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第69話:悪魔の理(ロジック)を継ぐ者――セタリの覚醒

 宝暦十二年(一七六二年) 晩夏 蝦夷地・宗谷

 

 囲炉裏の火が、一際大きく爆ぜた。  

 

 勘太の震えが、俺の手を通して伝わってくる。

 こいつは今、目の前のガキではなく、その後ろに控える権力と戦っているんだ。


「さあ、聞かせてみろ。鹿何頭分だ?十頭か、百頭か?」


 道広が、あざけるよう声高に叫ぶ。

 その無邪気な残酷さが、勘太をさらに絶望の淵へ追い詰めていく。

 

 俺は、勘太の肩を強く掴んだ。

 その震えを、俺の掌でねじ伏せるように。


「……まず、一つ勘違いをしているようだから正しておく。」


 道広の動きがぴたりと止まった。


「お前が買おうとしているのは、食い物の作り方や、それを作る人足じゃない。

 俺達アイヌの流儀で言うなら、お前が買おうとしているのは『森の営み』そのものだ。

 ……あんたたち和人の言い方なら、『領地』になるか」


「……領地だと?」  


 道広が眉をひそめる。

 横の守屋が、微かに目を細めた。


「勘太、あそこの子供は何人だ。」


 勘太がハッとした表情で思い出すように答える。


「俺が離れている間に増えたかもしれないが、五十人はいると思う」  


「よし、五十だな」


 俺は囲炉裏の灰の上に、指で「五十」と書き込んだ。


「なら簡単だ。五十人の人間が、一年食いつなぐのに必要な糧を賄えるだけの領地――五十石だ。

 両じゃないぞ、『石』だ」


 数字の横に『石』と書く。


 道広が息を呑む。  

 蝦夷地は「無高むたか」の地だ。

 

 米が獲れないこの場所で、あえて和人の力の象徴である「石高」を持ち出された衝撃が、

 道広の顔を強張らせる。


「子供だし、家で食う分を引いて、大負けに負けても『十石』。

 ……道広、お前が提示したのはたったの二十両だ。

 2年も持たん、端金はしたがねだ」


 喋りながら五を消す。

 灰の上には『十石』という字が残る。


 俺は、灰の上の数字を道広に向かって突きつけた。


「お前が今、奪おうとしているのは、五十人の命を一年先まで保障する『十石の領地』に等しい価値だ。

 それをたった二十両で買い叩こうなんて……藩主の世継ぎのくせに、

 自分の領地の価値ねうちすら計算できないのか?」


 十石の隣に二十両と書き、問いただす。


「お前ならどちらが上かわかるだろう。

 十石か二十両か、どっちだ!」


 これを間違えるなら、民を統べる資格はない。


「……っ!」  


 獲物が逃げ場を探して藪の中を暴れまわるように、

 その瞳の奥で凄まじい速度の「計算」が火花を散らしているのが、俺には見えた。


 二十両という、今この手にあるだけの「肉」。

 それに対し、毎年、あいつらの命を繋ぎ続ける十石という「森の営み」。


 その間に横たわる、埋めようのない価値の深淵。

 そこに足を取られ、溺れかかっているガキの喉が、ひきつったように小さく上下した。


 ふと横を見れば、守屋が言葉もなく息を呑んでいた。

 武士の誇りを口にしていた男の肩が、微かに震えている。


 二十両というはした金で買い叩くような主の傲慢さを、俺が――いや、勘太の授けてくれた「理」が、

 統治者としての未熟さごと一刀両断にしたのだ。


 囲炉裏の爆ぜる音だけが、やけに大きく響いた。


 灰の上に並んだ「十石」と「二十両」の文字。


 そのどちらが重いか――答えは、もう出ていた。


「……若」  


 沈黙を破ったのは、守屋だった。

 

「負けですな。市井の者に、ここまで統治の『理』を説かれては。

 ……二十両など、あまりに浅はかな施しでございました」


 守屋は深く頭を下げた。

 それは、俺の知恵に対する、武士としての敬意だった。


「どうだ、アイヌの猟師も馬鹿にしたもんじゃないだろ?

 俺はシャクシャインを超える男だ!」


 ふんと小さく息を吐く。

   

 道広は、ぐうの音も出ない様子で、灰の上の「十石」という文字を凝視している。


 俺は、隣の勘太を見た。  

 絶望に染まっていたあいつの目に、ゆっくりと、確かな光が戻っていく。  

 

(どうだ、勘太。お前が俺にくれた『理』は、この通り、お前を助ける力になったぞ)


 俺は、誇らしげに笑ってみせた。


 勘太は、何も言わなかった。

 ただ――小さく、うなずいた。


「やるじゃない、セタリ。」


 さっきまで後ろで控えていたくせに、リラが得意げにほめてくる。


 ――なぜか、嫌な気はしなかった。

 

---


 囲炉裏の火が消えた翌朝、 宗谷の空気は妙に澄んでいた。


 道広たちの姿は、もうどこにもなかった。


「夜明け前に船を出したようです。  ……まるで逃げるように」


 俺は鼻で笑った。


「あれだけの大口を叩いて、あんな無様な負け方をしたんだ。  

 俺たちの顔を見るのは、死ぬより辛かったんだろうよ」


 勘太は苦笑していた。


 そして、懐から一通の封書を取り出す。


 封は乱暴に閉じられ、筆跡は怒りに震えていた。


 勘太が読み上げる。


「――“次に会う時、お前がどれだけのものを背負っているか、楽しみにしている”」


 セタリが眉をひそめる。


「脅しじゃないな。あいつの“期待”だ」


 勘太は封書を握りしめた。

 

 怒りでも恐怖でもない。

 

 ただ、胸の奥に火が灯った。


「……あいつ、まだ終わってないな」


 セタリが肩をすくめる。


「終わるわけがない。  あのガキは“負けたまま”じゃいられない性分だ」


 勘太は空を見上げた。


「次に会うときは、あいつを味方にしないとな。 倒すより大変そうだ」


 宗谷の風が、どこか遠くへ吹き抜けていく。


 道広は去った。

 

 だが、断ち切れたわけではない。


 ただ、“次に会う時”が必ず来ると、二人とも確信していた。


 それは約束ではなく、宿命――そして必ず再び火を噴く。


 宗谷の風が、二人の髪をかすかに揺らす。

 遠くに漂う潮の香りとともに、静かな戦いの予感が、胸の奥でじんわりと燃え広がっていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
これ、最終回じゃないですよね(感動)
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