8-2ご令嬢はいっそ消えてなくなりたい
森から、セナとフェンリルとヴァーリは無事城に戻った。
セナは、髪が切られた以外は目立った外傷がなかったけれど、ほかの二人はかなりの重傷で、懸命な治療がされた。
治療の結果2人がなんとか無事だった、という知らせを聞くまで、セナはずっと自室に閉じこもっていた。
2人が無事だった知らせを聞いたセナは、フェンリルのもとに向かった。部屋には医師や執事たち、そして臣下たちが数名フェンリルが眠るベッドの周りを囲んでいた。
セナの姿に気がつくと、フェンリルは部屋にいた者を皆外へ出した。
セナはゆっくりと、ベッドに横たわるフェンリルのそばに向かった。身体中傷だらけで痛々しいその姿に、セナは息が詰まる。
セナは、謝らなくては、と口を動かそうとするけれど、胸が詰まって言葉がうまく出なかった。そんなセナよりも先にフェンリルが、悪かった、と謝罪した。セナは目を丸くして彼を見つめた。
フェンリルは、包帯が巻かれた自分の手を見つめた。傷だらけの指を眺めると、彼はそっと目を伏せた。
「…俺が恐ろしかったんだろう。だから逃げ出したりした」
フェンリルの言葉に、セナは昨日のことを思い出す。自分につけられた傷のことを考えながら、セナは、頭を横に振った。そんなセナを見たフェンリルは、また目を伏せた。
「…俺は君とは違う。獣人には人間と違って鋭い爪があって、牙があって、それらで君を傷つけてしまう。…もとより君が狼の獣人を怖がっていたことは知っていたのに、俺は自分で自分をコントロールできなかった。王国にずっといられたなら、君はこんな目には遭わなかった。謝罪の言葉もない」
フェンリルは一度口をつぐんだ後目を閉じて、そしてゆっくりとセナの方を見つめた。
「…王国に、帰るといい。君の傷は責任を持って治す。それが癒えたら、城から解放する。…本当はもっと前から、君を手放せたらよかったんだ」
フェンリルにそう言われて、セナは体の力が抜けたような気持ちになる。これで復讐ができるという喜びの気持ちなんかちっとも感じずに、ただただ気落ちした様子のフェンリルが謝罪する姿に胸を締め付けられた。
セナは、また頭を横に振って、違う、と言った。
「あなたが恐ろしかったわけじゃない。私は…自分のせいでたくさんの人に迷惑をかけて、その事実に向き合えなくて、逃げ出した。外がどれだけ恐ろしいかも考えず。…そうしたらまた更に迷惑をかけてしまった…」
「…」
「それに、前のことなら、自分とあなたたちとの違いを、きちんと理解していなかった私が悪い。前に痛い目を見たくせに繰り返してしまった。あなたの本質が優しいことはわかっていたし、あの時期はあなたのそんな本質さえも蝕むことをわかってた。気が立っているあなたに対して、火に油を注ぐようなことを意図的にした私が悪い」
フェンリルは静かにセナを見上げた。セナは一度深く呼吸をしたあと、あのね、とフェンリルの目を見て口を開いた。
「私、あなたの探していた人ではない。人違いなの」
セナはそう意を決して告げた。フェンリルは目を丸くしてセナを見つめる。セナは苦しそうに唇を噛みしめる。
「そのことを知っていて、あなたに言わなかった。…私はずっと、…ずっと、祖国や家に復讐がしたかったから。だからあなたの気持ちを利用した。あなたを怒らせたら、国との関係が悪くなって、そうしたら、国にも家にも仕返しができると思っていたから。最後に人違いだと明かせばそれであなたのことを傷つけないで済むと考えてしまった。…最後に嘘だと明かしたところで、騙していた間にあなたが傷付いた事実は消えないのに…」
セナは申し訳なさと罪悪感で体が押しつぶされそうになる。何度も呼吸を繰り返して、言葉だけはしっかり紡ごうと努力した。
フェンリルは暫くの間黙った後、ゆっくりと口を開いた。
「…なぜ、復讐を?」
「…」
セナは目を伏せて、お腹の前で組んだ両手を何度も握り直す。
「…数年前、やっと外に出してもらえた時、怖かったけどでも、とても嬉しかった。これから私は、知らなかったことをたくさん知れて、経験できる。この世界で生きていけるんだって。…でもある日、周りが私のことを冷笑していることに気がついた。私は、同世代の人たちがしていたように、素敵な人と恋愛をして、色んなところにお出かけしたり、お話をしたり…。そんなことを夢見ていたけれどでも、もうそんな年じゃないって、周りに言われた。おかしいと思った。私は国のために、巡り巡ってあなたたちのために20年間も閉じ込められてきたのに、なぜそんなことを言われなくちゃいけないのか。笑われなくちゃいけないのか。自分の親も親で、家の利益のために私の人生の大切な時間を、狭い部屋で浪費させることを選んだ。仲が良かったと思っていた人も、好きだった人も、皆私を馬鹿にしていた。私は彼らが、王国が、とてもじゃないけれど許せなかった。だから復讐することにした。…あなたを利用して」
セナは一度唇を噛み締めた。復讐した後の世界でどんな顔をして生きていけばいいのか、今更セナは思いつかない。帝国との関係が崩れれば国の情勢は変わる。自分が身を置くことになる家の状況も変わる。自分が原因で豹変した生活の中で、平然と生きていく勇気も度胸もなさそうだと、今になって理解する。
「(…そもそも、こんなことをして国に帰らされたなら、祖国で速攻処刑されるな…)」
「…つまり君は、国に帰りたかったというよりも、俺によって国に帰されることで国に復讐したかった、と」
「…はい」
「恋人がいるから国に帰りたい、と言っていたのは?」
「…そんなことを言った記憶が…」
セナは少し考えた後、以前ラビにそんなようなことを聞かれて、国への復讐と言えずに適当に肯定したことを思い出す。
「(…もしかしてあの話か…)…あの、…国に復讐するなんてとても言えずに、咄嗟に嘘をついたんだと思います…。ごめんなさい…」
「…」
フェンリルは目を丸くしてセナを見る。セナは申し訳なさから目を伏せて、本当にごめんなさい、と頭を下げた。
「…こんな私を、助けに来てくれてありがとう。…早く傷が良くなるように、祈っています」
セナはそう言ってもう一度頭を下げると、フェンリルに背中を向けて部屋を出た。




