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第65話:悔恨に沈むセタリ、武士との出会い

 宝暦十二年(一七六二年) 晩夏 蝦夷地・カネクル港町


 俺は薄暗く湿った土牢の奥で、自分の拳を見つめていた。  

 左肩の縫い目が、冷気で微かに疼く。

 勘太が鹿の腱で縫い合わせた「和人の理」の痕跡だ。


(……裏切られたと思ったが、裏切ったのは俺か)


 勘太が役人を呼び、自分を縄で縛ったあの瞬間、セタリの頭の中では何かが崩れ落ちた。

 

 だが、冷たい床で数刻を過ごすうちに、かつて聞いたあいつの言葉が蘇ってくる。


 『次からは走り出す前に、一呼吸だけ考えてください。  


 それだけあれば、シモンさんに『先に行く』と伝えられます。  

 

 それだけで、周りの人間が動きやすくなる。』


 動く前に一呼吸だけ考える……。


 今日の自分を思い返した。  


 一呼吸どころか、瞬きほども考えずに飛び出していた。


 本能のままに動く獣。


 自らを犬ではない、アイヌの戦士だと叫びながら何をやっているのか。


 自ら求めていた力を手放すかのような愚行。


 挙句、裏切られたなどと被害者面。


 あいつが失望するのも無理はない。


 だが、とも思う。


 あの場で飛び出していなければあの子供は切られて死んでいたかもしれない。


 だとすれば俺のしたことは正しい……はずだ。


 俺でなければ守れなかった。


 そして、はたと思いいたる。


 今、自分が守る相手はどうしているのか――。


 故郷から離れ、知らない町で子供二人。


 背筋が凍った。


 見知らぬ子供一人助けるために、大切な家族を無防備にした。


 こうしてる今も二人に危険が迫っているかもしれない。


 それこそ、和人に切られそうになっているかもしれない。


 でも、そこには助けに入る自分はいない。


 オオカミの群れに囲まれ、棒で追い払おうとするリラとその背にしがみつく勘太が脳裏に浮かんだ。


 心音が速まるのを感じた。

 

 体が熱を増す。

 

 息が荒くなる。

 

 土牢の冷気すら、怒りで蒸発しそうだった。


「……うぉぉぉぉっ!」


 狭い土牢に叫びが響く。  


ガタン


 足音が近づき、影が差し込んだ。

 不意に鍵の外れる音がした。


 入口が開き、明かりが差し込んだ。

 新鮮な空気が流れ込み、潮の香りを運んでくる。

 

 目を細め入口に視線をむけ身構える。

 見知らぬ和人の男が立っていた。

 物腰から侍であることが伺えた。


「お前がセタリか。」


 品定めでもするような視線。


「……なるほど、確かに熊も殺しそうな男だな」


 ひとしきり眺めた後、どこか納得したような口調で言った。


「わしの名は守屋新左衛門。

 

 出ろ、迎えにきた。

 

 主が待っている。お前の連れと一緒にな。」


 守屋と名乗った男が促した。

 その後ろには、おびえた様子の役人たちが控えていた。


「わかった、ついていこう。

 ただし、二人にかすり傷でもついていたら、お前もその主もタダじゃおかないからな。


 ……歩きながら話せ」


 道すがらに聞いた話は、俺の想像を超えていた。

 そして――勘太が何をしでかしたのかを知った瞬間、思わず足が止まり、天を仰いだ。


 お前は何をやっているんだ......。


---


 宿へ向かい、俺は黙って歩いた。


 俺が尋ね、守屋が答える。


 要領を得ない聞き方にもかかわらず、守屋は言葉を選びながら辛抱強く答えてくれた。

 耐えることに慣れているのだと、自然に感じられた。


 これまでに出会ったことのない種類の和人だった。

 身分を振りかざし、居丈高に要求だけを告げる輩とは、まったく違う。

 自らの役割に誇りを持ち、静かに行動する男。


 その男が主と仰ぐのは、どうやら自分が助けた子供――身分の高い和人らしい。

 詳しい事情は語られないが、守屋の態度から、察することはできた。


 牢の中で、自分の判断が間違っていたのではないかと思った。

 取り返しのつかない失敗をしてしまった――そう考えた。

 

 だが、守屋の態度を見る限り、感謝の念を抱いているようにも見える。

 ならば、間違いではなかったのかもしれない。


 答えは出せないまま、黙って歩き続ける。


 不意に守屋が口を開いた。


「何やら悩んでいるようだが……一つだけ言っておく」


 意外な言葉だった。


「わしはお前に感謝しておる。若を救ってくれたこと、かたじけない」


 頭を軽く下げる守屋。

 

 和人が――それも身分の高い侍が――アイヌの俺に頭を下げる。

 その意味は、はっきり理解できた。


「こちらこそ、牢から出していただき、助かった。

 礼が遅れてすまなかった」


 意外だったのか、守屋は驚いたように目を丸くした。


「いや、もとはといえば若の行いのせいというではないか。

 お前に非はない、謝るのはこちらの方だ」


 他愛もない話を交わしながら宿へと進む。


「だいぶ遠いところから来たようだな」


「詳しくは言えんが、わしもこんな遠くまで来たのは初めてだ。

 主も初めての遠出が楽しいのか、常にもまして興奮気味でな。

 わしはついていくので精一杯よ」


「そういう意味では、こちらも同じだな。

 突拍子もないことをやり始めるものだから、ついていくのがやっとだ」


 顔を見合わせ笑う。


 なんだか急に親近感が湧いた。

 おかしな子供に振り回される、付き人の苦悩――それが、少し分かるような気がした。

 

 この日、俺は、勘太以外の和人の知己を得た。


---


 宿に入り、座敷に向かうと、勘太の声が聞こえてきた。


(よかった。元気そうだな。)


 声色から無事を感じ取り、胸をなでおろす。


 話を遮るのもどうかと思い、守屋と逡巡していると、勘太のぶつぶつとした独り言が聞こえてきた。


「まずい......俺が作ったことがばれる......」


(あいつ、こんな時に)


 意を決して、守屋に戸を開けるよう促す。

 守屋が静かに戸を開く。

 入る際にさっと中の様子を確認した。


 上座に座る少年に見覚えがあった。

 別れ際の不遜な態度はそのままだ。


(これが守屋の主。あの時は態度のでかいガキにしか見えなかったが、今は風格があるように思える)

 

 勘太はその正面で、ひきつった笑みを浮かべている。

 普段の偉そうな雰囲気はすっかり消え、これはダメな時のやつだと悟る。

 静かに援護することを決めた。


 リラは端の方で横になっていた。

 こんな状況でよく眠れるものだ。まあ、無事ならそれでいい。


 勘太と目が合う。

 別れ際にあんなことをしておきながら、悪びれる様子もない。

 仕方ない、ここは俺が大人になるとするか。

 軽く頷き、勘太の横に座る。


 まったく、世話の焼けるやつだ。

 ……だが、無事でよかった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
さぁ、物語がガンガン進む雰囲気を醸し出してきました! 「なろう」してもらわないと!!!
いままでも、自分の独り言でネタばらししてるのにまだ気付いてないのかw
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