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第70話:大風呂敷を広げる

 宝暦十二年(一七六二年) 晩夏 蝦夷地・宗谷


 嵐――道広は去った。


 だが今度は、「そっちが来い」と呼びつけられた。


 見えない期限付きの“猶予”。


 ひとまずの危機は去ったが、放置はできない。

 しばらくは動きはないだろうが、目をつけられた以上、このままで済むはずがない。


 対策を練る必要がある。


 俺は徳蔵さんと三吉たちに、一部始終を共有した。


 話を聞き終えた瞬間――三吉が爆発した。


「俺たちの価値がたったの二十両!?

 俺達の蓄えがいくらあると思ってるんだ。五十両だぞ、五十両!

 馬鹿にするのも、ほどがあるだろう!」


 こんなに怒った三吉は初めてだった。

 かつて俺を叱り飛ばしたときより、明らかに勢いが違う。


 だが――


「五十両って……そんなにあるのか?」


 思わず聞き返していた。


「ああ。言っとくけどな、前に言われた通り、設備も道具も材料も、ちゃんと金はかけてる。

 その上で、それだけ溜まってるんだ。

 正直、俺じゃ使いきれない。持て余してるくらいだ。」


 そこで、思い出したように徳蔵さんが口を挟んだ。


「そうだ、それを言いたかったんだ。

 預かってる銭はな、俺の家の床下に穴を掘って隠してるんだが……正直、生きた心地がしねえ。

 何とかしてくれ。これ以上は怖くて預かれねえぞ。」


 ――先に聞いておくべきだった。


 道広とのやり取りの前に、この話を知っていれば。

 “そんなはした金で売れるか”と、胸を張って言えたはずだ。


 いや、違う。


 財務の確認を怠った、俺の失態だ。


 どれだけ余裕がなかったとしても、三吉に一言聞く時間くらいはあったはずだ。


 結局――


 俺たちの活動は、とっくに“子供の小遣い稼ぎ”の域を超えていた、ということだ。


 最初の年の売り上げを考えれば、不思議でも何でもない。


 今では、カニ粉末や肥料の販売まで手を広げている。

 設備も、道具も、材料も、ノウハウも。


 何もなかった最初とは、まるで別物だ。


 五十両――

 それだけの銭が積み上がっていても、おかしくはない。


 今回、道広の「案内しろ」という一言で戻ってきたのは、結果的に正解だったのかもしれない。


 本来なら、あと数年は帰るつもりはなかった。


 その間に積み上がった銭。

 それが招いていたかもしれない災厄を想像すると、背中にじわりと汗がにじむ。


 どうやら俺は――前世の感覚に引きずられていたらしい。


 “金が多すぎることの危険”を、甘く見ていた。


 むしろ、金の扱いに慣れていないはずの三吉のほうが、よほど正確に危機を嗅ぎ取っている。


 浅い。


 自分の考えの浅さに、腹が立つ。


 金がありすぎて困る――そんな経験は、確かに前世でもなかった。

 だが、それは言い訳にならない。


 ……反省は後だ。


 問題は、この金をどうするかだ。


 もし俺が大人なら――

 これを元手に松前で商売を始める、という手もある。


 だが、それでは駄目だ。


 せいぜい“そこそこの商人”で終わる。

 下手をすれば、既得権益に潰される。


 そもそも――


 それを避けるために、後ろ盾を作ろうとしていたんじゃないか。


 ぶれるな。


 目先の金に引きずられて、最初の目的を見失えば――

 すべてが無駄になる。


 後ろ盾を得て、この土地で主導権を握る――

 そうでもしなければ、ああいう連中に、すべてを持っていかれる。


「……考え込んでるところ悪いんだが」


 徳蔵さんの声が、思考を引き戻した。


「これからどうするか、決めねえとな。

 勘太、お前はどう考えてる?」


「……いや、まだ――まとまってない」


「そうか」


 徳蔵さんはあっさりとうなずいた。


「じゃあ待つとするか。

 だがな、ずっと待ってるわけにもいかねえ。

 また出ていく前には――話してくれ」


 猶予はある。


 だが、時間は無限じゃない。


 選ぶしかない。

 ――主導権を握るための一手を。


---


 森の朝もやが足元を濡らす。

 勘太が考えをまとめるまでの間、俺たちは徳蔵の家に世話になることになった。


 独り暮らしの徳蔵は賑やかになったと笑っていた。


 だが、ただ世話になるのでは申し訳ないと思った俺は狩りに出ることにした。

 この村には猟師がいないらしく鹿肉は喜ばれた。


 それからは可能な限りシカを追うようにしている。


 そして、今日も又、森に分け入った。


 葉を踏む音さえ立てぬよう、静かに進む。


 茂みの先、鹿が立っていた。


 弓を引く手に力が入る。

 矢が風を切り、鹿は一度足をもつれさせて倒れた。


 息を整え、肩に鹿を担ぐ。


 ずっしりと重い。

 腕が自然に震える。

 だが、肩に沿う感触はもう慣れたものだ。


 足元の茂みを踏み分け、一歩ずつ進む。

 小枝がパキッと鳴り、心臓が跳ねる。


 短くない距離を歩き終え、作業場にたどり着く。


 俺が戻ったのに気づくと、子どもたちが歓声を上げた。


「鹿だ!」


「わあ、すごい!」


 鹿を地面に下ろすと、子どもたちは駆け寄る。


「お前たち、手伝えるか?」


「うん!」


 包丁の音、骨を割る音、内臓を分ける手さばき。

 小さな手が迷わず動く。

 

 俺は頷くだけで見守る。

 胸に、静かな誇りが満ちていた。


 解体を終えると、肉を肩に担ぎ、村を回る。


 戸口に立ち、母親たちに肉を渡す。


「ありがとう!」


「助かるわ」


 短い言葉と笑顔が返ってくる。

 子どもは肉を抱えて駆け出す。


 その姿を見送りながら、俺は胸の奥がじんわり熱くなるのを感じた。

 怪訝な目で見られていた最初が、まるで遠い記憶のようだ。


 すべて配り終えると、再び作業場に戻る。


 作業場に入ると、三吉が鉄串に鹿肉を刺していた。


「おお、さすが三吉。手際がいいな」


 俺が言うと、三吉はにやりと笑う。


「今日は鹿肉の直火焼きだ」


子どもたちの目が一斉に輝く。


 三吉は串を炭火の上でゆっくり回す。

 ジュウッ、ジュウッと脂が弾け、煙が目に沁みる。

 

 香ばしい匂いが鼻をくすぐり、口の奥が勝手に潤む。

 小さな炎が揺れ、串の表面が黄金色に輝く。


「うわっ、いい匂い!」


「早く食べたい!」


 子どもたちは身を乗り出し、皿をぎゅっと握りしめ、目を輝かせた。

 よだれを垂らす子もいれば、頬を赤く染めて跳ねる子もいる。


「焦るな、焼けたら分けるから皿を持って待ってろ」


 三吉が注意を促す。

 火の熱で肉の表面がこんがり色づき、ところどころに焦げ目がつく。


 刷毛で調味液を塗るたび、行者ニンニクの香りがふわりと漂った。

 ジュッという音とともに湯気が立ち上る。


 しばらくして一部を切り出し、皿に盛る。

 表面はパリッと、内側は柔らかそうに蒸気を立てる。

 肉の重み、串越しの熱、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。


「できたぞ!」


 三吉の声に、子どもたちは皿を受け取り、かぶりついた。


 ジュワッ。

 

 肉汁が口いっぱいに溢れる。

 

「おいしい!」


「もっとちょうだい!」


 笑い声が作業場に響き渡る。


 俺も一口かじる。

 噛むたびに濃厚な味が広がる。

 

 森から運んだ鹿の命が、こうして皆の口に届く。

 胸の奥がぽっと熱くなる。

 重かった肩の感触、走り回る子どもたちの声――すべてが、自分の役割の証だった。


「やっぱり、焼きたては違うな」


 セタリが呟くと、三吉は誇らしげに胸を張った。


 焚火の煙と香ばしい匂いの中、笑い声は途切れない。

 

 小さな作業場は、森の恵みと仲間の喜びで満ちていた。


---


 食事はまだ続いていたが、俺は勘太に鹿肉を届けるため席を立った。


 徳蔵の家では勘太とリラが徳蔵と鍋を囲んでいた。


「あ、セタリさん。おかえりなさい」


 勘太が笑顔で迎える。

 俺が肉を差し出すと、勘太は嬉しそうに受け取り、鍋に放り込んだ。


「セタリも、村にすっかり馴染んだみたいだな」


 徳蔵が笑う。


「どうだか……まだ子どもたち以外とはろくに話していない」


 セタリが答える。


「そうか?お前さんが肉を分けてくれて助かる、と噂になってるぞ。

 中には、ずっといてくれたらいいのに、と言う者もいるくらいだ」


 徳蔵がにやりと笑う。


「役に立っているなら何よりだ。こちらも何日も世話になっているからな。

 だが、あまり長居もできん。夏が過ぎる前に戻ると約束してる」


 セタリが答える。


「それはわかってます。

 明日、三吉も呼んで話しますよ。 

 ずいぶん、かかりましたが、ようやく考えもまとまりました」


 リラが安心したように頷く。


「やっとか、待ちくたびれたぞ」


 徳蔵が目を細める。


「今日のところは、セタリさんが取ってきた鹿肉を皆で楽しみましょう」


 勘太が笑った。


「まったく、調子のいい奴だ」


 徳蔵が冗談めかして呟く。


 家族とは違う、けれど、温かいやりとり。


 これが仲間というものなのだと思った。


---


 翌日、徳蔵の家に三吉を呼びだした。


「――では、計画を説明する」


 その一言で、場の空気が変わった。


 徳蔵の眉がぴくりと動き、三吉は腕を組んだまま目を細める。


 勘太は淡々と告げた。


「まず、カネクルに別拠点を作る。  土地と建物の取得で二十両」


「二十両!いや、確かに持て余してるとは言ったけど。

 何もいきなりそんなに使わなくてもいいんじゃないか」


 二十両。 俺でも分かる大金だ。 三吉が驚くのも無理はない。


「落ち着けよ。別に無理に使おうとしてるわけじゃない。

 ちゃんと理由があるんだ」


「どんな理由だよ。ただ作業場を移すっていうんじゃないだろうな」


「半分、当たりかな。

 こことは違う作業をする予定だけど、それだけじゃない。

 倉庫の役割を持った拠点を作るんだ。

 

 ここじゃ保管しておくのにも限界があるだろ。

 だから松前に運ぶ荷はいったんあっちに移しておく。

 

 ある程度の量になったらまとめて松前に運ぶ。

 少量を小分けに運ぶより運賃が安くなるからな。

 距離もあっちからのほうが少し近い。」


「確かに、肥料とか壺とかは嵩張るからな。別のところに置いとけるのはありがたい。」


「それに、保管場所があれば油や壺なんかの材料を大量に安く買っておくこともできる。

 材料にかかる銭を節約できればより儲かるからな。

 ここと違って貸倉庫なんかもあると思うから場所が足りなくなればそこを借りてもいい」


 なるほど、と頷いたが、正直、半分も分かっていない。

 だが、勘太が必要だと言うなら、そうなのだろう。

 道広とのやり取りで少しは近づけたと思ったが勘太の背はまだはるかに遠かった。


---


 建物の話から商売の話に展開していく。


「まったく、どれだけ作らせる気だよ。

 まあ建物に関しては分かったよ。

 で、次は何だ?まだあるんだろ。」


 勘太が仕切りなおすように咳払いをする。


「次は職人の手配。鍛冶と木工の職人を雇う。

 二人で一年六両。住み込みで働いてもらうつもりだ」


 徳蔵の眉が跳ねる。


「一年で六両か。さすがにここらの漁師とは比べものにならんな。

 だが、職人なんて雇ってどうする?

 必要なものがあれば買えばいいし、売ってないなら注文すればいいだろ?

 わざわざ住み込みで抱え込む必要あるか?」


「俺が作ってほしいものはその辺にあるもんじゃないんですよ。

 だからそれをよそに広めてほしくない。

 カニの油煮と同じです。

 独占することで価値が上がる。」


「なるほど、食い物の次は道具を売り出そうとしてるんだな。」


 勘太がうなづく。


「それだけじゃありません。この村の子供らの奉公先にしたいんですよ。

 そうすれば他所へやるのと違って無体な目に合わないように守ることができるし。

 手に職をつけてどこに行ってもやっていけるようにできる」


 徳蔵が納得したようにうなづく。


「そうだな。お前が作る工房なら他所へやるよりずっと安心できるだろう

 今の稼ぎだけでも喰っていけなくなる心配はないしな。」


「はは、そういうことです。

 それに俺はもっともっと商売を広げていくつもりですから雇えなくなる心配もありませんよ。

 むしろ足りないぐらいです。」


 楽しそうに笑う勘太だが、目が笑っていない。

 こいつ、どこまででかくなるつもりなんだ。

 その背中は、時々、俺には遠すぎて見えなくなる。


---


「さて、あとは井戸を掘るのに四両。

 それから宗谷との往復用の船が十両です。


 カネクルは河口域にありますから、多分そのぐらいで足ります。

 船も中古ならそれだけあれば買えるでしょう。」


「船は荷を運ぶのに必要だとして、井戸まで掘るのか?」


 三吉が井戸という馴染みのない設備に疑問を示す。

 

「まあこれもすぐにというわけじゃないけどあったほうが後々便利だからっていう理由だな。

 それに敷地内に井戸があったほうが住み込みで働くならいいだろ?」


「それはそうだが、そのために四両か。

 なんか一両の重みが分からなくなってくるな」


 三吉が口を押さえた。


 驚きと、少しの恐れ。


 俺も同じだ。


 額もそうだが―― 七歳の子どもが、当然のように語ることに。


「合計四十両。すべて必要な投資だ」


 勘太の声には、迷いが一つもない。

 その確信が、逆に俺の背筋を冷たくする。


 徳蔵が笑った。


「面白いじゃないか。ずいぶん景気よく使うもんだな」


三吉は渋い顔で唸る。


「やること多すぎるだろ。土地、家、職人、井戸……。  

 船買うのが一番簡単ってどういうことだよ」


 勘太は静かに頷いた。


「もちろん全部を今すぐやるわけじゃない。  

 あくまで計画だ。来年には稼働させたい」


 そして、三吉をまっすぐ見た。


「三吉、お前、来年十歳だろ。奉公先は決まってるか?」


 三吉の目が細くなる。

 

 俺は息を飲んだ。

 

 勘太が次に言うことが、なんとなく分かったからだ。


「……まさか、俺に新拠点を回せって言うんじゃないだろうな」


「当たりだ。大変だが、腕の振りどころだぞ。


 下手な奉公先よりずっと稼げるし、理不尽に殴られることもない。

 極楽みたいな場所だ」


 三吉はしばらく黙り、やがてため息をついた。


「……考えさせてくれ。親にも相談しねえと」


「ここから歩きで半日だ。帰ろうと思えばすぐ帰れる」


「お前じゃねえんだ。そんな頻繁に帰るかよ」


「悪かったな、すぐ帰ってきて」


 二人のやり取りに、少しだけ空気が重くなる。

 だが、すぐに互いに謝り合い、場は落ち着いた。


 その隙に、徳蔵が不安げに口を開く。


「なあ……今の話だと、諸々の手配は俺がやるのか?」


「すみません、お願いしていいですか?」


 徳蔵は盛大にため息をついた。


「……まあ、いいさ。  これでようやく枕を高くして寝られるってもんだ」


「ありがとうございます。

 もちろん、お礼は弾みますし。

 徳蔵さんに任せきりにするつもりもありません。

 ただ、俺一人だとさすがに無理なんで助けてください」


「おう、期待してるぜ。

 といっても銭はな......。

 ここらじゃ派手に使うわけにもいかんから、いまでも持て余してるんだが」


「それなら心配ないですよ。

 カネクルには船乗りがお金を落としていく遊び場もありましたから。」


「おお、そうかそりゃあ行くのが楽しみになるってもんだ。

 というかお前まだ七歳だろう?外で変な遊びおぼえたんじゃないだろうな」


「はは、何を言うんですか人探しであちこち歩き回ったときに見かけただけですよ。本当に。」


「ならいいけどよ。いやあ、それにしてもようやくこの物騒なお宝から解放されると思うと

 身体が軽くなったみたいだぜ」


 俺はその言葉に、思わず心の中で苦笑した。


 ――この男はまだ知らない。

 

 勘太の“計画”は、いつだって想像の外側にある。

 

 そして俺たちは、気づけばその渦の中にいる。


 だが――この少年の背中を守る。

 

 それが俺の役目だ。

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