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7-1ご令嬢は迷走中

夜、セナは湯船につかりながらぼんやりと考えていた。


「嫌われる方法…」


セナは全身をお湯につけて、顔だけ水の上に出した状態で考え込む。


「(…ナイフを突き立てても怒らなかった人に、一体何をしたらいいわけ…)」


湯気で曇る天井を見あげながら、はああ…、と重いため息をつく。


「(…いいなあ、そんなにあの人から好かれていて)」


セナはぽつりとそんなことを思う。自分はと言えば、片思いの相手には馬鹿にされ、慕っていた姫や王子にも馬鹿にされ、そして、肉親には良いように使われて終わってしまった。だれも、セナという一人の人間のことを考えてなどくれなかった。


「(…私に非があっても、怪我をしたら心配してくれて、不貞腐れてても見捨てないでいてくれて…)…ん?」


セナは湯船のなかで姿勢を立て直す。しずくが額からだらだらと垂れ落ちる。


「…何をときめいているわけ?あの男に??私が???」


セナは、いやいやいや、と湯船のなかで足をバタつかせる。しぶきが顔にあたり、セナは慌ててそれを手でぬぐう。


「…本題から逸れてはだめ。私は嫌われて、国に帰されないといけないのよ」


セナは、水面に映る自分にそう言い聞かせる。そして、じっとその自分と目を合わせる。


「…そもそも、好かれているのはあなたじゃない」


セナは、湯船に映る自分を手で払う。水面が揺れて歪む自分を見つめて、セナはまた重いため息をついた。




    



    





「まあまあ、大丈夫ですか…?」


心配そうな顔をしたベイズが、ソファーに座るセナを仰ぎながらそう話しかけた。長湯をしてすっかりのぼせたセナは、赤い顔で、大丈夫…、と返す。


「窓をあけますね」


ベイズはそう言うと、バルコニーへ繋がる扉を開けた。涼しい夜風が、真っ赤になった頬に心地よく吹き付ける。

セナはぼんやりと、もう真っ暗になった外の景色を見つめる。


「…ねえベイズ、この国の街はどんな感じなの?」

「え?」


ベイズは首を傾げてセナを見つめる。セナは、もう暗くてよく見えない外をぼんやりと眺める。


「…一度、フェンリル陛下に連れて行って頂いたらどうでしょうか?セナ様のいた王国とはまた違ったところですが、きっと気に入っていただけると思います」


ベイズはにこりと微笑む。セナはそんな彼女を見上げた後、今日も履いていたあの靴の方に視線をやる。

黙ってしまったセナに、ベイズは少し困惑した後、そうだ、と言って微笑んだ。


「冷たいお飲み物のおかわりをお持ちしますね」


ベイズはそう言うと部屋を出た。セナはただじっと、外を見つめる。どんな世界が広がっているのか。20年の時を経てやっと外に出られたときは本当に心が躍ったのに、今は知らないことに対して臆病になっている。今更、とか、あなたにはもう相応しくない、等と、外野から言われることにうんざりしてしまった。


「…ああ、暑い…」


セナは赤い頬のまま、ゆっくりと瞼を閉じた。




















翌日、セナはラビとともに中庭まで向かっていた。


「今日もいい天気だね」


ラビが青い空を見あげながらそう呟く。セナは、そんなラビにつられて青空を見上げる。


「あら、セナ!」


そんな声がして、視線を下ろすと、向こう側からジャスミンがやってきた。満面の笑みを浮かべた彼女は、セナの前まで来るとまたさらに笑みを深めた。


「こんにちは、ご機嫌いかが?」

「ああ、ええと…、そこそこ…」

「あら素敵。ねえ今からお茶でもしない?ディノのお仕事が終わるまでまだ時間があるの」


ジャスミンにそう言われて、暇を持て余していたセナは、ええよろこんで、と頷いた。ジャスミンが嬉しそうに微笑んだ時、向こうの方から何やら騒ぎ声が聞こえた。


「まあ、何かしら?」


ジャスミンがその声の方に向かおうとする。その方向には人だかりができており、何やら騒然としている。ラビは、そんなジャスミンの前に慌てて立ちはだかった。


「駄目だよ。危険なことに巻き込まれたらどうするのさ。早く行くよ」

「やあね大丈夫よ。ディノの番に何かする輩は、このお城にはいないわ」


ふふ、と微笑むジャスミンに、それはそうだけどさ…、とラビは不満そうに眉をひそめる。ジャスミンはセナの手を引くと、行きましょう、と騒ぎの方へ向かった。






渦中の人は、ヴァーリだった。ヴァーリは、女の狼に執拗に暴力を振るっている。周りはその行為の酷さを理解しつつも、皇帝の兄である彼に手出しができない様子でいた。

ヴァーリは怒りに満ちた顔で、女の腹を蹴った。女は苦しそうな声を上げて地面に伏せた。


「お前、俺様がどれだけ相手をしてやってると思っている?なぜ子を孕まない?お前の欠陥に、俺はもう付き合ってやれない!」


鈍い音とともに、ヴァーリはまた女の腹を蹴る。セナは地面にうずくまる女がゆっくりとヴァーリの方をみた時、その女が、セナが彼の寝室に行ったあの日、彼と共にベッドにいた女だとわかった。


「…何人も番を作ったくせに一人も子どもが生まれていないというのに、責任は相手にあるとどうして思えるのかしら」


ジャスミンは呆れたように呟く。またヴァーリが女を蹴ろうとした時に、セナは咄嗟に女の前に立った。


「あっ、セナ!!」


ラビの声が響く。ジャスミンが悲鳴を上げた時、ヴァーリは蹴ろうとした足を止めた。セナは蹲る女のそばでしゃがみ、彼女の肩を抱いた。


「(…ああもう私は、なんでこんな事を…)」


セナは頭が真っ白になりながらそんな後悔をする。震える手で女をさらに強く抱きしめた時、女はゆっくりと口を開いた。


「…無様ね」


女はかすれた声で言った。ヴァーリは女を見下ろして、ああ?と威嚇した。


「…自分が皇帝になれなかったから、次期皇帝の親になることで復讐しようなんて」

「…なんだと?」

「あなたの子どもが次の皇帝になったって、あなたと同じ轍を踏むだけよ。誰もあなたを信じてない。誰もあなたになんかついていかない。誰もあなたを、心から慕わない。だってあなたには、王の血しかないんだもの」

「お前…!」


ヴァーリはセナに庇われている女に殴りかかる。セナは覚悟を決めて目を固く閉じる。がしかし、周りの獣人たちがそれを止める。


「殿下、今度あの人間の女に何かしたら、陛下も黙ってはいません。ましてや今、陛下はあの時期です。過剰に刺激しては殿下の御身も今度こそ…」


獣人がそう言って必死にヴァーリを止める。ヴァーリは獣人たちを振り払うと、強く鼻で息をして、セナを睨みつけた。セナは、その眼光に体が震えるが、女からは離れずにいた。

女はうつむくと、ケラケラと笑い出した。ヴァーリは、ああ?と苛立った顔で女を睨んだ。女は天を仰ぎながら大声で笑った。


「あの陛下が、人間とは言え、とうとう女を連れてきた。あんたの馬鹿な野望もこれまでって言うなら、カミサマってのは本当にいるのかもしれないわね」

「この女…っ!」


ヴァーリはまた憤慨する。そんな彼を、周りが必死に止める。

すると、ジャスミンが慌ててやってきて、女の体を支えた。


「とにかく退散よ。セナは反対側をお願い」

「え、ええ…」


セナも女の体を支えて、そしてこの場から慌てて逃げ出した。


















セナの部屋で、女はベイズによって手当てをされた。痛々しい傷はどんどん包帯によって隠されていくが、顔にできた痣や赤く腫れた頬などは隠しきれず、彼女が受けたひどい仕打ちを周りに強く感じさせた。


「ああひどい…。ヴァーリ様もどうしてこんな…」


ベイズは青い顔をして、女の手当てにあたる。女は目を伏せて、きっと焦ってるのよ、と言った。


「私はレティ。…助けてくれてありがとう」


レティはセナの方を見てそう言った。セナは、頭を横に振る。


「焦ってる…っていうのは?」


ジャスミンがそう尋ねた。レティは少し黙ったあと、陛下が、と言った。


「陛下がヴァーリ殿下に、新しく番を作るのはもう止めるように言ってきたみたい。…まあ、皇帝の兄とはいえ、番を作りすぎといえばそうだけど、…それが理由というよりも、周りが嫌がってるんだと思う。ヴァーリ殿下の番に、娘をさせることを」

「…どういうこと?」


セナは首を傾げる。ヴァーリのような高貴な身分の者の番になることは、とても光栄なことだと聞いていたセナには理解ができなかった。しかしジャスミンは、ああ…、と何かを察したように目を伏せた。セナはジャスミンの方を見て、どういうこと?と尋ねた。


「…ヴァーリ殿下の番っていう立場は、それはもう名誉なことよ。国から大きな支援をもらえるし、家にとってもかなり利益のあること。…けれど、ヴァーリ殿下の番になっても、誰一人として子どもをお腹に宿せないの。だから皆、殿下の番になっても後継ぎとなる子どもを産めないとわかってきて、彼の番に娘をさけることを嫌うようになったの。…ましてや殿下は暴力的だし、気性も荒いし…」


ジャスミンの言葉に、セナは、かつて彼から受けた様々な暴力を思い出して体が震える。


「…ヴァーリがそんなにたくさんの番をつくる理由は何?ただの無類の女好き、というわけではなく…?」


セナの質問に、レティが頭を横に振る。


「自分が長兄なのに皇帝になれなかったことを、ずっと恨んでいるのよ」


レティの言葉に、セナは、え、と声を漏らす。


「…確かに、普通に考えたら、一番上の兄が次期皇帝になるもの…よね?」


セナは、ないこの世界の一般常識をひねり出してそう呟く。そんなセナに、普通はね、とジャスミンはため息をつく。


「最初は皆、ヴァーリ殿下が次期皇帝になるものだと思ってた。その頃は、フェンリルとヴァーリ殿下の仲がとっても良くってね。…でも、あまりにもフェンリルが皇帝に相応しかった。能力も高くて、なにより、狼となった姿が大きくて力も強くて、誰も敵わなかった。…だから、弟のフェンリルが皇帝に選ばれた」


ジャスミンの言葉に、セナは、そういえば一度もフェンリルが狼になった姿を見たことがないことを思い出す。


「(大きすぎると不便だからかな…?)大きいって、どれくらい?人より大きいの?」

「それはもう。空をものみ込むんじゃないかってくらい」

「そら…空?!」


ジャスミンにそう説明されて、セナは想像もできずに目を丸くする。


「…そんな大きな狼がいたんじゃ、戦争になってもどの国も敵わないわよね…」


この帝国が大きくて強い理由をなんとなく察して、セナは感嘆のため息を漏らす。そんなセナに、ジャスミンは目を伏せる。


「…ええそう、…大きかったの、…とってもね」

「…?」


どこか悲しそうなジャスミンに、セナは首を傾げる。するとレティが口を開いた。


「弟は日に日に大きく強くなって、周りも弟が皇帝に相応しいと言ってくる。…だからヴァーリは、病に臥せった前皇帝がせん妄状態にあるのを利用して、唆して、彼に毒を盛って殺そうとしたの。…もともとロキ皇帝も、心の底では日に日に強くなる息子に恐怖心はあったんだろうけれど、ヴァーリはそこを突いた」


セナは、えっ…、と声を漏らす。レティは鼻で笑いながら、でもあえなく失敗、と言った。


「フェンリル皇帝はなんとか命が助かり、毒を実際に盛った実行犯だけが処刑された。ヴァーリには証拠がなったからお咎めはなかったものの、それ以降は一切王家の人間としての役目はない。名前だけは皇帝の兄、でも、実際は何の権力もない。…それでも周りは、皇帝の兄という強すぎる名前によって従ってきたけれど、本人の振る舞いもあってそうはいかなくなってきた。…その流れをいよいよ感じたんじゃないかしら、臣下たちが娘を番にすることを拒否するようになったことで」

「それで焦って、子どもができないことを女のせいにして、憂さ晴らしに暴力…ね。本当に救えないわ」


ジャスミンは呆れたようにため息をつく。レティは目を伏せる。そんな彼女を見て、ジャスミンは悲しそうに眉をひそめる。


「…あなたも気の毒ね。彼の番なんでしょう?また、今日みたいなことが起こるかもしれない」

「…」


レティは目を伏せて俯く。セナは2人を交互に見てから、ねえ、と言った。


「王国で言う離婚…、番という関係の解消ってできないの?」

「…相手との話し合い次第だけど、…彼女みたいなケースは、相手の立場が立場だから、向こうが認めなければまず無理ね。あの殿下が、そんなことをよしとするかしら」

「…」


レティは黙り込む。セナは、彼女の痛々しい傷跡に眉をひそめる。


「(…そんな、酷いこと…。なんとかしてあげられないんだろうか…)」


セナは、傷だらけの彼女をひどく不憫に思うけれど、異国から来た、何の後ろ盾もない自分にできることなどなにも思い浮かばなかった。


「…私のことは気にしないで。番には望んでなったのだから」


レティは頭を振る。ジャスミンは、でも親から言われたんでしょう?と心配そうに言う。レティはその言葉に黙り込む。


「手当て、終わりましたよ」


ベイズがそう言うと、レティは立ち上がった。そして、ご迷惑おかけしました、と言うと、部屋から去ってしまった。


「…可哀想に。彼女だけじゃない、他の番たちも。…どうしてあげたらいいのかしら…」


ジャスミンは、はあ、とため息をつきながら、気の毒な番たちを思って沈痛な表情を浮かべる。セナは、出ていったレティの背中の残像を思い浮かべながら、黙り込んだ。



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