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第67話:見え隠れする正体

 宝暦十二年(一七六二年) 晩夏 蝦夷地・宗谷


 勘太が用意したのは知り合いの漁師・徳蔵の家だった。

 古い梁と煤けた囲炉裏が、妙に落ち着く空気を漂わせていた。


 「侍の相手なんて、寿命が縮まるわ!」と吐き捨てて逃げ出した徳蔵の気持ちはよく分かる。


 勘太が、小さな手で膝を突き、口を開く。

 

「さて、場は整えました。何からお話しましょう」


「……そうだな。まずは油煮だ」  


 道広が、身を乗り出した。

 

「現物がここにあるのに、なぜ今すぐ俺に売らぬ? 銭ならある。

 守屋に言えばいくらでも出すぞ。わざわざ松前まで持って行くのは手間ではないか」


 八歳の子供らしい、最短距離の正論だ。  

 欲しいものが目の前にあるなら、その場で買う。  

 商売の駆け引きも、流通の支配も、まだ彼の頭には届いていない。


 勘太の視線が、ほんの一瞬だけ落ちた。


 ――計算している。

 

「……商売には、順序というものがあるんですよ」  


 勘太が、落ち着き払った声で返す。

 

「あの油煮はすべて、売り先が決まっているんです。

 失敗作を少量分けるのとは、わけが違う。

 

 道広さま、例えば……私がお譲りすると約束した品を、勝手に他所へ売ってしまったら、どうします?」


「打ち首にする」


 即答だった。  

 勘太の喉がゴクリとなる。


「そ、そうでしょうね。だから、売れないんです」


「……なるほど。だが一つくらいなら分からんのではないか? 見張っておるわけでもあるまい」


「ばれた時に信用を失う。商人は、それを一番嫌うんです」  


 勘太の言葉に、道広は「ふむ」と顎を引いた。  

 力による支配を教育されている彼にとって、「信用」という見えない鎖は、新鮮な驚きだったようだ。


「では、あの『宗谷商会』は何だ。なぜガキ共ばかりを集めて、大人のような真似をさせている?」  


 道広の目が、作業場での光景を思い出して鋭くなる。

 

「あれは、親の手伝いという枠を超えている。大人のやることだろう? 親がいないわけでもあるまい」


「腹の足しになればと、捨てられているカニを集めて飯を振る舞っていただけですよ」  


 勘太が、しれっと嘘を吐く。

 

「貧しい家が多くて皆腹をすかせている。食への渇望というのはすごいもので、いつの間にかああなっていました」


(……嘘だな)  


 俺は、白湯を啜りながら腑に落ちた。  

 食への渇望だけで、あの規律が生まれるはずがない。

 勘太は、俺たちにすら言っていない「理」をあそこに仕掛けている。


「ですが、道広さまもご覧になったでしょう。

 俺たちの騒ぎなど知らぬ顔でカニを剥く子供たちを」  

 

 勘太のあからさまな誤魔化し。  

 だが、道広と守屋は、あの異常な集中力を思い出したのか、納得したように頷いた。


「確かに……あの働きぶり、うちの小姓にも見習わせたいものだ」


 守屋の感嘆に、道広も満足げに鼻を鳴らす。  

 だが、その瞳に宿る好奇心の炎は、まだ消えていなかった。


「だが、お前はどうなんだ。ただの漁師のせがれが、なぜアイヌと連れ立って旅をしている?」


 空気が、一段と冷えた。

 

「セタリもリラもお前を家族と呼び、お前自身も体を張っている。

 尋常のことではない。……お前、本当は何を企んでいる?」


「そ、それは……」  


 勘太の喉が、微かに揺れた。

 

 その様子に道広の目が、少しだけ鋭くなった。

 

「……もしかして、どこかの間者か何かか?」


「……間者?」


「そうだ。他国の回し者か、あるいは松前を乗っ取ろうとする悪い奴か。

 お前の動きは、どうも松前の平穏を壊しそうな気がするんだ」


 子供らしい発想だ。

 「あやしい奴が民を扇動して一揆をおこす」……まるで戦国時代の物語のような、純粋な警戒心。


 勘太の口角が、ぴくりと跳ねた。

 ……吹き出しそうになるのを、必死に抑えている


(……笑ってる場合か、バカ。相手は藩の大物だぞ。気持ちはわからんでもないが)


 道広は、確かに聡明だ。

 

 だが、勘太とは違う。

 

 あの悪魔のような凄みがない。


「道広さま。俺はただの、変わり者、傾奇者ですよ」


「傾奇者……わしの知っておる傾奇者とはずいぶん違うようだが」


「……見た目はそうでしょうがおかしなことをしているという点では同じです。」


 勘太は、七歳の子供らしい無邪気な笑みを作っていた。

 どうせ、その笑顔の裏側で、この未来の藩主をどう利用してやろうか考えているんだろう。

 独り言が出ていないのが余裕のある証拠だ。


「ふん。やはりお前は食えぬ奴だ」


 結局、道広にとって勘太は「怪しいけれど、面白いやつ」程度の存在なんだろう。


---


 その後も道広の質問攻めは続いた。

 

 他にはどんなものを作っているのか、

 どこでそれを覚えたのか、

 誰に教わったのか――


 間髪入れずに飛んでくる問いに、勘太は肩の力を抜いたまま応じていく。


「ここらにあるもので腹の足しになるものなら何でも――」


「昔から作られているものを少し変えただけ――」


「親や近所の大人、あとは誰かの思い付きで――」


 答えているようで答えていない。


 端から聞いているとよくわかる。


 のらりくらりとかわしている。 


 肝心なところは何一つ答えていない。


 道広も面白くもないありきたりな返答に飽きてきたようだった。


 ――が、


「……ふん」


 短く鼻を鳴らす。


「つまらん答えだな」


 そう言いながらも、その視線は逸れない。


 むしろ、先ほどよりもわずかに鋭くなっていた。


 やがて、小さく息を吐く。


「……まあいい」


 最初に合った緊張感は霧散し、いよいよお開きかと思った矢先、


「では最後だ――」


 道広の声が、わずかに低くなる。


「油煮の製法と、あの作業場の者どもを――」


 一拍。


「献上せよ。松前のためにな」


 囲炉裏の火が、ぱち、と爆ぜた。


 勘太の指先が、わずかに震えた。隠そうとしても隠しきれないほどに。


 震える指先を見て、勘太がどれほど追い詰められているかを知った。


 誰も、すぐには口を開かなかった。


 ――開けなかった。


 守屋は、何も言わなかった。

 ただ静かに、勘太を値踏みするように見ていた。


 囲炉裏の火が揺れ、道広の影が異様に大きく見える

 

「……あいつらを松前に渡すわけには」


 勘太の口からわずかにつぶやきが漏れる。

 握った拳が、かすかに震えていた。


 昼間見た三吉の笑顔が、カニを剥く子どもたちの小さな手が、一瞬だけ脳裏をよぎる。


 終わりかと思えた夜は、ここからが本番だった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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