3-4ご令嬢は試行錯誤したい
フェンリルが城を出て1週間ほどが経った。セナはいつものように昼食を取り終えると、ラビとともにお城の中を散策した。
すると、今日はいつも以上に人の出入りが多いことに気がつく。特に、きれいに着飾った女性の数が多い。
「今日は何かあるの?」
セナは隣を歩くラビに尋ねた。ラビは、ああ…、と呟いた。
「陛下が帰ってくるのかも」
「フェンリルが帰ってくる…、のと、女性の数が多いのと何か関係かあるの?」
「外遊からやっと城に帰ってきて、陛下の心が多少でも緩んでるところに自分の娘をねじ込みたい父親がたくさんいるってこと」
ラビが淡々と言ったことを、セナはゆっくり咀嚼する。
「それは…つまり…」
セナは少しの間固まった後ようやく意味を理解して、はっと息を呑んだ。
「(じ、自分の娘を売りにきたってわけ?!親の風上にも置けないわ…!!信じられない…!これだから男って生き物は…!)」
セナは、着飾った自分の娘を隣において皇帝の帰りを待つ父親達に敵対の視線を向ける。と同時に、父親に連れてこられた娘達にシンパシーを感じる。
そして、おそらく恒常的にたくさんの女性を好きにしていいと周りから言われていても手を出してこなかったらしい彼は、もしかしたら周りからのこういった圧を苦痛に感じているのではないか。そう考えると、彼のことがなんだ少し可哀想だ、とセナは思った。
セナがなんとも言えない気持ちで立ち尽くしていると、後ろから、おお、と声をかけられた。ラビは声の主に気がつくと姿勢を正して頭を下げた。セナは小首をかしげた後振り向いた。するとそこには、少し露出のある格好をした女性2人を横に侍らせ、嫌な笑みを浮かべたヴァーリがそこにいた。
フェンリルほどとは言わずとも、背はぐんと高く、そして体格のいい彼にセナは一瞬怖気づく。彼についた赤茶色の耳と尻尾では誤魔化せない彼の雰囲気に、セナは一歩後ずさる。
ヴァーリはセナを見下ろすと、ふんっ、と小さく鼻で笑った。
「お前が、フェンリルの連れてきた人間か」
ヴァーリは、隣にいた2人の女性を置いてセナの目の前に立つと、腰をかがめてセナの顔を覗き込んだ。セナは動揺から目を泳がせる。そんなセナに、ヴァーリはバカにしたように笑った。
「はっ。どういう趣味してんだか、あの陛下は」
ヴァーリは屈めた腰を真っ直ぐにすると、セナを見下ろしてそう半笑いで言った。セナは、馬鹿にされたことについむっとする。
するとヴァーリは、なんだその顔は、と低い声でセナに言い放った。セナはその声にぎくりとして肩を揺らす。
雰囲気がピリッと張り詰めた彼に動揺したセナの髪を、乱暴にヴァーリが掴んだ。半笑いのヴァーリは強い力でセナの髪を引っ張り上げて、セナの顔を強引に自分の方に寄せた。
「いっ、痛い…!!」
セナは、掴まれた髪を必死に自分の手で掴んで痛みを抑えようとする。しかしヴァーリは力を緩めずにセナの髪を乱暴に引っ張る。頭にじわじわ感じる痛みが苦痛で、セナは顔を歪める。
周りの獣人たちは、乱雑に扱われる人間の姿を見て、まるで見世物を見るかのように笑う。笑い声をあげる獣人たちの中で、セナの少し後ろに立つラビは、目を丸くしてバツが悪そうな顔をする。
「弱い人間風情が、俺たちに負けた敗者が、どういう了見でそんな態度をとってるんだ?ああ?ましてや、この国を治める王の血を引く俺様に」
「い、痛い…!!」
ヴァーリはさらにセナを掴む手に力を込める。セナはあまりの激痛にさらに顔を歪める。
周りの獣人たちの笑い声が響く中、セナはどうしたらいいかわからずに頭が真っ白になる。
「ヴァーリ様…、どうかご容赦を…」
この状況に、とうとう堪えきれずにラビが、ヴァーリを止めようと近づいた。しかしヴァーリは舌打ちをした後、ラビを片足で蹴り飛ばした。小柄なラビは、ヴァーリの前で力なく吹き飛ばされた。セナは、ラビ…、と声を漏らす。するとセナの耳元でヴァーリが口を開いた。鋭い彼の牙が光って見えて、セナは呼吸が止まる。
ヴァーリはセナの首元に鼻を近づけると、無遠慮ににおいを嗅いだ。そして、なんだまだ番にもしてないのか、と呟く。
「この人間を俺が番にしたら、あいつ、どんな顔をするんだろうな」
ヴァーリはそう、やけに静かな声でセナに言った。セナは、鋭い視線を向けるヴァーリの目を見て、恐怖から絶句する。
「(…怖い…)」
大きな体、大きな声、絶対に自分がかなわないだろう強い力。さらには、長年教え込まれてきた男は恐ろしい生き物だという言葉。それらを肌で感じて、セナは恐怖から体が震える。
すると、笑い声が止み、急に辺りが静まり返った。セナが、その異変に気がついた時、自分の髪を掴むヴァーリの手首を、他の誰かの手が掴んたのが見えた。ヴァーリはその手の主を見て、顔の血の気が引いていく。
「ただいま戻りました、ヴァーリ兄さん」
セナの背後からそんな声がした。ヴァーリは慌ててセナの髪から手を離した。
「ず、随分、早い、お帰りですね…」
ヴァーリは動揺が隠せない様子で言った。フェンリルはその言葉には返事をせず、セナと向かい合うようにして立った。そして、ヴァーリに乱暴に掴まれたせいで乱れたセナの髪を大きな手で優しく撫でて直した。セナは、ヴァーリに感じた恐怖から動揺したまま、目を泳がせてしまった。フェンリルはそんなセナの頬に自分の手を当てた。セナははっとして視線を上げて彼の目を見た。彼の赤い瞳が、じっとセナの方を見ている。
「…長い外遊、疲れたでしょう。どうぞ今日はゆっくり休んでください」
ヴァーリはそう言うと、こちらに集まってきた女性たちの方を見渡しながら言った。女性たちはなんとかフェンリルの視界に自分がはいれないかと身を乗り出す。
フェンリルは、そうですね、と言うと、セナを姫抱きにした。突然のことに、セナは目を丸くする。周りも驚きからざわめく。
「わっ、わっ!」
セナはフェンリルに抱き上げられながらわけが分からずに混乱する。フェンリルはヴァーリに背中を向けたまま、兄さん、と言った。
「セナは俺の正妃になる女性だ。兄さんと言えど、彼女への接し方には気をつけてくださいね」
フェンリルはそう冷たくヴァーリに言い放った。その言葉に、周りは静まり返る。
「ほ、本気ですか?こいつは人間ですよ?」
ヴァーリはフェンリルの背中に半信半疑で話しかける。
「でなければなぜ、彼女をここに連れてきたと思うんです」
フェンリルが立ち止まらずにそう言い放つ。ヴァーリは言葉をつまらせる。周りは、困惑からざわめきが起こる。
セナはわけがわからないまま、フェンリルに連れられていくことしかできなかった。
セナは、フェンリルに連れられて自分の部屋に戻ってきた。フェンリルはセナをソファの上に優しくおろした。
セナはわけがわからないまま目を泳がせる。フェンリルはセナの隣に座ると、驚いただろ、と話しかけた。セナは先ほどのフェンリルの正妃発言を思い出し、ばっ、と彼の目を見た。フェンリルは少し疲弊したように息をついた。
「狼は、気が荒く見えるのが多い」
「あ…え?」
セナはよくわからなくて固まった後、彼が言っていたのはヴァーリの話かと気が付き、ああ…、と彼から目をそらした。フェンリルは少し黙ったあと、セナの方を見た。
「…がしかし、狼の全員の本性がそうだとは思わないでほしい」
「え?」
セナはきょとんとしてフェンリルを見上げた。フェンリルはセナと目が合うと、ゆっくり目を細めた。
「君の顔が見たかった。離れている間ずっと」
フェンリルにそう言われて、セナは硬直する。
「(本当に私を正妃にするつもり?私を?この、私を…?)」
セナは、王国で受けていた自分の扱いをを思い出して、そんなわけがないかと表情が曇る。
そんなセナの顎の下にフェンリルは手を添えると、彼女の唇に軽くキスをした。お互いの鼻先が触れ合うほどの近さで、フェンリルはセナを見つめる。セナはようやく自分が彼にキスをされたことに気がつくと、彼の胸を押して離れようとした。しかし、そんなことでフェンリルはびくともせず、すぐに2回目のキスをした。フェンリルはソファと自分の体とでセナを挟み、彼女の逃げ場をなくす。セナは身動きがうまくとれず、彼を拒むことができない。
「(…本気にしたらいけない。私はただ最初に決めた通り、この人に嫌われて、国に返される道を探すだけ)」
フェンリルと唇を合わせながら、セナはそんなことを考える。この男が自分を正妃にするなんてことを本気で言う理由が見つからないからだ。
フェンリルは一度セナから唇を離すと、またすぐにキスをしようとした。しかしセナは、さっと彼の唇を自分の両手で覆った。セナはじろりとフェンリルをにらみつける。フェンリルは少し目を丸くして彼女を見つめる。
「あなたの妻になるなんてお断りです。言ったでしょう?私は、あなたとどうともなる気はないって」
ヘルからのお願いを実行する気はセナに一切なかった。セナはそう言って、フェンリルを押し返そうと両手に力を込める。しかし彼はびくともしない。
「断る、という選択肢は君にない。君は王国から正式に、俺に献上されたのだから。つまり、君はもう俺のものだ」
フェンリルはセナの手で口元を覆われたまま淡々と言う。セナは、正論を返されて言葉に詰まる。フェンリルはそんなセナを見ると余裕そうに目を細めて、セナの手のひらに軽くキスをした。セナは、ばっとフェンリルから手を離した。
「(…ま、まさか、ほ、本気で言ってる…?本当にこの人は私のことが好きなの…?)」
セナはじわじわと赤くなる頬を感じながらフェンリルを見つめる。いまだかつて人に好かれたことがないセナは、感じたことのない胸の鼓動を感じる。
するとフェンリルは、そんなセナの顔をじっと見つめていたと思ったら、急に苦々しい顔をした後、自分の両手で自分の頭を、何かを確認するように軽くさすった。セナは、彼のよく分からない行動に小首をかしげる。
フェンリルは荒々しく自分の髪を手でかくと深い溜息をつき、セナの上からどいて、セナのベッドに向かうと寝転がった。
「もう寝る。…今日は疲れた」
「なっ、ちょっと、勝手に人のベッドで寝ないでくれる?!」
セナはソファーから立ち上がると、ベッドに寝転ぶフェンリルの元へ行き、腕を引っ張った。
「早くでてってくれる?!」
「ここは俺の城だ。つまり、ここも俺の部屋だ」
「私に与えられた部屋でしょ!」
「君自体が俺のものだから、この部屋も俺のものだ」
「ぬっ、ぐっ…」
引っ張ってもびくともしない男を、セナは息を切らしながら睨みつける。フェンリルはそんなセナを見上げた後、自分の髪を軽くぐしゃりとかいた。
「…一度一緒に寝てみて、様子を見るか…」
「え?」
「ほら、早く寝よう」
フェンリルはそう言うとセナの腕を引いて自分の隣に寝かせようとした。セナは、や、やめて!と言って手を払った。
「ね、寝ないから!一緒になんて寝ないから!!」
「俺は動かない」
「ぐ…」
セナは、もういい!と言うと立ち上がり、ベッドから降りた。
「あなたが出ていかないのなら私が出ていく!」
「…出ていくってどこに…」
呆れた様子のフェンリルの言葉を無視して、セナは部屋を飛び出した。そして、怒りのままベイズのいる使用人部屋に逃げ込んだ。




