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第82話:松前道広の仮面――九つの真実と一つの嘘

 宝暦十四年(一七六四年) 晩春 蝦夷地・松前


 「……よし、まずは『市場調査マーケティング』ですね。

  この町の物流の急所と、守屋様の言っていた詐欺師の足取りを洗ってきます。

  二人はここで待っていてください」


 勘太はそう言い残すと、ボロ屋を飛び出していった。

 その背中には、かつての宗谷で見せた、冷徹で、しかし頼もしすぎるほどの覇気が宿っていた。


 ピシャッ、と。


 建付けの悪い戸が閉まり、勘太の足音が遠ざかっていく。


 ――行ったか。


 気配が完全に消えたのを確かめてから、俺はゆっくりと息を吐いた。


「…………ふぅ」


 喉の奥に溜まっていたものを押し出すように、深く、長く。


 隣で守屋も同じように息を吐く。


「…………はぁぁぁ」


 静まり返った屋敷に、二つの吐息が重なった。


 張り詰めていた空気が、ようやく緩む。


 俺は背もたれに体を預け、固まっていた肩の力を抜いた。


 ――さすがに、疲れるな。


 あそこまで露骨に“崩れてみせる”のは骨が折れる。


 守屋が手ぬぐいで額の汗を拭いながら、苦笑混じりに口を開いた。


「……若。いささか、やりすぎではございませぬか。

 勘太のあの顔……完全に信じ切っておりましたぞ」


「そうか?」


 俺は軽く肩をすくめる。


「だが、あれくらいでなければ、あいつは本気にならん」


 視線を戸口へと向ける。


 すでに姿は見えぬはずの背中を、思い浮かべるように。


 あの男は、妙なところで冷めている。


 利と損を秤にかけ、切り捨てるべきものは迷わず切る。


 ――だが。


「情に絡め取れば、話は別だ」


 自分のせいで誰かが落ちたと思えば、あいつは逃げない。


 むしろ、意地になってでも引き上げようとする。


 そこが隙であり――使いどころでもある。


 俺はゆっくりと顔を上げた。


 頬の筋肉をわずかに動かし、表情を作り替える。


 先ほどまでの“情けない若様”の面は、もうどこにもない。


 代わりに浮かぶのは、計算と愉悦を帯びた笑み。


「人を騙すときは、九つの真実の中に、一つの嘘を混ぜろ――」


 口の端が自然と上がる。


「あいつが文で言っていた言葉だ。存外、使い勝手がいいものだな」


 すべてを偽る必要はない。


 むしろ逆だ。


 真を並べ、その中に一つだけ“決定的な嘘”を混ぜる。


 そうすれば、人は疑わない。


 いや――疑っても、切り捨てる。


 俺は冷えた白湯を手に取り、ゆっくりと口に含んだ。


 ぬるくなったそれが、妙に喉に心地よい。


 ――さて。


 どこまで引き出せるか。


 あいつが抱えているもの。


 あの宗谷で見せた、得体の知れぬ“力”。


 あれをすべて吐き出させることができれば――


 この停滞した盤面は、いくらでもひっくり返せる。


 俺は湯呑みを静かに置き、わずかに目を細めた。


 楽しみだ。


 あいつが、どこまでやれるのか。


---


 事の次第は、いささか入り組んでいる。

 

 俺が語った話のうち、

 宗谷への漫遊を咎められたこと。

 勘太との文のやり取りを問題視されたこと。

 そして、あいつの口にした“財政改革”を父上に進言し、激怒されたこと――


 そこまでは、すべて事実だ。


 保守に凝り固まった重臣どもは、あの案を「僻地の小僧に毒された妄言」と切り捨てた。

 その結果、俺の立場は城中で目に見えて悪化した。


 居場所がない、というほどではない。

 だが、あからさまに風向きは変わった。


 ――ここまでは、な。


「父上が激怒されたのも、城内で孤立しているのも本当だ。だが――」


 そこで言葉を切り、俺は口元をわずかに歪める。


「『後継者から外された』というのは、真っ赤な嘘だ」


 あの時の、勘太の顔が脳裏に浮かぶ。


 わずかな逡巡。

 だが、すぐに飲み込んだ。


 あいつは、ああいう顔をする。


 疑いながらも、切り捨てない。


「父上は今も、俺を跡取りと見ておられる。

 ただ――『少し頭を冷やせ。それほど自信があるのなら、城の外で証明してみせろ』と、

 この屋敷をあてがわれただけのこと」


 体裁としては謹慎。

 だが実際は、試しだ。


 そして――


 俺にとっては、願ってもない盤面でもある。


 城の内では、手足が縛られる。

 だが外ならば、やりようはいくらでもある。


 ……もっとも、それを一人でやりきれるほど、俺は万能ではないがな。


 だからこそ、あいつを引きずり込む必要があった。


 俺は小さく息を吐き、湯呑みを指でなぞる。


「詐欺師に金を盗まれた、という話も無論、作り話だ」


 あの場面を思い出し、わずかに苦笑が漏れる。


 少々、やりすぎたかもしれん。


 だが――


 ああでもしなければ、あいつは動かない。


 利が薄ければ、平然と切り捨てる男だ。


 ならば、損得ではなく“情”で縛るしかない。


 罪悪感と責任感。

 その両方を同時に刺激する。


 あとは、勝手に食いつく。


「守屋、お前の演技も悪くなかったぞ。『おいたわしや』、か」


 思い出し、肩がわずかに揺れる。


「危うくこちらが吹き出すところだった」


「滅相もございません」


 守屋は真顔のまま頭を下げる。


「私は本気で、若が漁師になると仰った時、肝を潰しました。

 ……詐欺の話も、勘太なら見抜くかと思いましたが」


「見抜けなかったな」


 いや、正確には――


 見抜こうとはした。だが、踏み込まなかった。


 あいつの目は、あの時、一度だけ止まった。


 だが次の瞬間には、すべてを呑み込んでいた。


 合理の計算よりも、別の何かを優先した顔だった。


「合理主義者の皮を被っているが、身内には甘い」


 ぽつりと呟く。


「特に、自分のせいで誰かが落ちたと見れば、放ってはおかん。

 ……面倒な性分だ」


 だが、だからこそ使える。


 そして――


 嫌いではない。


「まあ、悪い気はしないしな。今はその方が都合もいい」


 俺は視線を戸口へ向けた。


 あいつは、戻ってくる。


 必ず、何かを掴んで。


 さて。


 どこまで見せてくれるか。


---


 俺は、障子の隙間から外を窺った。


 町は、何事もないかのように動いている。

 人が行き交い、荷が運ばれ、銭が回る。


 ――だが、その流れは、確実に歪み始めている。


 このボロ屋に押し込められているのは、表向きは謹慎だ。

 だが実のところは、城内の視線を逸らすための“隠れ蓑”でもある。


 目の届かぬ場所で、何をするかを試されている。


 そして同時に――


 どこまでやれるかを、見られている。


「勘太は、おのれのすべてを使って俺を元の場所へ押し戻すと言ったか」


 思い出し、喉の奥で笑う。


「……ククッ。面白い」


 あいつは、自分が盤面を動かしているつもりでいる。


 だが、それでいい。


 むしろ、その方が都合がいい。


「あいつの隠しているものを、すべて吐き出させる。

 そのためなら、あれくらいの芝居、安いものだ」


 守屋が、わずかに眉をひそめる。


「……ですが若。素直に助力を乞えばよろしかったのでは?

 何もここまで仕掛けずとも――」


「ふん」


 鼻で笑い、言葉を遮る。


「お前も乗り気で合わせていたではないか」


 守屋は口をつぐむ。


 その通りだ。


 あの場で止めることもできたはずだが、そうはしなかった。


 理由は一つだ。


 ――俺と同じものを、見たからだ。


「それに、あいつが悪い」


 視線を窓の外から切り、部屋へ戻す。


「余計なことはぺらぺらと喋るくせに、肝心なところは絶対に明かさん。

 あれほどのものを見せつけておきながら、正体を隠し通すなど――」


 わずかに、口元が歪む。


「気に食わん」


 正体が知りたい、というだけではない。


 あの得体の知れなさ。

 あの場を変えてしまう“力”。


 あれがどこまで通じるのか、見極めたい。


「俺の勘が言っている。あいつは、まだ何か隠している。

 しかも――ろくでもない類のものをな」


 守屋が、やや困ったように息をつく。


「若の勘が当たるのは承知しておりますが……

 秘密など誰しも持つもの。無理に暴かずとも、いずれ――」


「その“いずれ”を待っている間に、手遅れになる」


 言葉が、わずかに強くなる。


「本当に廃嫡されては、笑い話にもならん」


 それは、冗談ではない。


 父は見ている。


 そして、見限る時は躊躇わない。


「大体、俺があの案を進言せざるを得なかったのは、藩の財政が限界に来ているからだ」


 低く、押し殺すように続ける。


「このままでは、いずれ商人どもに食い荒らされる。

 下手をすれば――松前そのものを、売り渡す羽目になる」


 口にした瞬間、胸の奥に熱が走る。


 守屋が、深く頭を下げた。


「差し出がましいことを申しました。お許しを」


「よい」


 短く返し、息を整える。


「俺も少し、熱くなった」


 沈黙が落ちる。


 だが、それは気まずさではない。


 互いに同じものを見ている、静かな確認だ。


「……お前も分かっているはずだ。

 だからこそ、あの芝居に乗ったのだろう?」


 守屋は答えない。


 だが、その沈黙で十分だ。


「ならば、あとは成り行きを見る」


 あいつは動く。


 ああいう男は、放っておいても勝手に盤面をひっくり返す。


 問題は――


 その結果を、こちらがどう掴み取るかだ。


 俺は懐に手を入れ、一枚の紙を取り出した。


「見ろ」


 守屋に軽く掲げる。


「このみすぼらしい紙。

 城のものとは比べるまでもない粗悪品だ」


 だが、と続ける。


「この文字だ。墨ではない。鉛筆、と言ったか。

 江戸にもないようなものを、あの辺境で、子供を使って作り出す」


 指でなぞる。


 紙の粗さ。

 だが、その上に刻まれた“違和感”。


「尋常ではない」


 ぽつりと呟き、紙を懐に戻す。


「俺は見たいのだ。

 あいつが己のすべてを使えば、何ができるのか」


 視線が、自然と戸口へ向く。


「それが見られるなら――」


 一瞬だけ、言葉が緩む。


「本当に漁師になっても構わん」


「若……」


 守屋の声に、わずかに笑みを浮かべる。


「安心しろ。そうはならん」


 肩をすくめる。


「だが、宗谷でのあの感覚は悪くなかった。

 子供どもに混じって働くのも、案外――」


「お戯れを」


 間髪入れずに遮られる。


 思わず、短く笑った。


「わかった、わかった」


 軽く手を振り、立ち上がる。


 空気を切り替える。


「……そろそろ戻る頃だろう。腹も空かせているはずだ。飯の用意をしろ」


 表情を整える。


 声の調子を落とす。


 先ほどまでの“情けない若様”を、再び被り直す。


 ――松前道広。


 次期藩主としての仮面と、今はまだ必要な敗者の仮面。


 その両方を使い分けながら、俺はあいつの真価を暴く。


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