5-4ご令嬢は恨めしい
翌朝、セナは自分のベッドの上で目を覚ました。
ぼんやりとした頭で寝返りを打つと、すぐ隣にフェンリルの寝顔が見えた。セナは動揺して息を止める。
「(…そういえば昨日、あのまま寝てしまったんだ…)」
自分も、隣で眠る彼も、昨夜のパーティーの時のままの格好で、なんだか変な気持ちになる。
セナはふと、寝ているフェンリルの頭に視線がいった。彼の頭には、黒い毛で覆われた耳が現れていた。
「(…珍しい…)」
セナは彼の耳を凝視する。ふわふわの可愛い耳に触れたくなるけれど、散々ラビに叱られてきたことを思い出し、セナはぐっとこらえる。
すると、寝ていたフェンリルの眉が少し動いた。セナはとっさに寝たふりをした。
フェンリルは静かに起き上がると、寝ているセナを見下ろした。
「……」
フェンリルは黙ってセナを見つめた後、なにやらはっとしたような顔をして、自分の頭を探った。フェンリルは自分の耳に気がつくと、はあ…と落胆のため息の後、乱雑に自分の頭をかいて耳をしまった。
セナはゆっくりとまぶたを開けた。すると、ベッドから起き上がったフェンリルと目が合った。
「起きてたのか」
フェンリルはそう話しかけた。なんとなく気恥ずかしい気持ちのセナは、…うん、と頷いた後、体を起こしてベッドに腰掛けた。
「一度部屋に戻って、着替えてくる」
そういった後、フェンリルは床を見つめて何かを探した。室内履きが見当たらない…、と呟いた後、昨日セナが履いていた靴を見つけると、それを持ってベッドに座るセナに近づいた。そして、彼女の前で片膝をつくと、彼女の足にその靴を履かせた。
窓から差し込む朝の日差しが、彼の黒髪に当たっている。セナは白い光にやんわりと包まれる彼をぼんやりと見つめる。
セナに靴を履かせ終わると、フェンリルは視線を上げてセナの目を見た。
「昨日、そのドレスが君によく似合っていた。綺麗だった、誰よりも」
フェンリルはそう言うと、優しく目元を細めた。そんな彼に、セナは目を丸くする。
セナの抱いた夢リストにも入っていた、素敵な男性に、待ち合わせ場所に来たときにその日の装いを褒めてもらうこと、というものが、ふんわりと叶えられたのをセナは感じる。ささくれた胸にその嬉しさが優しく染み渡る。
「あ…、ありがとう…」
夢が叶って嬉しいはずなのに、セナは動揺してしどろもどろにお礼を言うことしかできなかった。
しかし、かつてそんな夢のシチュエーションを妄想していた時、妄想の中の自分はこんなみっともない返しはしていなかった、とセナは思い直す。
セナは真っ直ぐにフェンリルを見つめる。そして、本当に久しぶりに、心から嬉しい気持ちで微笑む。
「ありがとう、フェンリル」
セナの笑顔に、フェンリルは一瞬硬直した。セナが首を傾げていると、彼の頭からひょこりと耳が現れた。
「あっ…」
セナはつい声を上げる。それにはっとしたフェンリルは、慌てて頭をかいてその耳を隠す。
「(な、なぜしまう…なぜ…!)」
セナは名残惜しい気持ちで、なくなってしまった彼の耳の残像を見つめた。フェンリルは軽く咳払いをすると、…着替えてくる、と早口で言うと部屋から出た。
ベイズの手を借りて着ていたドレスから普段着に着替え終わると、セナはフェンリルと朝食をとった。
窓から見える外の天気は、昨日の雨が嘘のようによく晴れている。窓の外をセナが見ていると、食後の紅茶の準備をしていたベイズが、そうだ、と笑顔で話しかけてきた。
「食後の運動に、中庭でお散歩なんてどうでしょう?」
ベイズがきらきらの瞳で話しかける。セナが、え?と首を傾げると、そうするか、とフェンリルが答えた。ベイズは嬉しそうに頬を緩ませる。
セナはワンテンポ遅れて、2人で、といことか、と意味を理解して、昨日のことがあり、なんとなく気まずいような恥ずかしいような気持ちで紅茶を飲んだ。
朝食後、笑顔のベイズに見送られたセナは、フェンリルとともに中庭に向かった。セナは、昨日のパーティーで使った靴を履いた足をちらりと見る。
「…ねえ、この靴」
「ん?」
「昨日のために借りたんだけど、このまま履いていてもいい?」
その靴は、パーティー用にと借りたけれど、そこまで派手なデザインでもないので、普段着にも合わせられそうだった。フェンリルは、好きにしたらいい、とだけ返す。セナはその返事に目を輝かせると、ありがとう、と微笑む。そして、嬉しそうに自分の足元を見る。そんなセナに少し目を丸くした後、そんなに喜ぶことか、と不思議そうに聞いた。セナは、え、と声を漏らして彼を見上げる。
「…意外と、こういうのが私に似合うのかもって、思ったの」
昨日は地味だと嫌っていた靴をセナは見つめる。身につける機会を逃したデザインにばかり執着して、こういったものを勝手に嫌っていたけれど、履いてみれば素敵だったことに、セナはしっくりきたような気持ちになる。
フェンリルが何かを言いかけた時、向こうから誰かが笑顔でやってきた。セナが顔を上げると、そこにはジャスミンがいた。
「ごきげんよう。フェンリルに、ええと、セナ!」
眩しい笑顔を浮かべたジャスミンは、2人に挨拶をした。フェンリルは、ああ、と短く返す。セナは、ジャスミンとフェンリルを順番に見て、あっ、と嫌なことを思い出す。
「(…そうだ、私、ジャスミンと結ばれなかった腹いせのためにフェンリルに使われてて…)」
「2人で仲良くお散歩?」
ジャスミンは穏やかな笑顔で尋ねる。セナは答えに詰まって困惑する。一方フェンリルは、ああ、と普通の様子で返す。
「まあ素敵!私はね、ディノが今日は早くお仕事が終わるからって聞いてお城に…あっ!」
ジャスミンは目を輝かせると、セナとフェンリルの横を通り過ぎて、一人の男性の方へ向かった。そこにいたのは、黒髪の、前髪の長い、眼鏡をかけた狼の獣人だった。ジャスミンは、ディノ!と声をかけると、幸せそうに彼に抱きついた。ディノと呼ばれた男性は、彼女の勢いによろめいた後、ジャスミン…、と少し困惑したように言った。
「早くお仕事が終わると聞いて、会いに来たのよ!」
「…早くったって、お昼まではあるよ…」
ディノはずれた眼鏡を直しながら、困惑した様子でジャスミンに言う。ジャスミンは、ええ?ととぼけながら彼に頬ずりをした。ディノはフェンリルの方を見て、助けて、と言う視線を送る。フェンリルは小さくため息をつくと、彼らの方に向かった。
「ディノはもうすぐ来客がある。離してやれ」
「あら、女じゃないでしょうね!」
ジャスミンは嫉妬深そうな視線をディノに送る。ディノは、違うよ…、と少し疲れた様子で言う。ジャスミンは、じとーっと彼を見つめる。ディノは困惑したようにため息をつく。
「…あなたのことは愛しているから信じているけれど、愛しているからこそ不安になって疑ってしまうわ」
「…どっち…」
「何度も言いますけど、他に番を作るのは一切許してませんからね!!」
「…俺を好きだと言ってくれる人なんか君くらいだから大丈夫だよ…」
「まあ!なんて周りは見る目がないの!」
ジャスミンは、ぷんすかと怒り出す。ディノは、まだ始まった…、という顔をする。
「…とりあえず、俺、急ぐから…」
「じゃあ、すぐそこまでついていくわ」
ジャスミンはディノの腕を組むと、にこにこと歩き出す。ディノは、はあ、とため息をついた後、フェンリルの方を見た。
「…それじゃあ、また後で…」
「ああ」
フェンリルの返事を聞くと、ディノはジャスミント共に去っていった。セナは、呆然とした顔で遠くなる彼らの背中を見つめる。
「(…嵐が去った…)…ねえ、あの二人とあなたはどういう関係なの?」
「ディノは俺の従兄弟で、ジャスミンは俺たちの幼馴染。で、ディノとジャスミンは番同士だ」
「はあ…」
使用人たちの言っていたことから考えたら、フェンリルとジャスミンはお互い想い合っていたけれど、周りの反対により引き離されて、ジャスミンは無理矢理ディノの番にさせられた、ということになる。がしかし、先ほどの様子を見た感じ、そんなドロドロとした過去があるようには思えない。
「(…どういうこと?何がどうなっている?もしかして、噂に出ていた狐の獣人がそもそもジャスミンではない…?)」
「どうかしたか?」
「えっ?あ…、」
セナは少し考えた後、ねえ、と真面目な顔をしてフェンリルを見上げた。
「あなたとジャスミンが、周りから引き離された過去とかあったり…するの?」
尋ねながら、心臓がばくばくと脈打っていた。フェンリルは目を丸くした後、は?ときょとんとした顔をした。
「…何の話だ?」
「いやその…そういう噂を聞いたから…。愛し合っていたけれど、彼女が狼じゃないからって周りに反対されて、それで泣く泣く別れさせられ…たっ、て…」
言いながら、根拠のない噂ですから!とベイズに釘を刺されたことを思い出してセナは恥ずかしくなる。
フェンリルは首を傾げたあと、ない、と答えた。
「ジャスミンの求愛が激しすぎて疲れ果てたディノから、彼女に彼を諦めるように説得することを頼まれたことならある」
「ええ?それで?」
「…まあ、そんなことで諦めるわけもなく」
淡々と言うフェンリルに、セナは小さく吹き出した。
「そんな噂を聞いていたから、私はてっきり、その腹いせに人間を番にしようとしてるんだって、そう思ってたの」
セナはつい、これまで抱いていた不安だったことを吐露していた。つい口が滑ったことにセナは自分で自分に動揺した。
フェンリルはセナの言葉に目を丸くした後、それはない、と言い切った。そして、セナの前に立った。セナはフェンリルを見上げた。真剣な目をした彼が、真っ直ぐに彼女を見つめている。
「10年前に王国で君に出会ってから、俺はずっと君を探していたんだ」
フェンリルの言葉に、セナは目を丸くする。呼吸を繰り返しながら、少しずつ速くなる鼓動を感じる。
「(…10年前…)」
セナはその時に自分が何をしていたか思い出そうとするが、20年間毎日が同じ日々の繰り返しだったため、何も思い出せない。確かに過去に獣人の少年に一度出会ったことはあるが、その少年と目が合ってすぐに、男性は恐ろしいものだと信じ込んでいたセナは、気絶して倒れた。その少年がフェンリルだったとして、十数年間も探し続けてもらうきっかけにあの出来事がなったとは思えない。
フェンリルはセナに向かって微笑む。セナはそんな彼を見つめてゆっくりと瞬きをした。
「(…この人何か…、勘違いをしていないだろうか…)」
セナはそんな考えが浮かんでひどく焦った。
「(…ない…、ないよ私!獣人の男の子に好かれるようなことをした記憶ないよ!この人、間違いなく猛烈な人違いをしてる…!)」
セナの心に戦慄が走る。セナは、あのね、と言葉を選びながら彼に話しかける。すると、陛下、と猫の臣下がフェンリルを呼んだ。
「陛下、急で申し訳ありませんが、少し相談事が…」
「…わかった、今行く」
フェンリルはそう答えると、セナの方を見た。セナは、もどかしい気持ちで彼を見た。フェンリルは両手でセナの頬を優しく包むと、セナの唇にキスをした。セナからゆっくり離れて、フェンリルは今一度セナと目を合わせると、優しく目を細めた。
「行ってくる」
そうセナに言うと、フェンリルは臣下を引き連れて歩いて行ってしまった。臣下たちは、にわかに信じられないとでも言う顔でセナの方をちらちらと振り返る。
セナはといえば、そんな視線に気が付かないほど非常に非常に、気まずい気持ちでいた。
「(…もしかしなくても私、人違いであの人から寵愛されてる?)」
そんな事実に気が付き、セナは頭が真っ白になった。




