第99話:藩主、授業参観に現る――勘太の真意
宝暦十四年(一七六四年) 晩秋 蝦夷地・松前
秋も深まり、朝の寒さが厳しくなってきたある日。
俺は、目の前に座る勘太が口にした策に、耳を疑った。
「……父上を、塾に呼び出すだと?」
「ええ、お願いします」
勘太は事もなげに言いながら、冷えた指先を温めるように茶碗を包み込んでいる。
一国の主である藩主を、庶民の子供たちが集まる塾へ引っ張り出す。
そんなことが許されるはずがない。
「本当にお前、正気で言っているのか?」
「大真面目ですよ。無理なら別の手を考えますけど、これが一番手っ取り早いんです。
俺も気乗りはしないんですけど、あまり時間もかけていられないので」
「手っ取り早いって、お前な……」
勘太の瞳はいつになく真剣で、それでいてどこか遠くを見ているような、不思議な静けさを湛えていた。 こいつの策は、いつも俺の想像もつかないような結果を出す。
今回も、きっとそうなのだろう。
「……分かった。父上に、聞くだけ聞いてみる。
前みたいに、また謹慎するはめになったら責任取れよ……」
自分が励んでいる姿を見に来てほしいと頼むだけだから「そんな暇はない」と一蹴されることはあっても
お怒りを買うことはないはず……だと思う。
しかし、過去の失敗が脳裏によぎり俺に勘太の策を実行することをためらわせた。
「ええ、お願いします。期待して待ってますから」
俺の気持ちも知らずに気楽に言ってくれる。
だが、自分でも少し期待してしまっていた。
父上が俺の様子を見に来てくれるかもしれない。
そう思うと無謀とも思えるこの策も悪くないと思えた。
「お前が言うから仕方なくお願いするのだ。
勘違いするなよ」
「はいはい。わかってます。わかってます。
なるはやでお願いしますね。
こちらもそのつもりで準備しますので」
「準備?」
その言葉が妙に引っかかった。
「お気になさらず。こちらで万事整えますから。
道広様は資広様を連れてきていただければそれで大丈夫です」
「そうか……失礼のないようにしっかり場を整えてくれよ」
「お任せください。
道広様のいいところを十全にご覧いただける案を考えておりますので」
勘太の妙な張り切りようが気になったが今は気にしないことにした。
どちらにせよ父上が承諾してくれなければ意味はないのだ。
ならば俺のやることは一つ。
父上の説得だ。
「では、行ってくる」
期待半分恐れ半分で挑んだ父上の説得だが、結果は実にあっさりしたものだった。
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父上への『授業参観』依頼は思いのほか簡単に承諾された。
あまりに簡単に承諾され、小躍りしたくなるのを抑えるのが大変だった。
元々、俺の様子を見に行きたいと考えていたそうで丁度いいからこの機にとなった。
そうして迎えた後日、塾へと足を運んだ父上は興味深げにあちこちを見回していた。
「ここが道広が作った塾か。なかなか趣のある所ではないか」
「父上、あまり目立たぬようお願いします」
「おお、わかっておる。はは、しかし面白いことを考えるものだな。『授業参観』とは」
俺は子供たちに混じって席につき、読み書きの授業を受けていた。
だが、背後から父上の視線を感じて、どうしても筆が進まない。
一画書くたびに「今の筆運びはどう見えただろうか」と気になり、つい背後の気配を探ってしまう。
「若、手が止まっておりますぞ。今は学びの時間です」
守屋が、ピシャリと言った。
「……わかっている」
「集中なされよ。殿がご覧です」
守屋の指摘に、周囲の子供たちがクスクスと笑い声を漏らす。
「道広様でも怒られるんだね」
「お父様が見てるから緊張してるんだよ」
子供たちの無邪気な囁きが聞こえ、教室が少しだけざわついた。
父上はそれを見て「ははは、相変わらず守屋には頭が上がらぬようだな」と楽しげに笑っていた。
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休憩時間になり、他の者たちが席を外したところで父上が声をかけてきた。
「それで、お前の懐刀の勘太とかいう小僧はどこだ?女子ばかりではないか」
少し落ち着いたところで、父上が俺のそばに歩み寄って囁いた。
「はっ、それが風邪をひいたとかで、今日は欠席しております」
「なんじゃ、せっかく顔を見てやろうと思うておったのに。つまらん」
父上はそう言って笑ったが、久しぶりに間近で見たその顔色は、化粧でも隠せないほど悪かった。
笑った後に、ふっと影が落ちるような表情の消え方。
視線が宙を泳ぎ、何か別の重い物事について考えているような、
心ここにあらぬ様子が気にかかった。
「そうか。まあ、大事な跡取りが励んでおる様子を見るのも親の務め。
今日はしっかり見させてもらうとしよう」
その後も授業は続いたが、父上は時折、深く沈み込むような溜息を吐いていた。
満足してくれているようにも見えたが、
それ以上に、何か大きな荷物を背負いすぎて疲れ切っているようだった。
――そんな印象を俺に抱かせたまま、父上は満足した様子で帰っていった。
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父上が帰った後、一人の女子が近寄ってきた。
六人目の女子生徒――というか、女装した勘太だった。
「それで、楽しかったか。女子のふりは」
「……意地悪な男子は嫌われますよ、道広様。め、です」
「……お前、やめろ。気持ち悪い。というか、楽しんでるだろ、絶対」
「はは、そんなわけないじゃないですか。冗談ですよ、冗談。からかっただけです」
勘太はそう言って、他の女子がするように両手を前で合わせ、首をかしげた。
……ちょっとかわいいから困る。
まったく、ふざけたやつだ。
「さて、お遊びはこの辺にして本題に入りますか。
その前に場所を移しましょう。ここは危険です。いろんな意味で」
「かりんちゃーん、どこー」
かりんという勘太の偽名を呼ぶ、お初の声が聞こえた。
「まずい、このままでは囲まれます。いったん道広様の部屋に逃げましょう」
「まったく呆れたやつだ。
お前はいっぺん、あいつらにもてあそばれて反省したほうがいいぞ」
ここぞとばかりにからかう。
いつもやられているから、今日ばかりは許されるだろう。
「ちょ、道広様、だめです。まじでやばいんです、やつら。
加減というものを知らないんだ。男としてのコンプライアンスが……」
「こんぷら? 何を言ってるかわからんが、少しぐらい相手をしてやれ。
今日だけなんだろ、その格好」
「当たり前じゃないですか。もうしませんよ、こんな格好」
「その割に楽しそうにしてた気がするんだが。よくわからん奴だな」
「あー、見つけた! かりんちゃん、いっしょにままごとするっていったでしょ。こっちにきて」
「お、お初……さん、わたし、ちょっと道広様とお話が……」
「構わんぞ、行ってこい『かりん』。俺は部屋で仕事をしながら待ってるからな。
お前はたっぷり遊んでくるといい」
「そ、そんな……」
「やった、ありがとうございます、道広様! 行こう、かりんちゃん」
勘太は、お初に引きずられるように連れ去られていった。
「勘太にも弱点はあったようですな」
守屋が、困惑を隠せない様子で、その背中を見送る。
「そうだな。だが自業自得というものだ。あんなふざけた格好までしおって」
「ですが、そこまでする必要があったということでは?」
「そうだな。いくら何でも悪ふざけでやることではない。
深い考えがあるのだろう……でなければ、一生あの格好をさせてやる」
「はは、それはいいですな」
守屋の、久しぶりに見る屈託のない笑いだった。
この笑顔が見れただけでも、十分な気がした。
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日が傾くころ、ようやくお初たちに解放されて、勘太が戻ってきた。
服装は常のものに戻っている。
「なんだ、もう『かりん』はやめたのか、勘太」
「道広様、無理を言って困らせたのはお詫びしますから、もう許してください。この通りです」
「ふふ、戯れはこのくらいにしておくか。
それで、授業参観とやらの目的は果たせたのか?」
勘太の表情が変わった。
「ええ。さすがに問診までは無理でしたけど、
他の人との会話や、授業を見る様子から、大体わかりました。
おそらく、気鬱です。
気分の浮き沈みが激しく、判断が極端になりやすい状態です。
疲労と栄養不足も重なって、かなり危険ですね。」
「その気鬱というのは何だ。大変な病なのか」
「すぐに命を失うものではないですが、放置はできないですね。
気分が沈み込み、ひどく落ち込むと、
普段ならせぬような判断をしてしまうこともあります」
「普段ならせぬような判断か……」
守屋が意味深につぶやく。何か心当たりがありそうだった。
「思い当たる節があるのか?」
「いえ、そういうわけではありませんが……。
以前、ご報告に上がった時に、急に上機嫌になられたり、
かと思えば急に沈み込まれることがあったので、気になりまして」
「資広様にお越しいただいたのは、ご体調の把握も理由の一つです」
勘太が説明を続ける。
「道広様も監査役を始められてお分かりかと思いますが、
書類仕事のように身体を動かさない仕事でも、決済というのは神経を削られ、疲れるものです。
それが藩主のように責任の重いものであれば、なおさらです。
そんなわけで、僭越ながら医師の真似事をさせていただいたというわけです」
「それで、その気鬱とやらは治せるのか」
「治すのは無理ですね。そもそも私は医者じゃありませんし、資広様が私の指示に従ってくれるわけもありませんので、私にできることはありません」
「なんだと、ふざけるな! お前は治せもしない病をでっちあげて、俺を不安にさせたかったのか」
「違います。資広様を診たのは、あなたのためです、道広様。
学校を作ったのも、商人をまとめ上げたのも、すべてはあなたのためです」
勘太はそう言って、わずかに視線を落とした。
その横顔は、ひどく疲れて見えた。
その瞳の奥にある感情を、俺は読み取ることができなかった。
「……勘太」
「少なくとも、移るようなご病気ではないことはわかりました。
資広様のご不調はお心苦しいことではありますが、俺にはどうもできません。
ただ、道広様には今後、資広様との直接の接触は、なるべく避けていただきたい」
「なぜだ。父上が苦しんでいるのなら、俺が支えなければ」
「それは悪手です。気鬱というのは気の病です。
思いもしない言動をとってしまう可能性が高い。特に、身近な者に対しては。
であれば、不必要に接触せず、見守るのが最良です」
「しかし、それでは父上が……」
「道広様、厳しいことを言うようですが、これは藩主の宿命です。
重い責務を負い、誰かに荷を肩代わりしてもらうこともできず、身体を痛め、気を患う。
それでも役目を果たさなければならない」
「そんな、それでは父上が、あまりに……あまりに不憫ではないか……」
あまりの物言いに、俺は膝から崩れ落ちた。
頬を伝った涙が、畳にあとを作る。
「しっかりしてください。あなたは松前藩の次期藩主なのですよ。あなたがそんな弱気でどうするんですか!」
勘太の叱責に、体が硬直した。
かつて港で怒鳴られたことが脳裏をよぎる。だが、あの時とは違う。
「そうだな……父上は苦しみながらも、己の責務を果たしておられる。
であれば、俺がすることは父上を哀れむことではない」
「その通りです。それに、すぐにどうこうなるような病ではありません。
道広様は来るべき日に備えて、今は力を蓄えることです」
「それでは、俺はこれで失礼しますね。着物を返しに行かないといけないので」
そう言って、勘太は下がっていった。
部屋には、俺と守屋が残された。
「父上のご病気のこと、どう思う」
「わかりません。ただ、勘太があのように考えているのは確かでしょう。
そして、資広様のご加減がよろしくないのも確かです」
「そうだな……。間近で見てわかったが、普段は化粧をされているのだな」
「はい、それでも隠しきれていないようですが」
普段は薄暗い部屋で、離れてお会いしていたので気が付かなかった。
手が触れるほどに近くで父上と話したのは、いつ以来だろう。
膝の上に乗せてもらい、頭をなでてもらっていたのは遠い昔だ。
もっと甘えておけばよかったと、悔やまれた。
まだ亡くなったわけでも、亡くなるとわかったわけでもないのに、
なぜか心にぽっかりと穴が開いたような気持ちになった。
今日の授業参観も、いつかこんな風に思い出すことになるのだろうか。
ふと、去り際の勘太の、どこか寂しげな背中が脳裏をよぎった。
まるで、何かを覚悟しているような背中だった。
あいつは、こうなることが分かっていて……。
「……いや、考えすぎだな。あいつに限って、そんな殊勝な真似をするはずがない」
俺の沈んだ気持ちを察したのか、守屋が話題を変えてきた。
「そういえば、他の理由については話していきませんでしたな」
「他の理由?」
「ええ。資広様にお越しいただいた理由です。
ご体調の把握はその一つだと言っておりました。ならば、他にもあったはずですが」
「ただ含みを持たせただけではないのか?
勘太が意味ありげな言い方をするのは、今に始まったことではあるまい」
口ではそういいながらも俺は疑っていた。
あいつの不器用な配慮を。
わざと女装などというふざけた真似をして誤魔化しているように思えた。
「そうですな。清二風にいうなら『何かあった時に聞けばいい』ですな」
「そういうことだ。今は考えても仕方あるまい。
そんなことよりも仕事だ、仕事。
父上をお助けするためにも、成果を出さんとな」
そう、勘太の思いにこたえるためにも。
俺に立ち止まっている暇はない。
「ご立派ですぞ、若」
「若、言うな」
今は自分の役目を全うしよう。
父上を思い、気落ちしそうになる心を奮い起こす。
俺は机の上に積まれた書類に、再び立ち向かうのだった。
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