4-3ご令嬢は夢見がち
それからというもの、セナは、毎日使用人部屋に向かって、メイドたちと一緒に仕事をすることにした。
いつもの感じの悪いメイドたちが仕事を教えてくれるわけもなく、セナはあまり納得のいっていないベイズに優しく教わりつつ、洗濯や針仕事、掃除の仕事を始めた。
「(何もしていないより、何かしていたほうが気が紛れるな…)」
セナは、大量の洗濯物を取り込んだあとのの空を見上げた。空は曇っていて、どうやら夕方から雨が降るようだった。セナは額ににじんた汗をハンカチでぬぐい、はあ、と息を吐いた。
周りのメイド達の怪訝そうな顔は見ないふりをできないとはいえ、ひがないつ終わるかもわからない何もない日々を過ごすよりかは、セナにとっては楽に思えた。
「(…というか、早く王国に帰らせてもらわないと…。嫌われないと…。まあ、フェンリルが帰ってこなければ無理だけど…)」
セナはぽつりと考えてふいにメイドたちが話していた噂を思い出す。
「(…いやまあ、ただの噂だし。…そういえばヘルだって、フェンリルが女性を連れてきたのは私が初めてだって。…って、何あの人の好意を信じようとしてるわけ?…どうかしてる…)」
「ねえあなた、乾いたシーツを部屋に届けてくださる?」
メイドの一人に声をかけられた。セナは、はい、と返事をして、シーツを受け取った。
「これをどちらに?」
「ヴァーリ様のお部屋に」
「ヴァーリ…」
セナは、あの日の出来事を思い出して顔を引きつらせる。メイドは、今会議に出られているはずだから部屋にはいないわよ、とつけ足すと、彼女の仕事に戻っていってしまった。セナは受け取ったシーツを見つめたあと、ならいっか、と呟いて歩き出した。
ヴァーリの部屋の扉は、セナの部屋のものよりも荘厳な飾り付けがしてあった。皇帝の兄だものなあ、と思いながら、セナはノックもなしに部屋に入った。
シーツを持ってすたすたと部屋の中を歩き、寝室に向かった。毎日使用人たちが掃除しているはずなのに、部屋は随分散らかっている。あの荒々しい性格だものなあ、と思いながら、あまり見すぎるのもよくない、と自分を律し、セナは寝室の扉を開けた。
「…うっ!」
セナは扉を開けて硬直した。誰もいないと思っていたはずのベッドの上に、あられもない格好の狼の女、そしてその上にのしかかる半裸のヴァーリがいたのだ。
慌てたセナは扉を閉めようとしたが、不機嫌そうな、おい、というヴァーリの声がした。セナは扉を閉める手を止めると、ゆっくり隙間から顔を出した。
「勝手にこの俺様の部屋に入るとは、どういう了見だ」
ベッドから立ち上がり、かなり気が立った様子でヴァーリはこちらにきた。セナは顔面蒼白になりながら、ご、ごめんなさい…!と謝った。
「その…、会議に出ていると聞いていたので…」
「お前の弁明を聞く気はない」
ヴァーリは鋭い爪の伸びた手で、セナの襟元を思い切り締め付けて持ち上げた。セナはその苦しさに息が詰まる。ヴァーリの、前以上に鋭い視線と、荒々しい呼吸に、セナは背筋が震え上がる。
ヴァーリはちらりとセナの顔を見ると、ああ?と眉をひそめた。
「お前…フェンリルの連れてきた女か?なぜここにいる」
「あの…洗ったシーツを…」
「シーツぅ?お前がなんで使用人の真似事をする必要があるんだ。わけのわからない嘘をつくな」
「ほ、ほんとに…」
「さてはお前、フェンリルに相手にされないからって、俺様の番にしてもらいに来たのか?あいつのいない時に頼みに来るなんて、小賢しいな」
「え…、はあ?…わっ!」
襟元を締め上げられたセナは、そのまま乱暴にベッドに投げつけられた。ベッドの上にいた狼の女は、ええ?と不満そうな声を上げる。
「こんな割り込み、あり得ないんですけど」
「うるさい。すぐ終わるから、そこで待ってろ」
「はあい」
女は衣服がはだけた姿のまま、ベッドの枕のそばに寝そべり、うつ伏せの体勢で頬杖をついてセナの方を見つめた。
セナは殺気立ったヴァーリがセナのところへ来るのを見ると、慌ててベッドの上から降りようとした。しかし、そんなセナの腕を、ひどく強い力でヴァーリが掴んだ。爪がセナの服を貫通し、肌に生ぬるい血が伝うのを感じる。
セナは恐怖から叫び声も出ず、その痛みに怯んで力を緩めた。その瞬間、ヴァーリは無理やりセナをベッドに押し付けて、馬乗りになった。そして、ひどく冷徹な瞳でセナを見下ろした。
「悪趣味な仕返し。弟に王座を奪われたのがそんなに憎い?」
女はセナのすぐ隣であくびをしながら言った。ヴァーリは舌打ちをすると、黙れ、と言った。女は、はあい、と言うと、がんばってね、とセナの頭を軽く撫でた。
ヴァーリはセナの両足を掴むと、その間に自分の身体を割り込ませた。そして、ヴァーリはセナの方にぐっと顔を近づけて、無慈悲に笑った。
「よく見ろ。これがお前の番になる男の顔だ」
ヴァーリは冷たい目元をセナに向ける。セナは恐怖から口がガタガタと震えた。そんなセナの顎の下を、女が優しくさすった。
「獣の世界からしたら、皇帝の兄の番になれるなんてとんでもなく幸せなことよ?ほーら、リラックスして、リラックスして」
細長い指先が、セナの顎の下で動く。その時セナはふと、よく犬の顎の下を撫でていた事を思いだす。その時の犬の気と力の抜けたような顔。もしかしたら、狼もそうなのかもしれない。
セナは自分に近づいてきていたヴァーリの顔に手を伸ばした。ヴァーリは咄嗟のことに反応できず、その手を受け入れた。セナは彼の顎の下に手をいれると、長年犬を愛でてきたテクニックを駆使して、手指を動かした。
「なっ、あっ…」
ヴァーリは一瞬力が抜けた。その隙を逃さずに、セナはこれまで出したことのない速さで体を動かして彼の下から逃げ出し、そして一目散に部屋から去っていった。
肉体的にも精神的にも疲れ果てたセナは、部屋に戻るとぐったりとソファーに座り込んだ。その時、ベランダに黒い何かがいるのが見えた。
「…ぶーちゃん」
セナは扉を開けて、ベランダにいたぶーちゃんを抱き上げた。体がすっかり濡れていたので、不思議に思って空を見上げると、外は雨が降っていた。
「…可哀想に、お風呂に入れてあげる」
セナはぶーちゃんを腕に抱きしめると、バスルームに連れて行った。そして、お風呂にお湯をため始めた。すると、鼻をひくひくとさせたぶーちゃんが、セナの腕のにおいをかいだ。セナが、え?と首を傾げたとき、腕の部分の衣服に血がにじんでいるのが見えた。
「…これ…」
さっきのヴァーリとの時の傷だと思い出し、セナは表情を暗くする。ぶーちゃんは鼻をひくひくとさせながら、何やら落ち着かない様子でセナの表情を見上げている。セナはぶーちゃんのつぶらな黒い瞳を見つめると、急に安心して、目に涙があふれてきた。セナはぶーちゃんを抱いたまま、手でこぼれてきた涙をぬぐう。大きな体、鋭い声、強い力、そのどれもが恐ろしくて、セナは思い出すと体が震えて、ぼたぼたと涙が溢れ出す。
ぶーちゃんは、そんなセナに鼻を寄せる。セナはぶーちゃんの方を見て、ううん、と頭を振って微笑んだ。目を細めた拍子にまた一粒涙がこぼれた。
「なんでもないの。ごめんね、ありがとう」
セナはそう言うと、ぶーちゃんを抱きしめて頬を寄せた。セナはまたこぼれた涙をぬぐうと、何でもないことを伝えるように、ぶーちゃんに向けて改めて微笑んだ。
「…そうだ、私もあなたと一緒にお風呂に入っちゃおうかな」
セナはそう言うと、一度ぶーちゃんを床に下ろして、それから着ていたワンピースを脱ぎ始めた。ぶーちゃんは耳と尻尾をぴんと立てると、何やらぐるぐると回り始めた。キャミソール姿になったセナは、どうしたの?としゃがみ込む。両ひざを腕で抱えたとき、ヴァーリの爪でつけられた傷が見えた。生々しい跡が残る引っかき傷に、セナは少し肩を震わせる。
すると、ぶーちゃんはまた耳と尻尾を立てたあと、バスルームから走り出してしまった。セナは、あっ、と声を漏らしたあと、慌てて脱いだワンピースを着た。
「待って、濡れたままじゃ寒いよ!」
セナの声も聞かず、ぶーちゃんは扉の前で器用にジャンプしてドアノブを動かすと、部屋からで言ってしまった。セナは、ええっ?!と声を漏らして、その姿を追いかける。
「ぶーちゃん、どこ、ぶーちゃん?」
セナは廊下を走って子犬の姿を探す。すると、曲がり角で誰かにぶつかった。よろけるセナの両肩を、ぶつかった相手がささえた。ごめんなさい、と謝りながらセナが顔を上げると、その相手はフェンリルだった。
「(…髪も服も濡れてる…。外が雨だったから、今帰ってきたところなのかな…)あの、子犬を見かけなかった?黒い…」
「…医者を呼ぶ。部屋で待っていろ」
フェンリルは、セナの服についた血を見てそう言った。セナは、あっ…、と声を漏らして、自分の傷を見た。
「(…傷の理由…とか言わないといけないのかな…。ヴァーリと一悶着あったと知ったら、ど、どうなるんだろう…)」
「……」
フェンリルはいつになく殺気立った顔を見せると、部屋に戻るぞ、と言ってセナの部屋の方へ歩き出した。セナはそれについて歩き出す。
フェンリルは何も言わずにセナを部屋に送り届けると、またどこかへ行ってしまった。セナはその背中を見送る。
「(…長い間国外にいて、疲れてたから不機嫌だったのかな)」
そんなことを考えながら、セナは小さく息をつくと、ソファーに座った。
フェンリルは黙って廊下を歩き、そして、ヴァーリの部屋の扉を開けた。そして、迷わず寝室に向かうと、そこへ入った。
寝室のベッドの上には裸のヴァーリと、そして同じく裸の狼の女が重なっていた。ヴァーリはフェンリルの姿を確認すると、ため息をついてから、女から離れ、そしてベッドに腰掛けた。女は目を丸くした後、シーツにくるまって、フェンリルの様子をうかがった。
「…フェンリル陛下、戻られてたんですか」
「セナを襲ったそうですね。彼女から兄さんのにおいがしました。…ケガもしていた」
フェンリルは淡々と、しかし確かな怒りをにじませてヴァーリに話した。ヴァーリは、ふっ、と小さく笑った、
「こちとらあの時期なんですよ。薬を飲んでいたとしてもみんながみんな、あなたみたいに普通にはしていられない」
ヴァーリは眉を少し上げると、勘違いしないでください、と言った。
「あの女の方から俺の部屋に来たんです。しかもこの時期に。襲ってくれと頼みに来ているようなものだ」
「……」
ヴァーリの言葉に、フェンリルは驚いたように目を丸くした。ヴァーリは、ふっ、と鼻で笑った。
「実際、そう願っていたようにも思いますよ。他国から連れてこられた何の後ろ盾もない女が、この城で生きていくには誰かの番にしてもらうしかない。肝心のあなたにその気がないから、あの女は俺に頼みに来たんじゃないですか?」
ヴァーリの言葉に、フェンリルは小さく眉を動かす。ヴァーリはフェンリルの様子をうかがうように伏し目がちで彼を見上げる。
「あの女をどうしたいのか知りませんが…、あなたがこのままどっちつかずの態度でいれば、あの女の立場はありませんよ。陛下のお気に入り、でも番にはしてもらえない。そんな状況、どれだけ虚しいでしょうね。名前だけがあって、中身がない…」
ヴァーリはそこまで言いかけて、表情を失った。女はちらりとヴァーリの方を見る。ヴァーリは、ふっ、と軽く笑うと、フェンリルの方を見上げた。
「今回のことは不慮の事故です。どうかご容赦を」
ヴァーリはベッドに座ったまま頭を下げた。フェンリルは眉をひそめると、…邪魔をした、と低い声で言い放ち、部屋から出ていった。
フェンリルが部屋を出たのを確認すると、シーツにくるまっていた女が、はあ、とため息をついた。
「なんかすごい圧…。ねえ、本当に陛下、あの人間を番にするつもりなの?」
女の質問に、気だるそうにヴァーリは舌打ちをして、ベッドに横たわった。
「あったとしたらもうしてるだろ」
「じゃあどうしてそばに置くの?」
「……」
ヴァーリは眉をひそめて考え込む。しかしすぐに、はあ、とだるそうにため息をついて、知らんと言い放った。
女はうつ伏せの姿勢で頬杖をつき、寝転がるヴァーリを見下ろした。ヴァーリは天井を見上げて不敵に笑った。
「俺は必ず、次期皇帝となる子どもを作って、あいつを王座から追いやる」
くつくつと笑うヴァーリを、女は冷ややかな目で見る。
「…王位を弟に取られた仕返しが、陰湿すぎるんじゃない?」
「黙れ」
「…」
女はヴァーリから視線をそらして、ふーん、とそっけなく返した。




