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第71話:拠点確保、動き出すそれぞれの道

 宝暦十二年(一七六二年) 初秋 蝦夷地・宗谷


「もう行っちゃうのかい」


「いかないでよお、セタリ兄ちゃん」


 宗谷の村外れ、セタリは小さな影に囲まれていた。

 子どもたちがその太い腕や裾にしがみつき、必死に引き留めている。


「このままここで猟師を続けてよ。兄ちゃんがいなくなったら鹿肉が食べられなくなっちゃう」


「肉う、肉う!」


「おい、放せ。俺は肉じゃない」


 セタリが辟易とした顔で子どもたちを引き剥がす。

 その背後では、三吉たちが仕上がったばかりの荷を船へ積み込んでいた。


「肉が欲しければ自分たちで獲ればいいだろうに」


「無理だよ、俺たちじゃ」


「逆に喰われるって!」


「まあ、喰われるかは別にして、返り討ちにあうのがオチだろうな」


「じゃあ、セタリ兄ちゃん。今度戻ってきたら、俺たちに弓を教えてよ!」


 一人の少年が、鼻をすすりながら身を乗り出した。

 それに続くように、他の子どもたちも期待の眼差しをセタリに向ける。


「弓だと? お前ら、今の細腕じゃつるを引き絞ることもできまい」


 セタリは鼻で笑ったが、その瞳には真剣な光が宿っていた。

 

「教わりたければ、それまでに体を鍛えておけ。

 俺が教えた通りに鍛え続けていれば、いずれ弓を引けるだけの力がつく。

 やれるようになるまでは、教えんからな」


「本当!? 絶対に毎日やるから、約束だよ!」


「ああ、約束だ。……次に会う時までに、やってみろ」


 セタリの言葉に、子どもたちは歓声を上げ、互いに腕を叩き合って気勢を上げた。


 その中の一人が、その場でぎこちなく弓を引く真似をし、

 もう一人が見よう見まねで腕立ての姿勢を取る。

 すぐに崩れて笑い声が上がったが、その目だけは真剣だった。


 セタリが鼻で笑いながら、俺の方を振り返る。


「人気者じゃないですか、セタリさん」


「ふん、あいつらは俺が獲ってくる肉に懐いてるだけだ」


 口では毒づきながらも、セタリの目はどこか柔らかい。


 いつの間にか、子どもたちの視線はセタリを追うようになっていた。


「すごかったですもんね。でかい鹿を担いで帰ってきた時は、どっちが化け物かわからなかったですもん」


「あんな図体だけののろまに、俺が負けるわけないだろう」


セタリは自慢の強弓を軽く叩いた。


「でかいうえに遅いんだから、いい的だ。目をつぶってても当てられる。

 ここらの鹿は狩る奴がいないから、たるんでるんだ」

 

「子どもに煽られて、本当に目をつぶって射ようとしてましたからね……怖かったですよ」


 俺は苦笑しつつ、積み込みの終わった船を見やった。


「準備はもういいのか?」


「ええ、ばっちりです。エカシさんたちをお待たせしたお詫びの品も、いっぱい積みましたから」


「ならいい」


 潮が満ち始めていた。

 

 波打ち際に寄せられた小舟が、ひんやりとした秋の波に揺られ、

 岸壁の岩にカランカランと乾いた音を立ててぶつかっている。


「よし、乗れ」


 セタリは滑るように船縁を跨ぎ、後に続くリラの手を引いた。

 船の中には、セタリが狩った鹿の干し肉や、エカシたちへの土産となる

 和人の道具が隙間なく積まれている。


「……おい勘太。積みすぎだろ。カネクルからは俺が全部運ぶんだよな?」


「大丈夫です。荷車も借りますし、俺も持ちますから」


「ふん……言ったな。途中でへばったら置いていくぞ」


 俺は船に足をかける直前、最後にもう一度だけ振り返った。

 そこには、寂しさを押し殺すように口を結ぶ三吉と、

 いまだに「セタリ兄ちゃーん!」と喉を枯らして叫び続ける子どもたちの姿があった。


「三吉、カネクルの拠点が整ったら、すぐに迎えを出す。それまで、ここの『理』を頼んだぞ」


「……分かってるよ。お前こそ、道中で野垂れ死ぬなよ、勘太」


 三吉が照れ隠しのように短く吐き捨て、力強く手を振った。


 船がゆっくりと岸を離れる。

 

 櫂が水を掻くたびに、あんなに騒がしかった子どもたちの声が、潮騒の音にかき消されて遠ざかっていく。


「なんだか少し冷えてきたな」


 セタリが、小さくなっていく宗谷の村影を眺めながら呟いた。


「そうですね。でも、またすぐに温かくなりますよ」


 作業場の煙突から細く立ち上る煙が、秋の高く澄んだ空に溶けていくのを、

 俺はいつまでも、いつまでも眺めていた。


---


 数刻後、俺たちはカネクルの土を踏んでいた。


 一週間ほど前に訪れたはずなのに、懐かしさと、どこか胸をざわつかせる感覚が入り混じる。


 一方、セタリはあの冷たい土牢での出来事を思い出したのか、眉をひそめて辺りを警戒していた。


「……おい勘太、本当にここに拠点を持つのか? 嫌な予感しかしないぞ」

 

「まあ、そう言わずに。もう、あんな目には合いませんから」


 苦笑しながら、俺たちは事前に徳蔵さんが手配してくれていた案内人の男と合流した。


 港の喧騒から少し離れ、潮風が路地の奥へと吹き抜ける一角へ歩みを進める。


 潮風に混じって、古い木材の乾いた匂いが鼻をくすぐる。


「着きましたぜ。ここが例の出物です」


 目の前には、かつてカネクルでも指折りの規模を誇ったであろう廻船問屋の跡地が、どっしりと建っていた。


 だが今、その大扉を飾る看板は斜めに傾き、文字は剥げ落ちている。


「ここか……。随分と派手にくたびれてるな」


 セタリが呆れたように首を振る。


「数年前までは、飛ぶ鳥を落とす勢いだったそうですよ。

 航路を増やし、船を買い足し、あちこちに蔵を建てて……」

 

 俺は埃を被った格子の隙間から中を覗き込んだ。


「結果、手元の現銀が尽きた。商売の拡大に、支払いの速度が追いつかなかったんです。」


 ……帳面の上では儲かっていても、手元の金が尽きて潰れる。

 前世でいうところの「黒字倒産」だ。


 セタリと徳蔵さんが、怪訝そうに顔を見合わせたのが見えた。

 

 この時代にはない概念だが、カネを回すことの難しさは不変だ。

 前世で嫌というほど見てきた光景が、この時代でも繰り返されている。


 ここを逃せば、同規模の拠点は当分手に入らない。

 喉の奥で、小さく息を殺した。


 俺は視線を建物全体に走らせた。

 

 広さ、構造、港との距離。

 

 どれも申し分ない。

 

(決める。ここが、俺の腕の見せどころだ)


 案内役の男が、もみ手をしながら近寄ってきた。

 

「立地は最高なんです。港まで歩いてすぐ、荷の運び込みも楽でさぁ。

 ただ、広すぎて買い手がつかなくて。

 

 それに、前の主人が首を括ったなんて噂もあって、縁起が悪いと敬遠されちまって……」


「縁起なんてのは、腹の足しになりませんよ」


 俺は男の言葉を遮った。


「建物は丈夫そうだ。これだけの広さがあれば、数世帯は余裕で住める。

 工房や蔵としても使えるし、人が暮らすにも不自由はない」


(問題は、値段だ)


「ところで――値段は、いくらでしたっけ?」


 俺が切り出すと、男は待ってましたと言わんばかりに身を乗り出した。


「へ、へえ! 三十両でございます。これでも、かなり下げた方でして……」


 俺はゆっくりと指を三本立て、確認するように言った。


「三十両、ですね」


 男がこくこくと頷く。


 一瞬だけ、呼吸を整える。

 遠くでカモメの鳴き声と、波が岸壁を叩く音だけが響いた。

 ここでの一手が、今後すべてを決める。


「十五両。現銀で、今ここで払います」


 男の目が点になった。


「十五!? さすがにそれは殺生な! いくら何でも半額は無理だ!」


「三十両で値を付けて、もう一年も買い手がついていない。  

 その間も手入れの手間はかかるし、運上金も待ってはくれない。  

 持っているだけで、あなたの懐は細るばかりですよ」


 俺は一歩、男に詰め寄る。

 七歳の子供に射抜くような目で見つめられ、男はひきつった笑いを浮かべた。


「今ここで十五両を受け取って、腐れ縁を断ち切るか。

 それとも、いつ現れるかわからない買い手を待ち続けて、行き詰まるか。

 

 どちらが賢い商売か、わかりますよね?

 今ここで現銀を持っている客は、他にいませんよ」


 背後で、徳蔵さんが「えげつねぇ……」と小さく呟くのが聞こえた。

 だが、ここで緩めれば、足元を見られる。

 

 静寂が落ちる。

 港のざわめきだけが、遠くでかすかに揺れていた。


(まあ、これは無理筋だよな、だが想定内だ)


「いや、しかし、こちらにも生活が……。半額はさすがに――」


 男が言い切る前に口を開く。


「……仕方ありません。二十両までなら出しましょう」


 男はすぐには答えなかった。

 何度も口を開きかけては閉じ、視線をさまよわせる。

 指先が、無意識に帳面をなぞっていた。


 やがて――


 男はがっくりと肩を落とした。

 

「……負けましたよ。その若さで、恐ろしい交渉術だ」


 男の肩が落ちるのを見届けてから、何事もなかったかのように踵を返す。


「おい、勘太」


 徳蔵さんが呆れたように息を吐いた。


「最初から二十両が本命だったろ」


「ええ」


「即答かよ」


「あれくらい吹っかけないと、あの人は決断できませんからね」


「……ほんと食えねぇガキだな」

 

 こうして、俺たちはカネクルに新たな「城」を手に入れた。

 それは単なる建物ではない。

 ここから先のすべてを支える、拠点だ。


「ひっろいなぁ……! 走り回っても怒られないわね」


 リラが板間の感触を確かめるように跳ね回る。

 確かに、子供が数人で掃除をするには骨が折れそうな広さだ。


「さて、箱は手に入ったが……。勘太、これ、誰が管理するんだ?

 まさか俺にずっといろとは言わねぇよな?」


 徳蔵さんが不安げに眉を寄せる。


「わかってますよ。徳蔵さんには、立ち上げの時だけ力を貸してほしいんです」


 俺は顎に手を当て、思考を巡らせる。


(盗む価値がなければいい。だが――住み着かれるのは面倒だな)


「少し、市を見て回ります。このまま放っておくわけにもいきませんから」


---


 カネクルの市は、今日も活気に溢れていた。


 ――だが、目的もなく歩くつもりはない。


 市を見て回りながら、使えそうな人や物を探す。


 同時に、さりげなく治安の様子も探る。

 この規模の拠点を維持するなら、裏の事情も無視できない。


 軒を連ねる露店の一つに目を留める。

 干した魚や貝が雑多に並べられ、潮の匂いが強く漂っていた。


「いらっしゃい、坊主。今日はいいのが入ってるぞ」


 店主の男が、値踏みするようにこちらを見た。


「へえ、確かに良さそうですね。最近はこんな具合に賑わってるんですか?」


 何気ない調子で問いかける。


「まあな。船の出入りも増えてきて、前よりはマシになったさ」


 男は干し魚をひっくり返しながら答えた。


「それはいいですね。人が増えれば、揉め事も増えるでしょうけど」


「はは、違いねぇ」


 男が苦笑する。


「だが、この辺りはまだマシな方だ。

 最近は見回りも増えてるしな」


「見回り?」


「おう。あっちの通りの方だ。前に騒ぎがあってな。

 それ以来、役人どもがうろつくようになった。

 

 もっとも、連中も気まぐれだがな。金にならねぇ場所には来やしねぇ」


 男が顎で示した先を、さりげなく目で追う。


(やはり、いるか)


「なるほど。商売するなら安心できる場所の方がいいですからね」


「坊主、店でも出す気か?」


「ええ、まあそんなところです」


 曖昧に笑って誤魔化す。


「なら、あっち側は悪くねぇぞ。役人の目もあるし、変な連中は寄りつきにくい」


「参考になります。ありがとうございます」


 軽く頭を下げ、その場を離れた。


(いずれは役人に話を通す必要があるな……)


 ふと、前の出来事が脳裏をよぎった。


(そういえば、セタリを捕まえたのはこの辺りだったか)


 俺は、その通りへ足を向けた。


 人通りの流れを目で追っていると――


 向こうから見覚えのある肩衣が歩いてくる。

 セタリが反射的に身構えた。


「おい、あれは……」


 先日、セタリを縄にかけ、牢へと放り込んだ役人だった。

 役人はこちらに気づくと、一瞬だけ顔を強張らせ、すぐに愛想笑いを作った。


「お、おお、先日のアイヌの……いや、宗谷の若衆ではないか」


 道広様との一件を経て、彼は俺たちの正体がただ者ではないと悟ったらしい。

 腰が引けている。


「ちょうどいいところでお会いしました」


 俺は爽やかに、しかし有無を言わせぬトーンで声をかけた。


「実は、あそこの古い廻船問屋を買い取りましてね。

 これから人の出入りが激しくなる。

 悪い虫がつかないよう、重点的に見回っていただきたいのです」


「な……あの廃屋を買ったのか!?」


「ええ。もし何かあれば、すぐに道広様へご報告しなければなりませんから。

 治安が守られているかどうか、よくよく確かめさせていただきます」


 道広の名前を出した瞬間、役人の背筋がピンと伸びた。


「お、お任せあれ! ……ええ、その、見回りは強化いたします。

 不審な輩は近づけさせませぬ!」


 役人はほとんど反射のように答えた。


「頼もしいですね。期待していますよ」


 役人の背を見送りながら、小さく息を吐いた。


「……相変わらず、容赦ないな」


 宗谷への帰り道、セタリが呆れたように笑った。


 使えるものは、使う。

 使えないなら、使える形にする。


 それだけの話だ。


「利用できるものは、何でも使わないと。あそこには、三吉たちが来るんですから」


 夕日に染まるカネクルの港が遠ざかっていく。


 拠点、資金、そして護り。

 駒は揃いつつある。

 

 ――土台はできた。

 だが、ここからが本番だ。


「徳蔵さん、あとの細かい手続きはお願いします。

 俺たちは、宗谷コタンへ戻ります」

 

「おう、わかってるよ。ったく、人使いが荒いぜ」


 そう言いながらも、徳蔵さんの顔はどこか楽しげだった。

 俺達が宗谷コタンを目指して歩き出す中、徳蔵さんは一人、カネクルの街へと引き返していく。


「さて……」


 徳蔵さんは懐を軽く叩き、ニヤリと笑った。

 

 夕闇が迫り、港町の提灯に火が灯り始める。

 

「あいつが言ってた遊べる場所とやらを拝みに行くか。

 あいつのために働くのも悪くねぇが……たまには俺も俺の楽しみを味わわないとな」


 彼は上機嫌な足取りで、夜の街へと消えていった。

 その足取りは、妙に軽かった。


 まるで、祭りに向かう子どものようだった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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