少しおどおどとしていると、彼女はにこりとほほえんだ。
「今から何かお持ちしますね。…その、軽食しか用意できませんが…」
メイドは、ほんの少しだけおまちください、と声をかけて、セナの前から去った。セナはしばらく呆然と彼女の背中を見つめていた。
少しの間待っていると、扉がノックされた。扉を開けると、先ほどのメイドがトレーを持って部屋に入ってきた。メイドはセナを椅子に座らせると、テーブルの上にサンドイッチとフルーツ、そして紅茶を用意した。
「こんなものしか用意できなくてごめんなさい」
「あの、私…」
「あら、なにか苦手なものがありましたか?」
メイドは大きな瞳を心配そうに揺らしてセナを見つめた。セナは少し目を丸くした後、い、いえ…、と頭を振った。
「(…優しい…)」
セナの胸の奥が、きゅっと締まるのを感じた。本当に久しぶりに人に優しくされたような、そんな気持ちになる。セナは目の奥から涙がこみ上げるのを感じて、それを留めようと固く口を閉じた。
すると、セナのお腹がまたぐうと音を立てて鳴った。セナは頬を赤く染めてお腹をさすった。そんなセナを見て、メイドは口元に手を当てておっとりと微笑んだ。
「どうぞ召し上がれ。紅茶は熱いですから、お気をつけくださいね」
「あ、あの…」
「それでは、私は失礼いたします」
メイドはそう言うと、セナに一礼をして部屋から出た。セナは彼女が出ていった扉を見つめた。
「…お礼が言えなかった…」
セナは、優しい彼女の声や雰囲気を思い出しながらそんな後悔をする。その時にまた、セナの空きっ腹が音を立てた。セナは、ありがとうございます、ともうこの場にいない彼女にお礼を言って、サンドイッチを頬張った。
空腹が満たされたセナは、またうとうとと眠たくなってきた。外はすっかり暗くなっていて、することがないセナはもう寝てしまおうかと考えた。
すると、扉が勢いよく開いた。驚いて扉のほうを見ると、朝のメイドたち数名が慌てた様子でセナの周りを取り囲んだ。セナは身構えて彼女たちを見つめる。
「な、なに…、何ですか…?」
「早く、お風呂に入ってください!」
「おふろ…?」
「陛下が今からこちらにみえます!」
メイドたちは慌ててセナの背中を押して風呂場に押し込んだ。セナはわけがわからないまま彼女たちを見つめることしかできない。
メイドたちは、恥ずかしがる暇がないほど俊敏にセナの服を取り払うと、ためかけの湯船にセナを突っ込んだ。そして、数人がかりでセナの体中をごしごしと洗い始めた。
「いっ、いだっ!いだだだだっっ!!」
「大人しくしてください!」
「時間がないんですから!」
メイドたちは荒々しくセナの体を隅々まで洗っていく。セナはその激痛に悶えながらされるがままになるしかなかった。
「(…これまでで味わったことがないほど苦痛なバスタイムだった…)」
寝間着に着替えさせられたセナは、メイドたちに髪を乾かされながら、先ほどの痛みに耐えぬいただるい身体でぼんやりとしていた。
「こっちは終わりました」
「私も」
「よし、なんとか間に合ったわね」
メイドたちはそう言い合うと、セナから手を離した。セナは彼女たちの方を見た。メイドたちは各々顔を見合わせると、解せない、とでも言いたそうに眉をひそめた。
「どういうおつもりなの?陛下は」
ねえ、と嫌味をこめた声で言った後、メイドたちは部屋から出た。セナは、あの…、と彼女たちを呼び止めたが、彼女たちはすんと無視をして去っていってしまった。
「…今から、何が起こるの…?」
セナは、あるはずのない返事を求めてそう声を漏らした。




