8-1ご令嬢はいっそ消えてなくなりたい
ラビに連れられて自室に戻ったセナは、待っていたベイズに手当てをされた。体の至る所に引っかき傷や噛み跡があるセナの体を見て、ベイズはかなり動揺していたようだけれど、顔には出さず、ただ淡々と手当てをした。
手当てを終えると、ラビは、早く寝たほうがいいよ、と言うと、ベイズを連れて部屋から出ていった。
部屋に一人取り残されたセナは、ソファーに腰掛けてぼんやりとしていた。
「(…私がヴァーリの部屋に行ったと明かしたとき、フェンリルは特に驚いていなかった。…もしかして、全部知っていて、ヴァーリの証言を受け入れた…?) 」
そんな考えが浮かび、セナははっとする。
「(…初めてジャスミンに会った日、母国に好きな人がいるから、国に帰りたがっているんだとフェンリルは私に言っていた。王国を招いたパーティーの日に、私自身も国に返してほしいと彼に言ってしまっている。私の彼に対する反抗的な行動は、国に帰るためだと彼は知っていた。…この件も、国に帰りたいから起こしたことだと知っていて、ヴァーリの証言を全て受け入れて、私のことは不問にしようとした)」
フェンリルに自分を手放す気はないんだと知り、セナは頭を抱える。
「(…もう駄目だ。人違いをしていると明かすしかない。…でも、あの時期に会いにはいけない…。いつ終わる…?)」
セナは考え込む。ラビが前に、2週間ほど続くと言っていたから、長くてもあと1週間は直談判しにいけない。
「…私のせいで、ヴァーリは牢に入れられて、フェンリルをあんなに怒らせて、ラビにもベイズにもあんな顔をさせて……」
セナはまた頭を抱える。罪悪感と不安感から、気持ちが悪くなる。
「(あと、1週間…、この陰鬱とした気持ちでいなくてはいけないなんて…)」
吐きそうなほど胸が苦しくなりながら、こんな心臓で、国や家に復讐を終えた後生きていられたわけがないと悟る。
セナは、夜風にあたりたくてバルコニーに出た。手すりに顎を乗せて、ぼんやりと外を眺める。
「…逃げちゃおうか…」
セナは、手すりから体を乗り出して下をのぞき込む。
「(…逃げてもすぐ捕まるだろうか…。だとしてもこのままこんな気持ちでここで待っていられない…。もういっそ、消えてなくなってしまいたい…)」
セナの目にじわじわと涙が浮かんだ。復讐だとか、罪悪感に押しつぶされそうだとか、こんな人生を歩みたいわけではなかった。ただ普通にしたかった、それだけなのに。
セナは顔を上に向けて涙を引っ込ませると、一度深呼吸をした。そして、意を決してバルコニーから飛び降りた。
目を閉じて地面に飛び込んだセナだけれど、なんとか体は無事だった。運よく植込みの上に体が落ちたようで、衝撃は最小限に抑えられたらしい。
セナは体についた葉っぱを払い、植木にごめんなさい、と頭を下げ、また歩き出した。
出口を探し、兵士たちから身を隠し、セナはなんとか城の外に出た。
城から歩いていくと、街が見えた。真夜中のため、家の明かりがついているところはなく、外に人はいなかった。セナは、静かな街を歩きながら、昼間の賑やかな景色を想像した。
ここに来た初日、今日のように逃げ出そうとした時に、街に人間がいたら騒ぎになってすぐに見つかる、とフェンリルから言われたことを思い出し、セナは急ぎ足で街を歩いた。
ずいぶん長い時間街を歩いていたら、森の前に来た。森は薄暗く鬱蒼としていたけれど、ここなら身を隠せると思い、セナは森に足を踏み入れた。
落ち葉を踏む音が響く、星の光もほとんど届かない暗闇を、セナは用心深く歩く。気がついたら足を踏み外して崖に落ちていた、ということが平然と起こりそうで、セナは緊張するが、しかし、それでもいいか、とも思ってしまう。とにかくセナは、ここじゃないどこかへ逃げたかった。
すると、背後から足音が聞こえた。はっとしてセナは振り向く。誰だ、と身を固めていたら、赤毛の狼が走ってこちらにやってきた。
「おい人間!何やってる!!」
「えっ、ヴァーリ…?」
四足の狼は、なんとヴァーリだった。セナは目を丸くして彼に近づく。
「ど、どうしたの?なぜここに?」
「幽閉されてる塔から、お前が出てくのが見えたんだよ。見張りをすり抜けて来たけど、俺は直に捕まる」
「えっ?!つ、捕まる前に戻らなくちゃ!」
「もう抜けてきた以上駄目だ。どうせ処刑だ」
「あっ、えっ…」
セナは動揺して唇を震わせる。ヴァーリは、俺は良いから、と、セナの服の袖口で引っ張る。
「ここは無法の地だ。お前みたいな無力な人間はすぐに殺される。早く戻るぞ」
「で、でも、戻ったらあなたが処刑される…。ただでさえ私を庇って閉じ込められたのに…。そもそもなんで私を庇ったのよ!」
セナはヴァーリにそう訴える。ヴァーリは、うるせえ、と吐き捨てる。
「レティのことをお前に頼みたかったからだよ」
「レティを…?」
「わかったら、早く城に帰って…」
ヴァーリはそう言いかけて、言葉を止めた。セナの袖から口を離し周りを見回した。セナは、え?と首を傾げて辺りを見回す。すると、四方から足音がした。セナは肩を震わせて、ヴァーリの側に寄る。暗闇の中から、体の大きな熊が8頭、姿を表した。
「あっ…!」
セナは、口元を手で押さえて絶句する。明らかに味方ではなさそうな風貌な彼らに囲まれて、セナは恐怖で足を震わせる。
熊たちは、セナを舐めるような目で見回したあと、ふん、と鼻を鳴らした。
「…人間か、高く売れそうだな」
「まて。赤毛のはヴァーリじゃないか?」
「なんで皇帝の兄がここにいる?」
「追い出されたんじゃないか?前から城の全員から嫌われていたらしいからな」
くつくつ、と熊たちは笑う。ヴァーリは彼らを冷静に見据える。
「…俺らは城に帰るところだ。この人間は、ガーデラスから皇帝に献上された人間だ。下手なことをすると、お前たちの命がないぞ」
ヴァーリの言葉に、熊たちは顔を見合わせる。そして、ゲラゲラと笑い出した。
「それは…良いことを聞いたな」
「付加価値がついて更に高く売れそうだな」
熊たちはそう言うと、一歩、また一歩とセナとヴァーリに近づく。セナは恐怖から頭が真っ白になる。ヴァーリはセナの隣に立ち、相手の様子をうかがうと、1頭の熊に目をつけて飛び掛った。ヴァーリに噛みつかれた熊は雄叫びを上げてヴァーリを振り払おうとする。がしかし、ヴァーリは鋭い牙をさらに食い込ませていく。
「こいつ…!」
周りにいた他の熊たちが、ヴァーリに襲いかかる。ヴァーリはそれをするりと避けて、どんどん熊たちに食らいつく。
すると、その戦いに混ざっていなかった熊が、背後からセナに手を伸ばした。セナははっとして振り返る。駄目だ、と思った瞬間、ヴァーリがその熊に突進をした。熊はよろめき、セナから距離を取った。その隙に、ヴァーリはセナの袖を口でつかんで走り出す。
「まて!!」
そんな声を背中に受けながら、セナはヴァーリに引っ張られて走った。
必死に熊たちから逃げていた時、ヴァーリが急に倒れ込んだ。セナはしゃがみこみ、ヴァーリの頭を撫でる。
「ヴァーリ?」
彼の体をよくよく見ると、先ほどの熊たちとの戦いで傷だらけになっていた。ぜいぜいと苦しそうな息をするヴァーリは、俺のことはいい、とセナに言った。
「もうすぐ森を抜けられる。俺を置いて走れ」
「でも、」
「俺は生きて帰っても処刑されるだけだ。お前は生きて帰って、…レティを助けてやってくれ…」
ヴァーリは、そう息絶え絶えの様子で言った。セナがどうしていいかわからなくなっている間に、熊たちがこちらへ来る音が聞こえた。ヴァーリは、早く!とセナに怒鳴った。
セナは、ヴァーリの赤毛の頭をなでた後、ヴァーリの前に両手を広げて立った。ヴァーリは薄っすらと瞳を開けながら、馬鹿野郎…、と苦々しくつぶやいた。
「ねえお願い、私はあなたたちについていく。だから、彼は見逃して、お願い」
セナはそう熊に呼びかけた。熊はお互い顔を見合わせると、また大きな声で笑った。
「生憎、そんな取引は受け付けない。そこの皇帝の弟も十分に価値がある」
「あ?兄だろ?」
「兄の訳あるか。だったら皇帝になってるだろ」
熊は意地悪くそう言うと、声を上げて笑った。セナは、彼らに眉をひそめる。
「話が通じる奴らじゃない。わかったなら早く…」
ヴァーリがそう話しだした瞬間、熊はセナの目の前に来て、そしてヴァーリを思い切り蹴飛ばした。セナは悲鳴を上げた後、地面に体を打ち付けられたヴァーリの元へ向かおうとした。がしかし、そんなセナの髪を熊が掴んだ。
「い、痛い!」
「お前はこっちだ」
熊はセナの長い髪を引っ張ると、自分の方へ引き寄せた。その痛みに、セナは顔をしかめる。
「は、離して!離して!!」
セナは手で自分の髪を引っ張って痛みを和らげようとする。そんなセナを見て、熊たちはゲラゲラと笑う。
「金持ちの変態に売るか、ゲテモノの娼館に売り飛ばすか…」
セナの髪を掴む熊は、セナを舐め回すように見ながら、低い声でそう言った。セナは、息が詰まる。
もう駄目だ。恐怖に硬直する体を抱えながらそう察した、その瞬間、1頭の熊がその場に倒れ込んだ。その方に視線をやるとそこには、斬られた傷に悶え苦しむ熊と、剣を持ったフェンリルが立っていた。
「あ…」
セナは目を丸くして固まる。周りの熊たちは、フェンリルの登場に少し空気を変える。
「…皇帝陛下が、こんなところまでよくおいでで」
熊はそう態とらしく言った瞬間、数頭でフェンリルに襲いかかった。フェンリルは彼らを、まるで赤子の手をひねるかのようにどんどん切り倒していく。
「…すごい…」
セナがそう呟いたその時、自分を捕らえる熊が、喉元に剣の刃を当てた。冷たい刃が肌に辺り、セナは身の毛がよだつ。
フェンリルはそれに気がつくと、動きを止めた。周りの熊たちは、その瞬間を逃さず、フェンリルにここぞとばかりに襲いかかった。フェンリルは熊たちの攻撃を避けず、受け続ける。
「あっ、ああっ…!」
セナは目の前の光景が見ていられずに目を固く閉じる。セナの髪を掴む熊は、ひどく楽しそうな笑い声を上げる。
「(…私のせいで…私のせいで…)」
セナは、喉元に当てられた刃を見つめる。いっそこれで、自分から喉をかききってしまおうか、とすらセナは考えた。どんどん暴行を加えられていくフェンリルに、セナは唇を噛みしめる。
「(…駄目よ。生きて、謝らなくてはいけないことがある…。こんなところで死んでは駄目…)」
セナは、笑っている熊の気が抜けている瞬間に、一気にしゃがみ込んだ。熊は驚くが、すぐには動けない。セナはそのまま、刃の位置を自分の髪にずらすと、そのまま頭を動かして髪を切った。髪が切れたことで、セナは熊から自由になる。セナは勢い余ってそのまま前のめりになって地面に倒れ込む。
「やるじゃん、セナ」
そんな声が、ずいぶん高い位置からした。顔を上げると、木々の隙間から白い大蛇がこちらを見つめていた。
「ヨル…」
そうセナが呟いた瞬間、ヨルはセナを捉えていた熊に大きな口で噛み付いた。熊は体のほとんどすべてをヨルに覆われた。熊はしばらくの間の後、ヨルの口から吐き出された。地面に倒れ込んだ熊は、ひくひくと体を痙攣させていた。
「な、なに、なに…?!」
「毒だよ。まあ、死にはしないから。…死んだほうがマシだって思うことは、毒が抜けるまで何度も思うかもしれないけれど」
ヨルはそう、穏やかに言う。セナは、そんなヨルに身震いをする。
「捕らえて」
ヘルの声がしたと思うと、ヘルの率いる10人以上はいる精鋭部隊が、フェンリルを取り囲む熊たちを一気に捕らえた。精鋭部隊によって地面に体を押さえつけられた熊たちは、苦しそうに呻く。そんな彼らの前に、ヘルはゆっくりとやってきた。
「…前から目障りだった。一度教育したほうがいい」
ヘルはそう言うと、精鋭部隊に目で合図をした。精鋭部隊の兵士たちは、捕まえた熊たちを、どこかへ引き連れていく。ヨルは、彼らの行方を眺めてから、ヘルの方を見た。
「何をするの?」
「この熊の毒と同じのを全員に食らわせる」
「…ってことは、僕の出番?やだなあ。この熊、なんかお風呂に何日も入っていない感じがして…」
「文句はあと。向こうは頼んだ。私はこっちの救助にかかる」
ヘルはそう言うと、フェンリルのそばに向かった。救護班が十数名こちらへやってくると、手分けしてフェンリル、ヴァーリ、そしてセナの状態を確認した。そして、彼らによって、セナたちは城へ送り届けられた。




