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第80話:宗谷コタン連合始動――勘太、松前へ

 宝暦十四年(一七六四年) 仲春 蝦夷地・宗谷コタン


 目まぐるしい一年だった。


 一年前、あの冷たい川べりでセタリさんに表の目的を明かしてから、

 俺の時間は、恐ろしい勢いで溶けていった。


 『宗谷商会』――と俺が勝手に呼んでいるこの寄り合いの仕組みを窓口にした、

 宗谷周辺のコタンとの取引。


 想像していた以上に大変だった。


 カネクルの拠点には荷があふれ、品質をチェックするどころか、整理するだけで手いっぱいだった。


 前世の感覚で考えてしまっていたが現実は混沌のるつぼだった。

 共通の規格なんてものが存在しないのだ。


 鹿皮一つを例にとってもコタンによって扱いが違うのだ。

 大きさもバラバラ。

 梱包も布で包んであるものないもの。

 丸められているもの、たたまれているもの。


 そんな状態の物が大量に届く。

 何をどれだけ預かったのかを記録するだけで精いっぱいだった。

 初日はそんな感じで終わった。


 翌日、早朝、俺は主要メンバー(セタリ、リラ、三吉、)を集め会議を行なった。


---


「というわけで、人を集めましょう」


 俺が資料から顔を上げずにそう告げると、

 セタリさんは心底不可解そうに眉を寄せ、ゆっくりと首を傾げた。


「……何が“というわけ”なのかは分からんが。人を増やす、という話か?」


「そうです。何をするにも人手が必要です。

 そして――増やしたからといって、すぐに役に立つわけでもない」


 指先で資料をめくりながら、淡々と続ける。


「だからこそ、早めに囲い込み、早めに仕込む。

 教え込みまで含めて動かないと、間に合いません」


「教える、か……」


 セタリさんは腕を組み、低く唸る。


「だが、その見返りはどうする?

 また三吉に頼るのか」


 露骨に嫌そうな顔だった。


 自分を慕う子供たちの稼ぎを削ることに、抵抗があるのだろう。

 ――彼の「英雄としての清廉さ」だ。


 理解はできる。だが。


「それでもいいですが、もっといい手があります」


 俺はそこで初めて顔を上げた。


「仕組みに加わるコタンから、“人”を預けてもらうんですよ」


「……人を?」


「ええ。使い手としてではなく、“先の取り分を増やすための種”として」


 セタリさんの目が、わずかに細くなる。


「俺と同じくらいの年頃でいい。

 やる気のある子供を預けてもらって、こちらで教える。

 一月もあれば、それぞれの役目は果たせるようになります」


「宗谷でもそうでした」と付け加えると、彼はしばし考え込んだ。


「だが……子供に何ができる?

 この地の冬を越すには、熟練の狩人の腕と、強い体が必要だ」


 もっともな懸念だった。


 この土地では、「強さ=価値」だ。

 子供は基本的に“守られる側”でしかない。


 だが、それは――“狩り”の話だ。


 俺は、手元の紙に描いた「組織図」を指先で軽く叩いた。


「セタリさん。俺たちがやろうとしているのは『狩り』じゃありません」


 一拍、置く。


「荷の取りまとめと流れの整え、そして売り方の話です」


 静かに、しかしはっきりと言い切る。


「獲物を仕留めるのは、これまで通り各コタンのベテランに任せればいい。

 俺たちの役目は、その獲物を――」


 指で線をなぞる。


「無駄なく集め、手を入れ、最も高く売れる形で外へ流すことです」


 セタリさんの視線が、紙から俺へと戻る。


 理解しようとしている顔だ。


「そのための“仕組み”を成り立たせるには、やるべきことが山ほどあります。

 大人の狩人を引き抜く必要はありません」


 むしろ、と続ける。


「癖のついていない子供たちの方が、俺の教えるやり方をそのまま覚える」


「……待て」


 セタリさんが手を上げた。


「会合で、長たちは皆納得したはずだ。

 改めて話を通す必要があるのか?」


 ――そこが甘い。


「セタリさん。あれは“これからそうしていこう”という約束に過ぎません」


 俺は即座に否定する。


「いざ動かせば、必ず揺り戻しが来ます」


 指を折りながら並べる。


「“やっぱり直接売りたい”

 “あっちのコタンより取り分が少ない”

 “今年は不作だから特別扱いしろ”」


 いくらでも出てくる。


「人間は、“納得したこと”より“目の前の得”を優先します」


 静かに言い切る。


「だからこそ、日々の動きそのもので縛る必要がある」


 カネクルの拠点を通すことが、

 “それ以外に道がない”形になるように。


 まず、運び手だ。


「各コタンから拠点へ荷を運ぶ役。

 これを大人の狩人に任せてはいけない」


「なぜだ?」


「軽んじるからです」


 即答した。


「彼らにとって誇りは“狩り”にある。

 荷運びや仕分けは、どうしても雑になる」


 だが、と続ける。


「子供は違う。

 “これが役目だ”と教えれば、その通りに動く」


「三人か四人で分担して運ばせる。

 道の様子も見させる。

 決まった時に動く“流れ”を作るんです」


 一月もすれば、彼らは荷の扱いに慣れた使い手になる。


 親より稼ぐ存在に。


 それ自体が、各コタンへの強力な説得材料になる。


「次に、見分けです」


 紙を一枚めくる。


「持ち込まれた荷を、そのまま受け取ってはいけない。

 必ず“同じ物差し”で分ける」


「……揉めるぞ」


「揉めさせるんです」


 あっさりと言い切る。


「“俺たちの鹿は一番だ”と主張する大人に対して、

 子供が同じ基準で突っぱねる」


 感情ではなく、揃えた物差しで。


「リラが配った紙に、去年の取引の値が記されていますよね。

 あれが土台です。


 そこに、今年の出来を同じやり方で書き足していく」


 見える形にする。


 それが、そのまま値を決める力になる。


「最初は揉めます。間違いなく。

 だからこそ最初のやり取りで、“例外はない”と叩き込む」


「そして――」


 一度だけ間を置いた。


「ゴゥドルの見張りです」


 空気が、わずかに張る。


「奴は必ず動きます。

 松前か、あるいは他の商人と繋がる」


「……消すか?」


「いいえ。泳がせます」


 即答。


「餌にする」


 敵は、隠れているから厄介なのだ。


「子供たちは、集まりの中の“おかしさ”に敏い。

 誰が誰と会っているか、何が動いたか――

 自然と目に入る」


 それを網として使う。


「大人のしがらみより、よほど素直で、よほど鋭い」


「……なるほどな」


 セタリさんが、ゆっくりと息を吐いた。


「要するにお前は、今いる連中とは別に、

 お前のやり方で動く“新しいまとまり”を作りたいわけだ」


「言い方は悪いですが、その通りです」


 否定はしない。


「人を“仕組み”の中に置く。

 そして、その仕組みを回す人間を内側で育てる」


 遠回りに見えて――最短だ。


「結局、力の元は“人”ですから」


 俺は資料を差し出した。


「さあ、始めましょう」


 静かに告げる。


「周りのコタンに触れ回ってください。

 “セタリが、これからを担う若い者を集めて教える場を作る”と」


 少しだけ、笑う。


「見返りは――飢えないための知恵と、確かな取り分」


「これで、子供はいくらでも集まります」


---


 こうして。


 表向きは穏やかな“学びの場”。


 その実態は、冷徹に組み上げられた荷の流れと取りまとめの中枢――


 『宗谷コタン連合』の骨組みが、静かに形を取り始めた。


 セタリさんは重い足取りで立ち上がる。


 だが、その背中はもう、逃げてはいなかった。


 彼は、自分が背負うものの重さを理解した上で――前に進むことを選んだのだ。


 その姿に、ほんのわずかな罪悪感が胸をかすめる。


 だが。


 立ち止まる理由にはならない。


 俺にはもう、引き返す余裕など残されていないのだから。


---


 歯車が回り始めれば、次に顔を出すのは「反発」だ。  

 

 取引によって一部のコタンが目に見えて豊かになり始めると、

 それまで利を独占し、甘い汁を吸っていた古い力の流れが、耐えきれずに鈍い悲鳴を上げ始めた。


「和人のガキの指図など受けん! これまで通り、場所請負人に適当に流せば十分だ!」


 かつての会合では同調していたはずの長老が、激昂げきこうして卓を叩きつけた。

 乾いた音がチセの空気を鋭く裂き、焚き火の煙が不規則に揺れる。  

 

 彼の背後には、裏で深く繋がっている和人商人の、卑屈で狡猾な影がちらついていた。

 ここで一歩でも引けば、せっかく繋ぎ合わせた物流の連鎖は、音を立てて瓦解する。


「結構ですよ、長老」


 俺は表情一つ変えず、日々の取引内容を精密に書きつけた『紙』を、静かに前へ押し出した。


「ただし、あなたがここ――カネクルの拠点を通さぬというのであれば、

 こちらも相応の対応をせざるを得ません。 

 

 本来ならあなたのコタンへ割り振るはずだった『冬を越すための穀物』と、

 リラたちが精製した『新しい鉄の道具』。

 

 これらはすべて、仕組みに従う他のコタンへ回すことになります」


 一拍、あえて沈黙を置く。


「……和人の商人が、凋落ちょうらくしつつあるあなたのコタンのためだけに、

 これだけの品をわざわざ揃えてくれると……本気でお考えですか?」


「これは脅しか!」


 怒号が響く。

 

 だが、その声の奥にある揺らぎまでは隠しきれていない。  

 

 俺は視線だけを動かし、長老の背後に控える若者たちを捉えた。

 彼らは、俺たちのやり取りを食い入るように見つめている。

 その瞳には、豊かなコタンへの羨望と、飢えを知る者だけが宿す鈍く濁った熱が灯っていた。


 ――もう、彼ら(現場)は後には引けないのだ。


 孤立して飢えるか、仕組みに従って生き残るか。  

 選べる道は、最初から二つしかなかった。  

 長老の拳はわななき、やがて力なく下ろされた。

 

 彼自身のプライドよりも、背後の若者たちの「生存本能」という無言の圧力が勝った瞬間だった。


 「正しいこと」を説く必要はない。ただ、「逆らえば損をする」という回避不能な現実を突きつける。  

 前世の泥臭い再建現場で何度も使ってきた、嫌いだが――最も確実に息の根を止めるやり方だ。


---


 摩擦を一つ越えるたびに、寄り合いの規模はじわじわと拡大していった。  


 リラが心血を注いだ乾燥剤や密閉の工夫による「長期保存」の技は、

 単なる便利な知恵の枠を超え、コタンの人々に「備蓄」という概念そのものを根付かせていった。


 そして――一年がかりの積み重ねが、一気に形を成す時が来た。  

 

 例年よりも早く、そして重く降り積もった初雪の夜。  

 いつもなら、先細る食い扶持を案じて肩を寄せ合い、

 ただ春を待つだけの沈滞した空気が流れる頃合いだ。


 カネクルの拠点に併設された大規模な備蓄庫。  

 

 リラが、その扉に手をかける。  

 

 きぃ、と冷気に軋む音。  

 

 扉が開いた瞬間、凍てついた空気の中に、

 凝縮された肉の旨味と穀物の香ばしい匂いがふわりと広がった。


 居合わせたコタンの若者たちは、誰もすぐには声を出せなかった。  

 

 そこには、春から夏にかけて俺の「仕組み」に従って丹念に手を入れ、

 整然と仕舞い込まれた干し肉と穀物が、まるで高い壁のように乱れなく積み上げられていたからだ。  

 

 静寂。

 

 その重みは、かつての絶望ではなく「確信」へと変わっていく。


「……これ、本当に、食べていいのか? この冬を、これで越せるのか?」


 一人の若者が、震える手で琥珀色の干し肉に触れた。  

 その問いは、目の前の山を今すぐ平らげたいという欲求ではなく、

 これほどの富が自分たちの手元にあることへの、恐れにも似た戸惑いだった。


「ああ。仕舞うときとは逆で手前からな。皆が頑張ったおかげで冬を越すには十分すぎるほどある」


 俺が静かに告げると、若者の目に、初めて『仕組み』への心強い信頼が宿った。  

 俺はリラに頷き、棚の端からいくつもの干し肉と、乾燥させた野草の包みを取り出させた。


「今日は祝いだ。この一年、俺の無茶な『教育』に付き合ってくれた『社員』たちへのな」


 焚き火の上の大鍋に、リラが手際よく具材を投入していく。  

 戻した干し肉からは濃厚な出汁が溢れ出し、保存の工夫で香りを失わなかった野草が、

 冬のチセの中に春の息吹を混ぜ込んでいく。  

 

 やがて、豊かな湯気が立ち上り、若者や子供たちの手に熱い椀が配られた。


「……旨い。なんだこれ、噛むほどに味が……」


 熱い汁を啜り、肉を噛みしめる子供たちの、芯から安堵にほどけた吐息。  

 

 「その日に獲れたものを食う」という自然の慈悲にすがるだけの暮らしから、

 「数ヶ月前の手間が、今この瞬間の命を繋ぐ」という、自らの意志で未来を掴み取る暮らしへ。  

 

 生存のパラダイムシフトが、確かにここにあった。


 この日を境に、アイヌの人々にとって俺は――「不思議な知恵を持つ和人の子供」から、

 「生殺与奪の鍵を握る『仕組み』の主」へと変貌した。


「一生ついていく」


 その、熱を帯びた真っ直ぐな言葉を笑顔で受け取りながら、

 俺の胸の内では、冷徹な算盤が絶え間なく弾かれ続けていた。


---


 だが、物事が上手く回り始めれば、必ずそこに寄ってくるものがある。

 富の香りに誘われる、羽虫のような連中だ。


 ゴゥドル。


 俺の足を引っ張ろうと機を狙い、松前や他の商人と裏で繋がろうとする、

 この“ほころび”が、ついに大きく動いた。


 ――ゴゥドルが、松前の商人と密かに通じ、帳面を持ち出そうとしている。


 その報せが届いたのは、事が起きる寸前だった。

 すでに一部は外に出ている。

 あと一歩遅ければ、流れの肝を握られていた。


 危ういところだった、と胸中で舌打ちする。


 だが、証は揃っている。

 あらかじめ張っておいた目が、すべて拾っていた。


「ゴゥドルさん。待ち合わせの相手は来ませんよ」


 逃げ腰の彼の前に、音もなく若者たちが立ち塞がる。


「な、何のことだ! 俺はただ……」


「これ、あなたが渡そうとしていた文の写しです。

 ずいぶん丁寧に書いてありますね。拠点を焼く手順まで」


 俺は彼を“餌”として生かし、

 敵の居場所を炙り出すために使ってきた。


 そして――最もまずい一歩を踏み出そうとした、その瞬間に止める。


 ゴゥドルは顔を失い、その場に崩れ落ちた。


 だが、その奥に残ったわずかな火を、俺は見逃さなかった。


「……殺すのか?」


 かすれた声。


 俺は、ゆっくりと首を振る。


「いいえ。まだ“やってはいない”でしょう。

 やる前に止めただけです。これは警告です。二度目はありません」


「…………」


「次からは、自分で言いに来てください。

 妙な連中が近づいてきた、と」


「わ、わかった……もうしない」


「誓いはいりませんよ」


 一歩、間を詰める。


「見てますから。ずっと」


 逃げ場はないと、理解させる。


 人は裏切る。  

 

 だからこそ、その前提で網を張る。  

 その網が、もっとも綺麗な形で閉じた瞬間だった。


「……いいのか、あんな甘い処分で」


 セタリさんが、やりきれないような、どこか釈然としない顔で問いかけてきた。  

 武人である彼からすれば、裏切りは死に値する行為なのだろう。


「まあ、そう見えますよね。ですがセタリさん、これは温情じゃありません。手間を減らすためですよ」


「手間、だと?」


「ええ。どこの誰とも分からない敵を、延々警戒し続けるのは非効率です。

 それよりは、彼に『ハニーポット』を続けてもらった方が、こちらとしては管理がずっと楽だ」


 俺は、腰を抜かしたまま連行されていくゴゥドルの背中を、無機質な視線で追う。


「許された、あるいは上手くいったと勘違いさせれば、また次の『客』が彼に近づいてくる。

 俺たちはただ、彼の周りを見張っていればいい。……とはいえ」


 一歩、間を詰める。  

 子供の皮を被った怪物の笑みを、ほんの少しだけ覗かせて。


「次はさすがにありませんよ。警告は、もう済ませましたからね」


 俺はそう言って笑った。  

 その笑みの冷たさに、セタリさんがわずかに眉をひそめたのを、俺は気づかないふりでやり過ごした。


---


 そして、今。  

 

 宗谷の地は固まり、俺が手を離しても富が巡る流れが自律的に回り始めている。  

 

 次に狙うのは――松前藩の嫡男、松前道広だ。


 リラと漉き上げた「紙」ができてからは、何度か文を交わしてきた。

 

 そのたびに「いつ来るのだ」と、半ば苛立ちを滲ませた催促が返ってきていたが、

 ようやくこちらから「赴く」と伝えた文に対し、返ってきたのは丁寧すぎるほどに整った返書だった。  

 

 不気味なほどに。  

 

 何かを企んでいるのかもしれないが、今さら引き返す選択肢など俺にはない。


 そんな益体やくたいもない思考を巡らせながら、

 俺は三吉が宗谷から連れてきた子供たちに指示を出している光景を眺めていた。

 帳面を片手に鉛筆で進捗を書き込んでいる。

  

 十歳になった三吉は、俺の願いを聞き入れる形で、このカネクルの拠点を立派に仕切ってくれている。

 俺が安心して松前に行けるのも、彼が後を引き継いでくれるからだ。

 

 本当に、感謝してもしきれない。


「なあ、三吉」

 

「なんだよ」

 

「お前、かっこよくなったな」


 不意に漏れた俺の言葉に、三吉は目を丸くした。

 

「な、何を言い出すんだ。急に」

 

「いや、昔はもっと引っ込み思案というか、鉄太の後をついて回ってたからさ。

 そうやって皆に指示を飛ばしてるところを見ると、ついな」


 三吉は顔を赤くし、むっとしたように口を尖らせた。

 

「おい、昔のことを言うな。人は成長するんだ」

 

「言うほど昔か? たかだか二、三年前のことだぞ」

 

「昔は昔だ。思い出させるな、恥ずかしい。

 あの頃は俺もまだガキだったんだ。……いわば、若気の至りってやつだ」


 どこで覚えたのか、背伸びをした三吉の言い回しに思わず笑みがこぼれる。

 

「今も十分ガキだけどな」

 

「俺はもう十歳だ! まだ一桁のお前とは違うんだよ」


 そんな子供じみた言い合いをしていると、背後から足音が近づいてきた。

 

 セタリさんだ。


「おい、徳蔵が呼んでいるぞ。準備ができたらしい」


「……さて、行くか。セタリさん、後のことはお願いします。何かあれば――」


 言い終える前に、ポン、と肩に手を置かれる。  

 大きくて、温かい手だ。

 この手に守られるのも、きっとここまでだろう。


「心配するな。ここは俺に任せて、お前はお前のやるべきことを、思いっきりやってこい」


「そうよ。どーんと大船に乗ったつもりで行ってらっしゃい!」


 いつの間にか後ろから忍び寄っていたリラが、俺の頭をぐしゃぐしゃにかき回してくる。  

 この一年で少しは背も伸びたが、リラにはまだ及ばない。

 だが、次に会う時には俺の方が勝っているはずだ……と思いたい。


 俺は集まった皆に別れを告げ、船に乗り込む。  

 長くもあり、短くもあった“アイヌ集落へのホームステイ”は、これで終わりだ。


 船が波を切り、宗谷のコタンが遠ざかっていく。  

 

 背後に残した皆の影を、振り返ることはしない。


 次は松前。


 この蝦夷地の権力の中枢に潜り込み、古いシステムを内側から書き換える。


 ――さて。  

 

 俺のやるべきことを、始めるとしよう。

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