4-4ご令嬢は夢見がち
「そんなの、君が全部悪いよ」
医者からの治療を終えたセナは、この怪我を負うまでに至った経緯を事細かにラビに聞かれた。傷跡が狼のものだということは知られおり、においとやらからもヴァーリから受けたものだということもバレていたため、仕方なくセナは事の詳細をラビに話した。すると、呆れた顔をしたラビにセナはそう言い放たれた。
セナは、ええ?!と納得のいかない顔でラビを睨んだ。
「私、被害者よ?!いきなり襲い掛かられたんだから!!こんな傷まで受けて…痛かったし怖かったし…」
「あのねえセナ、ヴァーリ様は゛あの時期゛だったんだから仕方ないんだよ。それなのに部屋にノコノコ入ってった君が悪い」
「…゛あの時期゛?」
「発情期だよ。知らないの?」
「はつ……なに??」
セナは頭にクエスチョンマークを浮かべる。ラビが面倒くさそうに眉をひそめる。
「…繁殖期に訪れる、普段より過剰に攻撃的になったり、性的な衝動が抑えられなくなったりする時期のこと。種族によるけど、狼なら1年に一度、1週間から2週間程度そういう期間があるんだよ。薬である程度抑えられるものだけど、そこは個人差がある。これは個人の力ではどうしようもないことなんだよ。それなのにそのタイミングで寝室に行くなんて、それはセナが襲ってくださいって頼みに行ったようなものだよ。この国に住まう人なら皆、自分にそういう気がないならその期間の人には近づかないように自衛してる。そうしなかったセナが悪い」
「なっ…!そ、そんな時期があるなんて、私そもそも知らなかったもの!」
「知ろうとしなかった、でしょ?郷に入っては郷に従え。ここは君のいた国とは文化も考え方も、たくさんのことが違うっていうのは知っていたはず。それなのに、知ろうとする努力を怠ったくせに被害者ぶるのは間違ってるよ。しかも、相手はあのヴァーリ様だよ?陛下の兄上っていう超偉い人。一方君は何の力も持たない異国の人間。権力の差から見ても圧倒的に君に非がある。自業自得」
「うっ、ぐっ…!」
全く庇ってくれないラビに、セナはショックから閉口する。がしかし、ラビの言う事も一理あるように思えて、けれどもそれを認めたくなくて、ぎりぎりと歯ぎしりをする。
「そもそもさ、なんでヴァーリ様の部屋に入ったわけ?」
ラビはそうセナに尋ねる。セナは少し黙ったあと、…頼まれたのよ、と言った。
「…私、最近メイドたちのお手伝いをしているでしょう?今日も洗濯物を取り込んでいて、その時にベットのシーツをヴァーリの部屋に持っていくようにって…」
「……」
ラビは腕を組んだあと、小さく息をついた。
「…それは、一杯食わされたかもね」
「え?」
「あのねえセナ、君が思うより君のことをよく思っていない人たちはたくさんいる。人間が陛下のお気に入りって時点で鼻につくのに、実際は番でもなんでもないから誰も君のことを大切にしようなんて思ってない。君が接してるメイドたちの中には他にも、こうやって君を陥れようとする人たちがたくさん紛れてると思うよ」
セナは言葉をつまらせる。ラビはため息をついて、とにかく、と言った。
「こんな面倒事を極力避けたいなら、今後はメイドと仕事をするのはやめたほうがいいよ」
「……」
「ねえセナ、わかった…」
ラビは耳をぴんと立てると、姿勢を正した。ソファに座ったままうつむくセナは、ラビの様子にゆっくり顔を上げた。すると扉が開いて、フェンリルがやってきた。ラビはフェンリルに深く頭を下げた。
「陛下…」
「セナの怪我はどうだ」
「そこまで深くはないそうです。適切に治療をすれば跡も残らないだろうと、医者が」
「そうか」
フェンリルは安心したように小さく息をつくと、セナの前に立った。そして、じっとセナを見下ろした。その視線に、セナは身構える。
「(…ラビが、においがどうのと言ってたから、つまりこの人は最初から私がヴァーリと一悶着あったことはわかってたわけね…)」
セナはなんとなく居心地が悪くて目を泳がせた。フェンリルが何か言いかけたとき、扉が開いた。
「ねえあなた、縫い物だけどこれも追加でお願いできる?」
メイドが、修繕が必要な衣類をかごに入れてセナの部屋まで持ってきた。がしかし、フェンリルの姿を確認すると、はっとして背筋を伸ばした。フェンリルは少し目を丸くして、縫い物?と呟いた。
セナは、あっ、と言って立ち上がると、メイドのそばに向かった。そして、彼女が持っていた籠を受け取った。
「わかりました。前に預かったやつとまとめてお渡ししますね。…わからないところがたくさんあるので、ベイズに教えてもらいながらになるだろうから、出来上がりが遅くなるかも…」
「え、ええ、ええ…」
明らかにバツが悪そうなメイドと、それを気にせずいつも通りの様子で仕事を受け取るセナ。
セナはたくさんの仕事が入ったかごを見て、しばらくは退屈しなくてすみそう、と小さく微笑む。
「…使用人の仕事を……セナが?」
フェンリルが、信じられないとでも言いたげな顔で言った。メイドは気まずそうに目を泳がせる。フェンリルはラビの方を見た。
「どういうことだ、ラビ。彼女は俺の正妃にする予定だと伝えてあるはず」
「あのですね陛下、これは…」
「これも俺の、せいか…。俺が番にしないから…」
フェンリルが力なくそう呟く。セナは、え?と首をかしげる。
フェンリルは一度息を吐いた後、おい、とメイドに声をかけた。メイドは萎縮した様子で、はい…、と返事をした。
「今からセナを風呂に入れろ。しばらくしたら俺がここに来る」
フェンリルはそう言い残すとセナの部屋から出ていった。メイドは、は、はい…、と驚いた様子で返事をした。ラビは目を丸くしたまましばらく固まった後、まじで…、と呟く。
一方セナは、わけがわからないまま、え?と首を傾げた。
初めてここに来た日のように、セナは数人がかりで風呂に入れられた。
ぐったりした様子で髪を乾かされていたセナは、まさか…、とようやく今から何が起こるのかを察してきた。
「(…まさか、あの日の再来?ほんとに?にしてもなぜ?)」
「…準備、完了しました」
メイドはそう静かに言った。寝間着姿になったセナは、ありがとう…、と伝えた。メイドたちは納得がいかない顔でお互い目を合わせる。
セナが居心地悪い気持ちでいると、突然扉が開いて、寝間着に着替えたフェンリルが入ってきた。メイドたちは皇帝の登場に急に背筋を正す。
フェンリルは彼女たちの前を通り過ぎて、化粧台の前に座るセナのそばに来た。すると、すぐにセナの頬に手を当てるとキスをした。突然のことに、メイドたちは慌てて両手で目を隠す。セナも驚いてフェンリルの肩を押すが、彼が動じることはなく、角度を変えて何度もキスを落としてくる。
メイドたちは、失礼いたします…、と蚊の鳴くような声で呟き、逃げるように部屋から去っていった。
フェンリルは何度もセナにキスをしたあと、彼女を抱き上げてベッドまで運んだ。そして、彼女を組み敷くとまたキスをした。セナはなんとか一瞬の隙を見てフェンリルから顔を背けた。そして、彼の肩を力いっぱい押した。しかしフェンリルには効かず、彼はセナの着ている衣服に手を付け始めた。セナは、はっとして、さらに彼の体を手で押した。その時、ヴァーリにつけられた傷が痛み、セナは、いたっ…、と声を漏らした。するとフェンリルは動きを止めた。
その隙にセナは、息を整えながらフェンリルを見上げた。
「…急に、なに?なんなの?」
「……」
フェンリルは、セナの腕についた傷を見て眉をひそめる。そして、俺のせいだ、と呟いた。
「…兄との関係が良くないこともわかっていたし、セナが俺の弱点であることも、…そこをヴァーリが狙うこともわかっていた。それなのに、問題を先送りにした。…結果、君に恐ろしい思いをさせて、傷まで…」
フェンリルはそう言うとセナの頬に手で触れた。まるで自分のことのように苦しい顔をして、心配そうに見つめてくるフェンリルに、セナは胸の奥が震える。
散々ラビから自業自得と罵られた後だったため、自分の心配をしてくれる彼の優しさが余計に胸に染みた。
「(…優しい人、なのかな…)」
自分をまっすぐ見つめる目の前の人の赤い瞳が見たことがないほど綺麗で、セナは呼吸を忘れるほど熱中して見つめ返した。胸が、感じたことのないような鼓動を打つ。
「(…こんな人が私を正妃にすると言うのなら、きっと本当に好きなのかもしれない。憂さ晴らしとかいうのは所詮噂でしかなくて…)」
セナは自分の頬に触れるフェンリルの手に、恐る恐る自分の手で触れた。そんなセナにフェンリルは一度小さく呼吸をすると、改めてセナの瞳を見つめた。
「だからもう決意した。今から、君を俺の番にする」
フェンリルはそう言うとまたセナに顔を近づけた。セナは、ちょ、ちょっと!とその口元を両手で覆った。
「なぜそうなるの?恐ろしい思いをさせた。傷もおわせた。可哀想。だから番にしよう、っていう思考回路がよく分からない」
「…君が俺の番であったなら防げたことだ。しかも、使用人にまでこき使われているみたいじゃないか。それはひとえに、君が俺の番じゃなかったからだ」
「……」
セナはフェンリルの口元を押さえたまま固まる。少しの間の後、セナは、…ちょっと待って、と言うとフェンリルの下から抜け出してベッドの上に座った。フェンリルは怪訝そうにセナと向かい合って座った。
「あなたは、私があなたの番になることがすべての問題を解決するような言い草だけど、私はそうは思わない。だって、あなたが挙げた不都合が起こるよりも、こんな流れで、は、初めてのことが終わる方が耐えられない!」
セナの言葉に、フェンリルは目を丸くして固まる。セナは、大真面目な顔でフェンリルを見つめる。
「私はね、こういう初めては、自分が本当に好きな人と、こう…お花が咲いてて、きらきらきら〜、ふわふわふわ〜、わあ〜〜、みたいな、そんな感じがいいって、決めてるの!」
セナは至って真剣にフェンリルに告げる。フェンリルはよく分からずに眉をひそめる。
「……?この部屋に花を持ってこさせたらいいのか?」
「ち、ちがう、イメージよイメージ!…とにかく、その夢を何かの手段のために消費されるくらいなら、別に周りにどう扱われてもいい!…実際私の立場が弱いことは確かなことだし、仕方ないことだから!」
「…ヴァーリみたいな、俺をよく思わない奴らに君の言う゛初めて゛とやらを終わらされるのは構わないのか?」
「それは…、て、抵抗すればいいのよ。ヴァーリには勝てたから」
「か、勝てた…?」
「とにかく、私は人生の20年間を他人の都合で浪費させられたの!青春を奪い去られてるの!それでも、年が過ぎすぎて、熟成されすぎて発酵してるけど、大事に抱えてる叶えたかった夢があるの!」
ふん、と得意げな顔をするセナに、フェンリルが不安そうに顔を曇らせる。
そんなフェンリルに気が付かないセナは彼をきつく睨んだ。
「そういうわけだから、早く私の部屋から出ていって」
「…君は何か勘違いをしている」
「え?」
セナが首を傾げた瞬間、フェンリルがセナを抱きしめた。セナが、あ…、と声を漏らしたときには、すでに彼に組み敷かれていた。
「俺はもう、君を正妃にすると決めている」
「……は?」
「そして、君の所有権はすでに、王国から俺へと正式に譲渡されている。つまり、君に俺を拒む権利はない」
フェンリルはそういうと、セナの服にまた手をかけた。セナは体をよじって逃げようとするが、手首を掴まれて、足を彼の体で固定させられているため逃げられない。
「(…ど、どうしよう、ほ、本当にそんなことになっていいの?)」
頭の中でセナは大混乱に見舞われる。先ほどラビから郷に入っては郷に従えと言われた言葉と、自分が発酵しそうなほど抱き続けてきた夢とが順番に主張してくる。
「(い、いや、い、いいわけがない…!)…あっ、い、いたい!いたいいたいいたい!!」
セナはそう大声を上げた。痛い、という言葉にさすがのフェンリルも動きをとめる。セナはヴァーリにつけられた傷を手で覆う。
「い、いたい、傷が…ヴァーリにつけられた傷が痛い…!」
「…そこには触れてないが…」
「えっ、あっ…、あ、あなたに私の痛みの何がわかるの?!」
セナはぎっとフェンリルを睨みつける。フェンリルは少し考えた後、ため息をつき、セナの上から体をどけた。セナはその隙に脱兎のごとく部屋から飛び出し、そしてベイズの部屋に逃げ込んだ。




