1-2ご令嬢は復讐がしたい
ミリアに連れられたセナがアナスタシアの部屋に向かうと、部屋の主はえらく不機嫌そうな顔をしてソファーに腰掛けていた。彼女の周りを囲む侍女たちもいつもは明るく世間話をしているのに、今は気まずそうな顔をしている。
「どうかなさったんですか?」
セナは心配そうな顔をしてアナスタシアの側へ向かう。そんなセナを、ちょ、ちょっと…!と慌ててミリアが止める。セナが、え?と首を傾げると、ため息をついたアナスタシアがセナのほうを見上げた。
「…明日、アースガルズ帝国の新皇帝がこの城に初めて来るらしいわ」
アースガルズ帝国といえば、十数年前にこのガーデラス王国が戦争で負けた相手である。部屋に閉じ込められていた間ほとんど勉強する機会のなかったセナはよく知らないが、その国は人間だけが住むこの王国と違い、多種多様な獣人たちが住んでいるらしい。
過去の戦争のことをよく理解していないセナと違い、周りの侍女たちは沈痛な面持ちをする。セナは、そ、そうなんですか…、と当たり障りないように呟く。
「何をしにいらっしゃるの?」
「私が知るわけないわ。国同士、話し合うことなんていくらでもあるでしょう。…四つ足の分際で、会議室の椅子にどうやって座るんだか…」
アナスタシアは投げやりに言う。セナは彼女の様子に口を噤む。
アナスタシアは、自分より年上のくせに世間のことをほとんど知らないセナにも、優しく接してくれる稀有存在のため、セナはとても彼女のことを大切に思っていた。だから、心優しく温和な彼女の普段と違う様子に、セナは不安になる。
「(…アナスタシア様は獣人がお嫌いだから、彼らがお城に来るだけでも嫌なんだわ…。こんなに気分を悪そうにされて、本当にお可哀想…)」
セナは、アナスタシアのことが心配で眉を下げる。
人間が住む国ガーデラス王国は、数十年前に、獣人たちが治めるアースガルズ帝国との戦に敗れた時、こちらに不利な約束を複数取り付けることでなんとか侵略を逃れたようだけれど、王国に住まう人間、特に王家の人間が持つ負けた恨みは深い。アナスタシアも獣人を憎む人間の一人で、ことあるごとに獣人は野蛮だの、残虐だの、そう恨み言を吐いている。
重い空気を変えるためか、ミリアが、お茶にいたしましょうよ、ね、と言うと、お茶の準備を始めた。それに倣って、周りの侍女たちも準備を始める。セナは彼女たちに数テンポ遅れて、自分のするべきことのために動き出した。
アナスタシアのためにお茶の準備をすれば、逆立っていた姫の機嫌も少しずつ和らぎ、だんだん普段のように世間話ができるような雰囲気になってきた。
「そういえば私、明日婚約者とお出かけいたしますのよ」
侍女の一人がそう話し始める。あら素敵、と周りの侍女たちが微笑む。セナは目を輝かせて、へえ!と彼女の方を見る。
「どこへお出かけされるの?」
「街の方へ。お買い物をして、ランチをして、それからオペラも観るのよ」
「ええ、素敵…!」
セナは羨望の眼差しを彼女に向ける。20年ほど塔に閉じ込められてきたセナにそんな経験などあるわけがない。けれどこれから、自分にもそんな機会が巡ってくるのだろう、とセナは夢想する。
「羨ましいわあ。私も素敵な婚約者の方とお出かけして、素敵なお洋服を作っていただいたり、綺麗な景色の場所に連れて行っていただいたりしたいわ…!」
セナは両手を合わせてうっとりとする。そんなセナを見て、周りの侍女たちは困惑したようにお互い顔を見合わせたあと、苦笑を漏らした。
「セナ様は…、そんなにのんびりしている場合ではないのでは?」
「え?」
侍女の一人に、そう冷静に言われてセナは首をかしげる。侍女たちは、また困惑したようにお互い顔を見合わせた。
「その、…今の状況は、そんな若い女の子がするみたいな夢を見ている場合じゃない…のでは、な、ないでしょうか…?」
「結婚相手をすぐにでも探さないと…」
「そもそも…見つかるのかしら?」
一人の侍女の痛烈な言葉に、周りの侍女たちがはっと息を呑む。アナスタシアは眉をひそめて顔を横に振り、先ほどの言葉を発した侍女を戒める。侍女は、はっとして口元に手を当てる。
当の本人はきょとんとした顔をした後、そうよね、と両手を今一度合わせた。
「お相手を探してから、そういうロマンスを夢見なくちゃね!」
本当にその通りよ!と微笑むセナに、周りはまた困惑する。ミリアは軽く咳払いをしたあと、ところで、とアナスタシアの方を見た。
「アナスタシア様は、婚約者の方に以前お会いになられたんですよね。またお会いになる機会は?」
ミリアの言葉に、近いうちにね、とアナスタシアは微笑んだ。周りの侍女たちは、わあ!と色めき立つ。
「隣国の王子様ですよね?」
「優しそうで素敵なお方でしたよね」
「結婚式、とっても楽しみですね!」
きゃあきゃあとはしゃぐ侍女達に、アナスタシアは、まあね、と微笑む。そんな幸せそうな彼女を見つめて、セナは、いいなあ、と心の中でまた羨ましがる。
「(私にも素敵な人が現れないかしら…!)」
そんなことを考えた瞬間、セナはアレックスの顔が浮かび、ぼっと顔が熱くなった。
「(アレックスと、お出かけしたり…!お茶をしたり…!そんな素敵なことができたりしたとしたら…!)」
セナはそんな妄想を脳内で繰り広げては、自分だけで盛り上がった。
翌日、アースガルズ帝国の来賓たちのための準備で、お城はひどく騒がしかった。
一方セナは、アナスタシアの侍女としての仕事を今日も今日とてするだけなので、いつもと変わらない日を過ごしていた。
「…あれ?」
お城の廊下を歩いていたら、セナは、黒い尻尾を見かけた。その尻尾を追いかけると、そこには黒い毛並の子犬がいた。
「あっ…!」
セナは目を丸くしてその子犬に近づく。子犬はセナに気がつくと、一歩後ずさったあと、セナを見上げた。セナはしゃがみ込むとじっと子犬を見つめた。
「あなた…、ぶーちゃん!」
セナは、過去に塔で少しの間世話をしていた犬の名前を呼ぶ。どこからか塔に迷い込んだその子犬を、セナは招き入れ、見張りの兵の目を盗んで数日間だけ一緒にいたのだ。目の前にいる子犬は、その時の犬にそっくりだった。
ぶーちゃんと呼ばれて、その犬は耳をぴくりとさせた。セナはその反応に満面の笑みを浮かべる。
「ああやっぱり!でもどうしてこんなところに?」
セナはそう言うとぶーちゃんを抱き上げ、そして頬ずりをした。ふわふわの毛が頬に当たって、こそばゆくて幸せになる。
「でも不思議ね、あの時子犬だったのだから、もう成犬になっていてもいいはずなのに…」
あなたはこの大きさが一番成長した姿なの?とセナは首をかしげる。するとぶーちゃんはセナの腕から抜け出して勢いよく走り出した。セナは、あっ!と声を漏らしたあと、その背中を慌てて追いかけた。
「ま、まって!待ってよ!久しぶりに会えたのに!」
セナはぶーちゃんを追いかけるが、ぶーちゃんは、スピードを緩めずに廊下の角を曲がる。セナは夢中でその背中を追いかける。
すると、角を曲がった瞬間、セナは反対側からやってきた誰かに勢いよくおでこをぶつけてしまった。
「いたっ!」
セナはぶつかった拍子に身体が揺れるが、なんとか持ちこたえた。何が起こったのかわけがわからないまま顔を見上げると、そこには、見知らぬ男性が立っていた。
「(…だ、だれ…)」
セナはあ然として彼を見上げた。黒い髪に、冷たい印象を与える目元をした、背の高い男性だった。これまで見たことがないほど整った見た目をしていたけれど、その飛び抜けて秀でた容姿にはしゃぐような状況ではないと、普段周りから散々空気が読めていないと言われるセナにでも感じ取れた。
「(…す、すごい雰囲気……)」
目の前の男性は、体つきは引き締まっているものの背が高いため圧迫感があり、見た目以外の佇まいやオーラからもかなりの威圧感が放出されており、セナは完全に怯んでしまった。
震える足を一歩、二歩、と下げようとした時、自分の頭がなにやらひっぱられているような感覚に気がつく。なんだと思ってよく見ると、自分の髪が、今ぶつかった彼の服のボタンに絡まっていたことに気がつく。
「あ、あっ…」
またこんなことが、こんなタイミングで起きるなんて、とセナは動揺して固まる。男性はちらりと、セナの髪が絡まった自身のボタンを見ると、胸ポケットから小さなナイフを取り出した。すると、躊躇なく絡まったところに刃を当てた。セナが相変わらず固まっていると、ボタンが床に落ちた音が響いた。
「あ…」
セナは、頭が引っ張られる感覚がなくなったのに気がつくと、一歩後ろに下がって、呆然と彼を見上げた。目の前の男性は、冷たい目でセナを見下ろしている。セナはその威圧感に呼吸すらままならなくなる。
「(…お父様とお母様が言っていた、男の人が怖いって、こういうことか…)」
セナはそんなことを、どんどん気が遠くなりながら思う。心臓が恐怖からばくばくと鳴り続けるのを感じる。その鼓動にすら耐えられず、自分はこのまま倒れてしまうのではないかとセナは危惧する。
「どうかいたしましたか?」
聞き覚えのある声がして、セナは心底安堵した。振り向くと、ウィズが少し慌てた様子でこちらへ来た。
「う、ウィズ殿下ぁ…」
セナが恐怖から情けない声をだして彼に近づくと、ウィズはセナのことはスルーして、男性の方へ向かった。
「フェンリル陛下、この者が何か?」
ウィズがそう尋ねる。フェンリルと言われた男性は、いや、と短く返す。セナはウィズに、あ、あの…、と顔を青くして小声で話しかける。
「わ、私のせいでこの方のお洋服が…」
セナはしゃがんでボタンを拾い、ウィズに見せた。ウィズは渋い顔でそれを見ると、黙ってセナの手からそれを受け取り、ぱっと笑顔にかえてフェンリルの方を見上げた。
「大変失礼いたしました。すぐに修繕いたしましょう。さあこちらへ」
ウィズはそうフェンリルに促した。しかしフェンリルは、じっとセナの方を見ている。セナは彼と目が合うと、蛇に睨まれた蛙のごとく、身を縮めて固まる。
「(お、怒ってる…!怒ってる…!そもそも私まだ謝ってない…!!)」
「…陛下?」
ウィズはフェンリルの視線の先にいたセナを見ると、ああ…、と呟いた。
「…この者が大変失礼いたしました。しかしどうかご容赦を。この者は例の…、先代の皇帝に献上すると約束していた娘です。皇帝へ献上する娘になにかあってはいけないと大切にしまっていたために、世間を知る機会がなかった…、…哀れな娘です。どうかお情けを」
「(…けんじょう?)」
セナは、ウィズの言うことがよく分からずに困惑する。フェンリルは今一度セナを一瞥すると、少し驚いたように目を開いた。
ウィズはセナの方を見ると、ほら早く行きなさい、と手を払う素振りを見せた。セナは怯えながら、あ、あ…、と声を震わせたあと、逃げるようにこの場から去った。
「…謝ることもできないのか、あの箱入り娘は」
去っていくセナの背中を一瞥して、ウィズは苦々しく声を漏らす。しかしすぐにウィズは笑顔になり、フェンリルの方を見上げた。
「さあこちらへ。皇帝陛下の服を直さなければ」
「……」
フェンリルはじっと、遠くなっていくセナの背中を見つめている。ウィズは小首をかしげながらフェンリルを見つめる。
「…陛下?」
「…話がある」
フェンリルはそう口を開いた。ウィズは、はあ…、と怪訝そうな顔を浮かべた。




