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第81話:勘太、松前に立つ

 宝暦十四年(一七六四年) 晩春 蝦夷地・松前


 松前に着いた俺を待っていたのは、豪華な城での生活――ではなかった。


 港で道広と守屋に出迎えられた時点で、少し怪しいとは思った。


 いくら知り合いとはいえ、次期藩主の嫡男がわざわざ港まで出てくるのは不自然だ。

 百歩譲って守屋が来るのは顔見知りとして理解できなくもないが、普通なら下働きの者を寄越す場面だろう。


 そうして、歩くことしばし。


(おかしい。松前に着いてから、妙なことしか起きていない。

 やけに口数が少ないのも気になる。

 二人とも顔色が悪いし、どこかやつれた格好をしている)


 やがて辿り着いたのは、町はずれの、やけに年季の入った屋敷だった。


「え、ここ?」


「そうだ」


「城に行くんじゃ?」


「いいから入れ」


 道広は取りつく島もなく、さっさと中へ入っていく。

 俺と守屋だけが、わずかに取り残された。


「ささっ、若をお待たせしてはいかん。入ってくれ」


 守屋に背を押され、俺はボロ屋――もとい、妙に手入れの行き届いた屋敷へと足を踏み入れた。


---


 中は外見に反して整っていた。

 宗谷の実家に比べれば、はるかにましだろう。


 だが、それでも――道広には明らかに似つかわしくない。


「若、白湯です」


「うむ、ごくろう」


「勘太も飲め」


 守屋が淹れた白湯をすすりながら、俺は考える。


 何かあったのは間違いない。

 だが、それが何なのかが見えない。


 家出――はない。

 跡取りをそこまで自由にさせるはずがない。


 宗谷の作業場を真似て、似たようなことを始めるつもりか。


 ……あり得なくはない。


 その責任者として俺を呼んだ、という線も考えられる。


 ようやく宗谷の方が形になってきたところだというのに、

 ここでまた一からやり直しとなれば、正直面倒な話だ。


 もっとも――


 ここには道広という後ろ盾がある。

 資金も権力も使えるなら、環境の整備自体はどうとでもなる。


 そんな算段を頭の中で組み立てていると、

 ようやく道広が口を開いた。


「さて。勘のいいお前のことだ、もう察しはついているだろう」


 わずかに視線を向けてくる。


「お前を連れてきたのは他でもない――」


「宗谷の作業場と同じことを、ここでもやれ、ですね」


 言い終わる前に、俺はかぶせた。


 道広が目を見開く。

 守屋も、言葉を失ったように口を開けている。


 ――図星か。


「いいでしょう。任せてもらえれば、ひと月もあれば形にしてみせます。

 まずは――」


「違う」


 短く、だがはっきりと。


 今度は、道広が俺の言葉を遮った。


「え?」


「お前に頼みたいのは、そんなことではない」


 わずかに、空気が沈む。


 ――勘違いか。


 だが、それならなおさら分からない。

 なぜこんな場所に連れてきた?


「若、ここは私から――」


 守屋が口を開きかけるが、


「よい」


 道広がそれを制した。


「俺の失態だ。自分で話す」


 失態?


 胸の奥に、嫌な予感が沈む。


「……後継者から外された」


「は?」


「聞こえなかったか。松前藩の後継から外された、と言ったのだ」


 想像していたよりも、はるかに重い言葉だった。


---


「なぜ、そんなことに?」


 自然と声が低くなる。


「そうだな。お前のせいにするつもりはないが――無関係でもない」


 嫌な予感が、形を持つ。


「ことの発端は、宗谷への漫遊だ。

 書き置きだけ残して、守屋一人を連れて出たことで叱責された」


 それは当然だ。

 跡取りの行動としては軽率に過ぎる。


「だが、それ自体は決定打ではない」


 道広は淡々と続ける。


「問題はその後だ。

 市井の者と文を交わし、あまつさえ藩の内情に触れるやり取りをしていたことが露見した」


 ――あのやり取りか。


 胸の奥で、何かが引っかかる。


「それも、詫びを入れて収めた。だがな」


 一度、言葉を切る。


「決定的だったのは、その後だ」


 視線が、まっすぐこちらに向く。


「お前から聞いた“財政改革”を、父上に進言した」


 やはり、そこか。


「どこの馬の骨とも知れぬ者の話を鵜呑みにし、

 しかもそれをもって藩主に意見するなど――何事か、とな」


 当然の反応だ。


 外から見れば、

 僻地で知り合った得体の知れない子供の言葉を根拠に、藩政に口出ししたことになる。


 筋が通るはずがない。


 嫡男でなければ――首が飛んでいてもおかしくない。


「父上からすれば」


 道広が、わずかに視線を落とす。


「得体の知れぬものに入れ知恵され、

 己の考えすら揺らされたように見えたのだろうな」


 その声音は、どこか乾いていた。


---


 あまりの衝撃的な話の内容に思わず厠へ行くと言って席を立ってしまった。


 礼を失したかもしれないが仕方ない。


 ちょっと頭を冷やして考えを整理する時間を取らないと余計なことを口走ってしまいそうだ。


 主になにやってんだとかどうすんだとかいう何の益もない悪態が口をついて出そうだった。


 そんなことは言われなくても当人が一番わかっているだろうに。


 そんなことよりもだ。


 これはまずい。


 非常にまずい。


 宗谷で好き放題やっておきながら何だが俺は自分が歴史に影響を及ぼしているなんて言う意識はなかった。


 そもそもこの時代の北海道の知識なんてろくに持っていないのだ。


 せいぜい松前藩とアイヌがもめてたぐらいの底の見えるような浅い知識しかない。


 そんな俺でも覚えていることはある。


 道広は間違いなく次期藩主だ。


 今となっては藩主候補だった、になってしまったが。


 これは明らかに俺がかかわった結果だ。


 俺的には少しでも道広に自分を印象付けて次期藩主として

 ポイントを稼いでもらおうとしただけなのだが完全に裏目に出た形だ。

 罪悪感すら湧いてきた。


 だが、これからどうする?


 おそらく復権のための助力を依頼されるだろう。


 しかし、そんなことをしている時間はあるのか?


 そもそも道広に会いに来たのはコネを利用して宗谷での事業を拡大したり

 都合のいい政策を耳打ちしようと思ってきたのだ。


 後継者から外された奴に付き合って時間を浪費していいのか?


 だいたい復権できる保証はどこにもないのだ。


 制度的に可能なのかどうかもわからない。


 ただし、復権できたときのメリットはでかい。


 今までの関係よりもさらに数段上の扱いが受けられるはずだ。


 ハイリスクハイリターン。


 一方、道広を損きりした場合はどうか?


 藩政に食い込むのは不可能になるだろうが、アイヌ側のネットワーク強化に全振りすれば

 巻き返しは可能だ。


 ローリスクローリターン。


 どちらを選ぶべきか。


「――おい、いつまで入ってる。腹でも痛いのか?」


 守屋の声だった。


「いえ、大丈夫です。もう出ます」


 俺は手桶の水で顔を洗い、鏡――はないので、水面に映る自分の顔を睨みつけた。  

 罪悪感、損得、歴史の歪み。  

 すべて飲み込んで、胃袋で消化してしまえ。    

 

(……損切りか、全力投資か。答えはまだ出ない。

 だが、少なくとも『経営資源の棚卸し』だけは済ませておく必要があるな)


 俺は、作り笑いを張り付け直して、ボロ屋の居間へと戻った。


---


「ずいぶん、かかったな。腹でも壊したか?」


「いえ、船旅の疲れが出たのかもしれません。もう大丈夫です」


「そうか、では本題に入ろう」


 道広は姿勢を正し俺に向き直った。


「俺をあの宗谷で働かせてもらえないだろうか」


「は?」


「無理を言っているのはわかっている。

 だが他に頼める者がおらんのだ。

 頼む。この通りだ」


 道広が頭を下げる。


「若……。」


 守屋が目を潤ませている。


 いったいどういうことだ?何が起きている?

 何がどうなったら藩主の息子が僻地で子供に混じって働こうなんて話になるんだ。

 復権を狙っているんじゃないのか?


 駄目だ。

 松前についてからというもの全く展開についていけていない。

 俺の読みなんて全くかすりもしないじゃないか。


「あの、すみませんが、どうしてそんな話になるのかお聞かせ願えますでしょうか?」


「うう、すまんな。

 ちと長くなるが聞いてくれるか。」


 道広は後継者から外されてからのことを語りだした。

 それはこれまたとんでもない話だった。

 聞かなければよかった。


---


「最初は俺もなんとか後継者に返り咲こうと奮起して頑張ったんだ」


 遊び歩くのをやめ次期藩主としてふさわしいところをアピールすべく武芸や勉学に邁進したという。


「だが、そんなことでは失った信頼を取り戻すことなどできなかった」


 それはそうだろう。

 評価はゼロではなくマイナスなのだ。

 それもただのマイナスではない。


 確定していた次期藩主というポジションを解消されるほどのマイナスだ。


 少しばかり、お行儀よくして見せたところで焼け石に水というものだ。


 一応、この苦境から道広がどう汚名を返上するかを見定めている可能性もあるが。

 

 ――やめよう。

 

 俺の予想は当たらない。


「いっこうに変わらない現状を打破するため、俺は動くことにした。

 父上に提言した施策を自ら実践してみせることで

 お前にそそのかされて適当なことを言っているわけではないと証明しようとしたのだ」


 なるほど。

 その結果がこのボロ屋か。

 語るに落ちた感じだが一応最後まで聞くか。


「俺は街に出て協力者を探した。

 もちろん身分を隠してだ。


 そうして、港で暇そうにしていた連中に話を持ち掛けたところ乗ってきた。

 その中の一人がいい物件があると言ってこの屋敷を紹介してくれて

 必要なものを仕入れてくると金を持っていったのだ

 そして――」


「そのまま帰ってこなかった」

「そのまま帰ってこなかった」


 道広と俺の声が重なる。

 あからさまな詐欺だ。

 だが守屋がいてなぜ気づかない?


「その通りだ。守屋に言われて気づいた。

 俺は騙されたのだ。

 一人でなんとかしようとしなければよかった。

 守屋に頼むべきだったと思ったが後の祭りだ」


 なんというか、不幸ってこんなに面白いほど重なるものなのか。

 その原因の一端が自分にあると思うととても笑えなかった。


「城の金を持ち出し、あまつさえ詐欺師に騙されるなど言語道断だと言われたよ。

 それで、このありさまだ」


 そういって、うつむく道広にはかつて宗谷で見た怪物の片鱗はかけらも残っていなかった。

 俺を追いつめた、あの未来の名君はどこへ行ってしまったのだろう。

 そう思うと胸が苦しかった。


「もはや、復権など望むべくもない。

 このうえは遠い宗谷の地で一漁師として生きる所存だ」


「うう、若……おいたわしや」


 おいたわしやじゃない。

 なんだこいつら。

 どこか芝居がかって見えた。


 悲劇のヒロイン気取りか?

 

 というか守屋も守屋だ。

 未来の主君が漁師になろうとしてるのを止めないでどうする。

 どう考えても普通じゃない。


 道広の肩が、わずかに揺れる。


「……守屋。もういいのだ。俺にはもう、何もない。

 城に戻っても居場所はない。顔を出せば笑い者だ。

 家中の者の視線に耐えながら、いつまでも燻っているくらいなら――」


一度、言葉を飲み込み、絞り出すように続ける。


「いっそ遠く離れた地で、一からやり直した方がましだ。

 宗谷なら誰も俺のことなど知らぬ。

 ただの一人として、働いて、生きていける」


 逃避ではないつもりなのだろう。

 だがそれは、戦場を降りるという宣言に等しい。


 俺は小さく息を吐いた。


 ――悪くない。

 

 これほどのどん底から復権させることができれば間違いなく道広と対等になれる。

 片腕どころではない。


 間違いなく主導権を握れる

 それぐらい現状、追い込まれている。


 ここまで状況が極まっているのならもうこれは賭けるしかない。


「お断りします」


 俺の言葉に、屋敷の空気が凍り付いた。


「な! なぜだ、勘太。若がここまで頭を下げておられるのに……!」


「守屋様、失礼ですが、あなたまで何を馬鹿げた話に乗っているんですか」


 俺は冷たい声を意識的に選んで投げつけた。


「未来ある松前藩の次期藩主を、僻地の漁師にする? そんな損失ロス、俺には認められませんね」


「……もう、終わったのだ」


 道広は力なく首を振る。

 

 その言葉は静かで、しかし確かに折れていた。


 だが――


 だからこそだ。


 ここまで落ちた人間は強い。

 失うものがない。しがらみもない。

 そして何より――今なら、こちらの描いた形に組み直せる。


 リスクは高い。

 だが、失敗したところで失うものもまた限られている。


 ならば。


「何をらしくないことを言っているんですか。

 あなたは松前藩の次期藩主だ。誰が何と言おうと、この俺が保証します」


 俺は一歩、道広に歩み寄り、その潤んだ瞳をまっすぐに見据えた。

 疲れは見えるが、目は死んでいない。

 ――これなら、まだ戦える。


「任せてください。俺がこの一年、あの最果ての地でどれだけの『力』を組み上げてきたか

 ――そのすべてを使って、あなたを元の場所へ押し戻して差し上げますよ」


 道広に、全ベットだ。  

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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あ、秦の王様に食い込んだあの大商人ルートね!
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