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第64話:改変か史実か――忍び寄る波及(スピルオーバー)

 宝暦十二年(一七六二年) 晩夏 蝦夷地・カネクル港町


 セタリを牢に入れる羽目になったときは、どうしようかと思ったが、

 結果だけ見れば、破格の成果だった。


 松前道広。

 後の松前志摩守道広(まつまえ しまのかみ みちひろ)と呼ぶべきか。

 今となっては――そう呼ばれない可能性すらあるが。


 松前藩の現藩主の嫡男にして、次期藩主。

 蝦夷地の実質的な支配者となる男である。


 そんな男と知己を得た。

 この上ない僥倖と言えよう。


 腑に落ちないことは山ほどある。

 だが、今はいい。

 まずはセタリを牢から出してやらないと。


 何の説明もせずに、裏切るような真似をしたからな。

 きっと落ち込んでいる。


 説明する時間があればよかったのだが、そんな余裕はなかった。

 それに、俺たちを放り出して人助けに走ったのも――少し腹が立っていた。


 ……お互い悪いところがあった、ということで手打ちにしよう。

 そうしよう。


 ――そう思っていた。


---


 落ち合いの場所でしばし待つと、リラと守役の侍が戻ってきた。


 侍は道広の姿を認めるや、涙を流しながら駆け寄り、縋りついておいおいと泣き出した。


 頼むから、いい年をした大人が往来で子供に縋り付いて泣くのはやめてくれ。

 というか、目立ちたくないんじゃなかったのか。


 周囲の視線が、じわりと集まってくる。

 建物の陰からも、こちらをうかがう気配があった。


「こんなところで立ち話も何ですし、とりあえず宿に入りませんか?

 ……すみません。我々の分も出していただけると助かります」


「うむ、若を見つけてくれたのだ。

 その程度は当然のことよ。

 

 よろしいですな、若」


「……ここで“若”はやめろ、守屋。

 構わん。ちょうど腹も減っておったし、あそこにしよう」


 そうして俺たちは、道広が先ほどまで魚の焼ける様子を眺めていた、古びた宿へと場を移した。


 初めての宿屋に、リラは興味津々といった様子で、しきりに辺りを見回している。


 幸い客はほとんどおらず、座敷を借りることができた。


 セタリには悪いが、もともと野宿のつもりだったのだ。これはありがたい。


 人心地ついたところで、居住まいを正した侍――守屋新左衛門が、俺たちに向き直り口を開いた。


「この度は助力いただき、かたじけない。」


 守屋は深く頭を下げ、ゆっくりと顔を上げた。


「若の御身に万一あらば、我らの面目は地に落ちるところであった。

 ひとえに貴殿らの働きによるものだ。

 

 重ねて礼を申す。」


 そこで一度言葉を切り、視線を巡らせる。

 座敷の外をうかがうように、わずかに声を落とした。


「――さて、本題に入らせていただく。」


「この一件、ただの偶然では済まぬ気配がある。

 城下でも、どうにも一部の者の動きが妙でな。

 

 先ほどの往来でも、こちらをうかがう視線があった。

 見張られているのやもしれませぬ。」


(……少し考えすぎのようにも思えるが?大泣きして騒いだから、見られていただけでは)


 守屋はわずかに身を乗り出す。


「つきましては、セタリ殿をお借り受けしたい。

 熊を素手で殴り殺すほどの豪の者と聞いている。

 

 護衛として頼みたい。

 松前に戻る船に乗るまでの間でよい。無論、粗略には扱わぬ。」


 言い切ってから、こちらを見る。


「……よろしいか。」


「お引き受けしたいところではありますが、まずは本人の意向を確かめたい。

 つきましては、セタリを牢から出していただきたい。


 あの行動は、道広様を守るためのものでした。

 約束通り、守屋様もこうして道広様と再会できております。」


 勘太はゆっくりと顔を上げた。その瞳には、子供らしい怯えなど微塵もない。

 あるのは、場慣れした者の光だった。


 守屋新左衛門は、しばし黙した。


「……筋は通っている。されど、軽々に牢を開けるわけには参らぬ」


 もっともな言い分だ。


「ならば、まず話を聞くべきでしょう。閉じ込めたままでは、それも叶わない」


 言い切ると、守屋は道広へ視線を向けた。


「守屋」


 短い一声。


「処分は俺が決める。まずは出せ」


 迷いのない声だった。


「……御意」


 守屋は頭を下げ、すぐに座敷を出ていった。


---


 座敷に残された俺たちは気まずげなまま向き合っていた。


 外のざわめきが遠く聞こえる


 冷めた焼き魚をつつきながら、ぬるいお茶をすする。

 道広は早々に食べ終わると横になってしまった。


 リラは疲れもあってか、膝を折るとすぐに寝息を立てる。

 炉の火がパチパチと音を立て、静かな時間だけが流れる。


 しばらくの沈黙のあと、道広が顔をこちらに向け口を開いた。

 

「勘太といったか。そろそろ、聞かせてもらおうか」


 少しだけ声を震わせて、彼は勘太を見やる。


「ええ、そうですね。時間もあることですし、お話しましょう」


 俺は視線を少し外し、頭を下げるようにして続けた。

 

「その前に、無礼をお詫びしておきます。

 何分、礼には疎いもので、失礼があればご容赦ください」


「よい、まだるっこしいのは好かん。」


 「……いまさらだろうが」と短く息を吐く。


(よし、言質は取った)


「さっさと話せ」


「賭け、だったんですよ。道広様」


 わざと軽く、そう告げた。


「身分を隠しての放蕩。お付きの者の慌てぶり。

 それに、この時期にこの場所。


 確率は五分五分でしたが……結果は俺の勝ちです」


「は、俺の噂がアイヌの小僧にまで知れ渡っておったとは。

 賭けとはな。外れていたらどうした?」


「外れたら、その時はその時です。

 高名な道広様に間違えられたところで、悪い気がする者などおらんでしょう」


「なるほどな、やはりこの地には何かあるようだ。

 お前のような小僧がこれほどの知恵を持つとは。

 自ら探りに来て正解だった」


「え、それはどういう……」


「この辺りでカニの油煮という、信じがたい美味が作られておるらしい。

 正確な出どころは商人の道具の秘密として、明かさなかったが」


「そうですか、そんなものが」


 この時期にここにいる理由が謎だったが、全部、俺のせいだった。


 何の後ろ盾もない状態で公権力に目をつけられたら、ひとたまりもない。


 伊勢屋の九兵衛が情報を控えてくれたおかげで、ぎりぎり助かったが、危ないところだった。


「なあ、どうだ? 地元の者なら、何か聞いたことはないか。

 市や港を見て回ったのだが、それらしいものがなくてな」


(道広とのつながりは値千金。

 だが、態勢の整っていない状況で手の内を明かすのは悪手だ。)


「……さあ?どうでしょう。

 ご覧の通り、貧しい身の上でして。

 そのような、高価な品には縁がなく」


(考えろ。思考を回せ。最善は何か。どう切り抜ける。)


 心臓が早鐘のようだ。

 頬を汗が流れるのを感じる。

 表情を隠せていない気がする。 


(まずい、まずい、まずい、どうする、考えろ、考えろ、考えろ、

 ああ、時間、時間が欲しい、考える時間が。


 時間、時間、時間……!

 

 いきなり、こんな大物が出てきちゃだめだろ。

 最初は小物の役人を寄こせよ。

 

 誰だ脚本書いたの!

 ぶっとばしてやる。


 ああ、このままじゃ、俺が作ったことがばれる......)


 答えに窮する俺の様子に、道広はなぜか驚いたような顔をした。

 そして、何か面白い発見をしたように笑った


「そうかそうか、お前か、あれを作ったのは」


 ただの子供だと思っていた相手が、思った以上のやり手だったことに、俺は息を飲む。


 不意に、座敷の戸が静かに開いた。

 守屋が、セタリを伴って入ってくる。

 

 事態を正確に把握しているわけでもないだろうに、セタリの足取りは落ち着いている。

 守屋は道広の横、少し距離を置いて控える。


 セタリと目が合う。

 言葉はなくとも、互いの意思が通じた気がした。

 セタリは軽く頷き、俺の横に座る。



 静かな座敷に、再会の空気がゆっくりと漂った。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


少しでも「面白い」「続きが気になる」と感じていただけたら、

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いただいた反応が、そのまま更新の励みになります。


※後半の主人公・勘太のセリフ、描写を一部加筆・修正いたしました。

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