第66話:揺らぐ心と揺るがぬ定め
宝暦十二年(一七六二年) 晩夏 蝦夷地・宗谷
「……で、なんでこうなったんだ」
勘太は深く肩を落とし、死んだ魚のような目で、
作業場をうろうろと見て回るガキ――松前道広を指差した。
「……不可抗力だよ、セタリさん。
俺の作った『仕組み』が、想定外に巨大な魚を釣り上げてしまった」
結局、俺たちは道広の護衛を引き受け、一度勘太の故郷、宗谷の拠点へと戻ることになった。
道広が「カニの油煮」の製造現場をその目で見たいと聞かなかったからだ。
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宗谷に着いて早々、漂うカニと油の匂いに吸い寄せられ、道広は走り去ってしまった。
「お待ちください、若。危険です。」
守屋が悲鳴を上げてその後を追う。
「追わなくていいのか?」
「まあ、大丈夫でしょう。こんなところに刺客なんてひそめませんから」
面倒くさそうに答える勘太。
「いや、そうじゃなくてだな……」
うわああっ。なんだ、お前。
子供の絶叫が響く。
「急いだほうがいいんじゃない?勘太の知り合い、困ってると思うわ」
さすがにリラはわかってるな。
「……あ、やべ」
どうやら、田舎の村によそ者が現れたらどうなるのか、忘れていたらしい。
慌てて駆けだす勘太に俺達も続いた。
やめろっ。それに、さわるな。
子供の絶叫も続く。
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勘太が声をかける間もなく、道広は作業場へずかずかと踏み込み、
釜から上がる湯気や、カニを剥く子供たちの手元を熱心に覗き込んでいた。
「これが噂の油煮の製法か! ほう、出来立てはこのような香りなのか。
こっちは何だ、殻を砕いて肥料にするとは、無駄がないな!」
突然の闖入者に子供たちは戸惑いつつも作業を続ける。
まだ事態を飲み込めていないようだった。
「新入りか?邪魔だからあっち行けよ」
子供の一人が道広を追い払おうとする。
――その言葉に、
道広は一瞬、顔をしかめたが、何事もなかったように表情を整えた。
「おお、悪いな。邪魔にならぬようにするから、少し見てもいいか?」
「ちっ、仕方ねえな。
気をつけろよ。ここは刃物も扱うから危ないんだ」
「わかった。……そこに書いてあるのは何だ」
「ああ、それは作業の手順で……」
好奇心の塊になった道広は、次々と質問を投げかける。
それに、子供たちは根気強く付き合っていた。
その様子を見て――勘太は、なぜか涙ぐんでいた。
彼らはいつものことだとでもいうように、道広に一つ一つ説明していく。
周りも空気を察したのか、見学しやすいように、手元を見せている。
「あいつら、あんなに立派になって……泣きそうだ」
まるで我が子の成長を見る親のような目だ。
同年代だぞ。
こいつの頭の中はどうなっているんだ。
勘太は、あまりの成長ぶりに思わず保護者のような顔をしていた。
その様子を、俺とリラ、そして困惑しきった守屋は、ただ遠巻きに眺めるしかなかった。
「ねえ、セタリ。守屋様、動かないんだけど......」
「……。」
どうやら刺激が強すぎたようだ。
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道広の質問攻めがひと段落したところに子供が駆け込んできた。
「勘太!おかえり、どうしたんだよ、こんな急に」
「おお、三吉、ただいま。
いやあ、ちょっと、いろいろあってさ」
「懐かしいな……っていうほどでもないか。まだ半年だし。
……もう帰ってきたのか?向こうでちゃんとやってんのか?」
「う……。ちゃんとやってるよ、多分。」
「ふーん……で、何やってたの」
「えーと、そうだな……。」
「勘太はすごいのよ。床暖房作ったり、燻製小屋作ったり、すっごく美味しい燻製肉を作れるの!」
リラが待ってましたとばかりに割り込む。
勘太の功績を並べ立てた。
「えっと、あんたは?」
「私はリラ、こっちは従兄のセタリよ」
勘太が補足を始める。
「この二人は、今俺が世話になってるアイヌの村の出身なんだ。
あっちで見学してるのが、松前から来た客で――
固まってるのが、その保護者だ」
「なるほどね。物見遊山の案内人でもやってるの?
……ここにいた頃と、あんまり変わってないみたいだけど」
「そ、そんなことないぞ。ちゃんといろいろやってるんだ。
今はちょっと旅の途中というか……。」
「旅ね。威勢のいいこと言って出ていった割に楽しそうで何よりだ。」
三吉の声には、わずかに棘があった。
「ちょっと、何よ。感じ悪いわよ」
リラがすぐに食って掛かる。
「あんたには関係ないよ。こっちの問題だ。」
「関係なくなんかないわ。勘太は大事な家族なんだから」
リラの発言に、三吉は一瞬だけ驚き――すぐに顔をしかめた。
「へえ、家族ね。楽しくやってるようで安心したよ。」
勘太が慌てて口を開く。
俺の見立てでは、三吉の不満は、勘太がいなくなったことへの寂しさと、
置いていかれた悔しさが混ざっていた。
どうやら勘太は気づいていない。
……まあ、こいつらしい。
「ちょ、リラ。言い方」
「何よ!違うっていうの」
「いや、そうじゃなくて、その、セタリさん助けてください」
勘太が助けを求めてくるが、俺にどうしろというのか。
道広と守屋は傍観者と化していた。
「なるほど、これが修羅場というやつか」
「ですな、若もお気を付けを」
「若、いうな。ばれるだろ」
「……すまん」
この二人、身分を隠す気があるのだろうか。
こんな状況にもかかわらず、子供たちは淡々と作業を続けていた。
俺が不思議そうにしていると子供の一人が教えてくれた。
「作業の出来によって飯の量と質が変わるんだ。
騒ぐのは構わないが、邪魔はしないでくれよ」
……この村の子供は、みんなこうなのか。
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日が傾きかけてきたところで、食事の席が用意された。
さすがに子供たちを同席させるのはまずいと考えたのか、
勘太は三吉に席を外してもらうよう頼み込んでいた。
「俺は同席させてもらうよ。これでも、今はここの責任者だからね」
「ああ、もちろんだ。助かるよ。
三吉がいてくれて助かる。頼りにしてるよ」
「どうだかな……まあ、安心しなよ。
口出しはしないし、聞いたことを言いふらしたりもしないから」
渋々ながらも、聞き入れてくれた。
少し間を置いて、
「……おい、汁だけか、油煮はないのか?」
道広が粗末な器の、具の少ない汁に不満を言う。
「油煮は外に売る商品だ。
食べられるのは売り物にならない失敗作だけ。
でも最近は失敗も少ないし、
よく働いたやつが持って帰ったから、もう残ってない」
三吉は当然のように言った。
それがこの場の決まりだった。
勘太はわずかに眉をひそめる。
それを見て、三吉が続けた。
「勘太、お客をもてなしたいのはわかる。
だが、これはお前が決めたことだろう?
自分で決めた『定め』を、自分で壊すのか。
そんなことをすれば、誰もついてこなくなるぞ」
勘太は一瞬驚いたような表情になったが、
泣きそうで、笑いそうな顔のまま、口ごもった。
「……ああ、そうだな。三吉、お前の言う通りだ」
絞り出すようにそう答えた勘太の背中は、どこか小さく、
それでいて、わずかに嬉しそうに見えた。
その光景を、道広は汁を啜りながら、
獲物を定めるような鋭い目で見つめていた。
「あの、久松。申し訳ないが、今日のところはこの汁で勘弁してもらえませんか?
油煮については後日必ず……。」
「構わん。三吉といったか、わがままを言った。
郷に入っては郷に従えという。
ここは、この場の『定め』に従おう」
「おお、若――……久松、ご立派です」
守屋は目を潤ませていた。
尊大な態度を崩さずに要求を取り下げた道広に対し、
三吉はどこかまんざらでもない様子だった。
「この汁、美味しいわ。勘太が家で作ってくれた奴より、ずっといい感じ。
なんていうかカニの風味がなじんでる」
リラが気まずい空気を吹き飛ばすように声を上げる。
「あたりまえさ。家と違って、ここでは大鍋で作るから焦げにくいんだ。
しかも泥炭の火で、作業の最初から最後までじっくり煮込む。だから味が安定するんだよ」
三吉が得意そうに説明する。
それを聞いた道広は、納得したように汁を飲み干した。
「確かに、見た目はともかく味わい深いな。
馳走になった。」
「満足いただけたならよかった。
よかったら、油煮も買ってください。
松前の伊勢屋で買えますから」
道広が不思議そうな顔をして尋ねた。
「ここでは買えないのか?」
「ええ、ちょっと事情がありまして......」
「待った、三吉、そこまでだ」
今まで黙っていた勘太が、慌てて声を上げた。
「え、何かまずかったか?」
三吉は勘太の慌てように自分が失言したと思ったようだ。
「いや、その話は俺からしたかったんだ。
久松、飯も済んだことだし、場所を移しましょう。
三吉、ありがとうな。汁、美味かったよ。
それに、さっきのやりとりも。もう、立派な宗谷商会の『幹部』だな。」
「勘太」
昼間の険悪な雰囲気はすっかり消え、二人だけの微妙な空気が流れた。
「感動的な場面に水を差すようですまんが、色々聞かせてもらおうか。
『宗谷商会』とやらのことも聞かねばならなくなったしな」
「あ」
勘太が間の抜けた声を上げる。
人にはあれこれ言うが、こいつはこいつで抜けているところが多いと思う。
普段は歴史の先まで見通しているような顔をしながら、
足元の石ころに躓いて転ぶような危うさが、こいつには常に付きまとっているように見えた。
宗谷を吹き抜ける風は、いつの間にか秋の気配を運ぶように冷たくなっていた。
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