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第63話:七歳児の交渉戦略(ディール)

 宝暦十二年(一七六二年) 晩夏 蝦夷地・カネクル港町


 まったく、とんでもない身体能力だ。  

 あの距離を一瞬で詰め、子供一人を抱えて逃げ切る。  

 アイヌの戦士というより、もはや化け物の類だ。


 さて、これからどう動くか。


 幸い、セタリが派手に注意を引いてくれた。  

 おかげで、俺たちが連れだと和人に認識されずに済んだ。  

 だが、刀を下げた和人の役人連中は、だいぶおかんむりだ。


 このままでは、血が流れるのは時間の問題だろう。  

 セタリが負けるとは思わない。  


 だが、和人を皆殺しにされても困るのだ。  

 最悪、軍が動いて宗谷のコタンごと焼かれてしまう。    

 それだけは、避けたい。


 ならば――。  


 いったんセタリには捕まってもらう。  


 彼という「人質」を差し出すことで、連中の怒りの矛先を管理下に置く。


 幸い、相手の被害はたいしたことはない。  

 怪我もさせていない。  


 突き飛ばしただけで死罪――。  

 いくらこの時代でも、そこまではいかないだろう。


 ……いかない、と言い切れないのがこの時代の恐ろしさだが。


 おっと、リラが今にも泣き出しそうだ。  


 俺は思考を切り替え、隣に立つ少女に向き直った。


「……あの馬鹿のせいで、予定がめちゃくちゃだ」


 わざと冷たく言い放つ。  


 保護者が、保護対象を放ってどっかへ行くなどあり得ない。  

 優先順位がわかっていない。  

 あとでお灸を据えないとな。


 リラをなだめつつ、今後の方針を伝える。  

 案の定、彼女は烈火のごとく怒りだした。  

 まあ、泣かれるよりはましだ。


「いったんセタリを縛りにつかせないと、話にならない」    


 一生逃げ続けるわけにもいかない。  

 最悪、宗谷コタンにまで飛び火しかねないのだ。  

 そう理詰めで伝えると、リラは青い顔をして、しぶしぶ同意してくれた。


 ---


 集まってきた役人に、セタリを捕まえる手伝いを申し出る。  

 当然、怪しまれた。  

 だが、俺は淡々と嘘を並べた。


「彼は熊と一対一で戦えるほどの戦士です。まともに戦えば、あなた方にも死人が出ますよ」


 役人たちの腰が引ける。


「……やってみろ」  


 震える声で許可が出た。


 対価として要求したのは、セタリの身の安全だ。  

 街を騒がせたのは確かだが、怪我はさせていない。  


 もとは子供を助けようとした善意であって、和人に対する反抗ではない。    

 突発的な事故にすぎない。  

 むしろ、責められるべきはその子供の保護者なのではないか――。


 矛先を、別の方向に誘導する。  

 コンサル時代に鍛えた弁舌が、江戸時代の蝦夷地で火を吹いた。  

 役人たちが納得の表情を見せる。


 ただし、セタリが暴れて捕り方に被害が出たら、約束はなし。  


 それが条件だ。


 俺は一計を案じ、空き地に陣取った。  

 まんまと戻ってきたセタリの手を取り、縄をかける。  

 リラに合図を出させ、役人を呼び込む。


 いきなりの展開に、セタリの理解が追いついていないようだった。  

 さしもの身体能力も、発揮されることはなかった。  

 あまり長居すると暴れだすかもしれなかった。  


 俺はリラを連れ、早々に撤退した。


 ---


 さて、次はセタリを解放してもらうための「材料」探しだ。


 まったく、手のかかる保護者様だ。  


 金か、情報か、情か。


 情はないな。  

 泣き落としが通じる相手ではない。  


 金は……稼げなくはないが、時間がかかる。  

 用意する前に殺されるリスクは取れない。


 となると、情報だ。  

 それも、連中が喉から手が出るほど欲しがる情報。


「……そこの小僧。ちょっといいか」


 考え込んでいた俺に、声が掛かった。  

 振り返ると、格式ばった身なりの武士が立っている。  

 質素を装ってはいるが、肌のつや、指の剣だこ、そして何よりその立ち居振る舞い。


 身分の高さは、一目瞭然だ。


「おぬし、この辺で変わった子供を見なかったか? 

 私の連れなのだが、はぐれてしまってな。困っておるのだ」


「……盗みをして、斬られそうになった子供なら知ってますけど」


「何っ!? 斬られそうになっただと!」


 侍の顔色が変わった。  

 落ち着いてください、と俺は制す。  

 結局、斬られませんでしたから。


「ああ、よかった……。

 久松君ひさまつぎみにもしものことがあれば、腹を切るどころでは済まぬところであった……。

 どこにおる? 案内せい」


「どこかに行っちゃいましたよ。今はどこにいるかわかりません」


 侍は落胆しつつも、無事がわかっただけでありがたい、と頭を下げた。  

 こんな港町には不釣り合いなほど、丁寧な礼。


 使えるな、と確信する。  

 その「子供」とやらは、相当な有力者の子弟だ。


 この時期、この場所。  


 まさかな……。


 だが、あり得るのか。  

 俺の脳内にある薄っぺらな歴史知識が、ひとつの名前を弾き出す。  

 確率は五分五分。


 なら、賭けてみる価値はある。  

 外れても損はない。


「あの。人探しなら、手伝いましょうか?」


「む……いや、結構。わらしの手を借りねばならんほど、困窮はしておらん」


「こちらのリラは、アイヌの猟師見習いです。足跡を追えます。試してみませんか?」


 アイヌ、という言葉に侍が眉を動かした。  

 リラの装いを見分し、深く頷く。


「よし。ならば、任せてみるとするか」


「その代わり。見つけることができたら、お口添えをお願いしたいのです」


 俺は取引を持ちかけた。  

 私の連れが、あなたのお探しの方を助けた。  

 だがその際、和人と揉めて牢に入れられてしまった――。


「……それは。話が本当なら礼をせねばならんが、私の一存では……」


 歯切れが悪い。  


 だろうな。

 身分を隠して行動している最中だ。  

 目立つ振る舞いは避けたいはず。


 というか、目立ちたくないなら盗みなんかさせるなと言いたい。  

 そうすれば、セタリも牢に入る必要はなかった。  

 ふつふつと腹立たしさが湧くが、今は抑える。


「では。お連れ様を見つけてから、決めていただくというのはどうでしょう?

 こうしている間にも、また危ない目に遭っているかもしれませんよ」


「……そうだな。口添えはできんかもしれんが、必ず何かしら礼はさせてもらう。武士に二言はない」


 ---


 追跡が始まった。


 夕闇が迫る中、リラが地面を這うように進む。


 本職の猟師ではないとはいえ、宗谷の原野で薬草を採取することを生業とする彼女は、

 微かな土の乱れや草の倒れ方から情報を読み取るエキスパートだ。


 加えて、セタリをあんな目に遭わせてしまったという後悔と、

 彼を案じる強い想いが、彼女の探索能力を極限まで研ぎ澄ませていた。


 泥だらけになりながらも、リラは迷いなく進んでいく。

 あの集中力は、俺には真似できない。

 ……本当に、すごい奴だ。


 子供の足跡は分かりにくかった。  

 だが、セタリの足跡はくっきりと地面を抉っていた。  

 よほど必死だったのだろう。


 俺たちは、セタリの残した地面の傷跡を追った。


 やがて辿り着いたのは、街外れ。  

 子供を下ろした形跡。  

 そこから、子供の足跡だけが街の光のほうへと続いていた。  


 途中で跡が途切れる。


 俺たちは手分けして探すことにした。  

 侍よりも先に、俺が見つける。  

 それが一番のカードになる。


(どう探す……建物が多すぎる、しらみつぶしにはできない。

 何か手掛かりは……)


 焦る俺の鼻孔を、どこからか漂ってきた魚の焼ける香ばしい匂いがくすぐる。


(腹減ったな……そうだ、俺と同じくらいの子供なら)


 飯の匂いのする場所に狙いを絞り、一軒一軒、覗き込む。


 数軒目――俺の鼻がとらえた香ばしい匂いの出所は、古びた宿の前。


 ――いた。


 指をくわえて、焼ける魚を凝視しているガキ。  

 絵に描いたような、腹を空かせた迷子だ。


「……やっと見つけた」


 俺が声をかけると、子供は不機嫌そうに振り返った。


「なんだ、お前。俺に何か用か?」


「一緒に来てください。あなたを探している人がいるんです」


「嫌だね。誰が行くもんか」


 俺は、無言でその場に膝をついた。  

 踏み固められた地面。  


 七歳の身体で、全力の土下座だ。


「来てもらわなきゃ困るんです。お願いします」


「ふん。そんな真似したって、嫌なものは嫌だ」


 傲慢な声。  

 だが、俺の狙いはもう定まっている。  

 顔を上げず、地面に向かってその「名前」を呼んだ。


「……お願いします。松前道広まつまえ みちひろ様」


 ピタリと。  


 周囲の空気が凍りついた。  


「……お前、なんでそれを」


 子供の声から、余裕が消えた。  

 俺は顔を上げ、冷徹な大人の瞳で、後の名君を見据えた。


「どうか、この通りです。仲間の命がかかっているんです。……お願いします」


 道広は、忌々しげに顔を歪めた。


「……わかった。ついていけばいいんだろ。

 その代わり、あとで話を聞かせろよ。……絶対、誰にもバレるはずがなかったのに」


 俺は内心で、小さくガッツポーズをした。    

 五分五分の賭け。  

 勝ったのは、俺だ。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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今日は21時にも投稿します。

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