第100話:無病息災――また会う日まで
宝暦十四年(一七六四年) 晩秋 蝦夷地・松前
授業参観の翌日。
勘太が消えた。
俺がそのことに気づいたのは勘太が消えてから数日たってからだった。
きっかけは、何気なくのぞいた勘太の部屋だった。
そこにある文机を見た瞬間、異変に気づいた。
まるでもう誰も使う者がいないかのように整えられていた。
常ではありえない光景だった。
いつ訪れても帳簿や書きつけが積み上がっており筆も乾く暇がないほどだった。
それが今は紙片の一つも置かれていない。
まるで最初から誰もいなかったかのようだった。
(何があったのだ。どこへ行った? いつからいなくなっていた?
最後にあいつの姿を見たのは……授業参観の日か)
思えばここのところ俺は学校や監査の仕事に追われて勘太と共に食事をする機会も減っていた。
あいつはあいつで若松屋で寝泊まりすることもあったため気づくのが遅れたのだ。
異変に気付いた俺はすぐに若松屋に向かった。
若松屋に泊まり込みで仕事をしているだけかもしれない。
そんな淡い期待を抱えていた。
清二から帰ってきた答えは、そんな俺の期待を裏切るものだった。
「勘太がいないだと!
どういうことだ。行き先は聞いていないのか?」
「ちょ、道広様、落ち着いてください。お客様の前です」
清二がなだめようとするが、俺の勢いは止まらない。
「うるさい、これが落ち着いていられるか!勘太がいなくなったんだぞ。
これからどうするというんだ」
「道広様。とりあえず、奥でお話ししましょう。
お前たち、店の方は頼む。お客様にお詫びしておいてくれ」
俺の剣幕に、店の客たちがざわついていたが、そんなことは気にしていられなかった。
勘太がいなくなった。
何も言わずに。
(これからどうする?いつ戻ってくるんだ?そもそも戻ってくるのか?)
疑問がぐるぐると頭を巡る。
学校のこと、仕事のこと、藩のこと――その先のこと。
どれも勘太抜きで回るとは思えなかった。
(なぜ、今なんだ。ただでさえ、父上の体調が芳しくないとわかったところなのに……)
授業参観の後、あいつとかわした言葉。
そして、去り際の寂しげな背中を思い出す。
あいつらしくないほど静かな背中だった。
別れを惜しんでいたのだとすれば腑に落ちた。
(あのふざけた格好も別れの寂しさをごまかすためか。
それとも去ることを気取らせぬためか)
どちらもあり得ると思った。
「道広様。さ、まいりましょう」
立ち尽くし思考の海に溺れていた俺を清二の声が現実に引き戻す。
「ああ……聞かせてもらうぞ」
確かめねばならない。
勘太の真意を。
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奥の部屋に入った俺は不機嫌さを繕うことすら面倒で清二に問いただした。
「で、あいつはどこにいった?いつ戻ってくるんだ」
清二は俺の反応を予想していたかのようにおびえることもなく淡々と答えた。
「どこにいったかはわかりません。
いつ戻るかも聞いておりません」
「なんだと!?」
思わず体が動き清二につかみかかる。
清二の体がぐらりと揺れる。
「どういうことなんだ、何か聞いてるんだろ!
隠し事をする気か!」
「落ち着いて下さい。
知ってることはすべてお話しします。
そのように取り乱されては口も開けません」
清二の落ち着き払った態度が勘太を見ているようで余計に苛立った。
だがこのまま怒鳴り続けても答えは得られない。
俺は清二を離すと腰を落とす。
「……なら話せ。
洗いざらい全部だ」
「承知いたしました。」
清二は乱れた襟元をなおすと俺に向き直り話し始めた。
「先ほどもお伝えしましたが
どこにいったかはわかりません。
いつ戻るかも――
しばらく顔を出せなくなると言ってました。
ただ、勘太さんからは今まで通り動いてくれれば問題ない、そう聞いてます」
「今まで通り動いてくれれば問題ないだと。
商家連合はどうするんだ?あいつがいなくて回るのか。
今までだって目が回るほど忙しそうにしてたじゃないか」
「道広様のおっしゃる通り、ここのところは息をつく暇もないほどの忙しさでした。
ですが、そのおかげでようやく形が整ってきたところなんです。
僭越ながら今後は私が連合の代表を務める形になっておりますので
そちらについては問題ないかと思います」
「な、いつの間に……」
「少し前からですかね。
勘太さんは裏方に回られて今後の段取りなどを書きつけとして取りまとめてくださったので
それがあれば私でも十分に役目は果たせます」
知らなかった。
顔を合わせれば忙しい忙しいと口にはしていたが、その中身まで聞こうとは思わなかった。
聞いたところでわからないし、必要なことは伝えてくるだろうと思い込んでいた。
あいつはいつも肝心なことは教えてくれない。
自分を軽んじているのだと思っていた。
それでもいいとさえ思っていた。
だが、本当に軽んじていたのは俺の方ではないのか。
ただの便利な道具のように扱っていなかったか。
必要な時だけ頼ればいいと。
「若。学校の方についても問題はありません」
それまで黙っていた守屋が口を開いた。
「勘太が行方をくらます話は聞いておりませなんだが学校の運営に関しては
教育要領を預かっておりますので基本的には今まで通りかと。
ただ、生徒の数を増やすにあたり必要な対応などは我らで考えねばなりますまい」
「現状維持だけなら問題ないということか」
「は。ですがあえていうならそれぐらいのことは勘太に頼らず自分たちでやるべきかと。
いくら何でも万事を差配されなくては何もできないのは問題です」
守屋の言葉に目からうろこが落ちた。
そうだ。
俺はこれまで何をやって来た。
ただ勘太の言うままに割り当てられた仕事をこなしていただけだ。
学校に通い、商家の取引の監査をし、自分なりに励んでいたつもりだった。
だが、それが次期藩主の仕事か?
学校の勉強はともかく本来は俺が誰かに差配してやらせなくてはいけない仕事ではないのか。
無論、内容をろくに知らなくては差配などできないのだから自分でやってみるのは大事だろう。
しかし、把握したなら次はそれを誰かに任せていかなくてはならない。
そうでなければ増え続ける仕事に押しつぶされ、やがて病んでしまう。
そう、父上のように。
「俺は引き続き監査の仕事を続けておればいいのか?」
「はい、これまで通り書付をお届けしますのでそちらを処理していただければ大丈夫です」
「そうか。わかった」
すべて整えていたというわけか。
すべての差配が整い、ここでやることがなくなったから去ったというわけか。
もしくはこれから起こるだろう東西の商家連合に対抗するため動き出したというところか。
「勝手な奴だ……俺に一言もなしとは」
「若……」
せめて相談してくれてもよかっただろう。
すべて事情を話せとまでは言わない。
最後に別れの一言があってもいいはずだ。
そのくらいの付き合いはしてきたつもりだった。
「あの、一応、預かっているものがあります。
これなんですけど……」
そういって清二はいつかのおみくじを渡してきた。
開いてみるとそこには『無病息災』と書かれていた。
あまりのそっけなさにくしゃりと握りつぶす。
(文でさえないのか……何が無病息災だ、馬鹿者め)
頬をつたい落ちた涙が畳に跡を残す。
「面と向かって別れを言い出すのが照れ臭かったのではないですかな」
「あいつがそんな殊勝なものか」
「そうとでも考えねばおかしいでしょう。一言もなしに姿を消すなど」
「……そうかもな」
別れを言い出しづらいからおみくじ一枚残して行方をくらますとか。
子供か。
(……そういえば、子供だったな)
「泣いていても仕方ない。奴が戻ってきたら驚かせてやろう。
守屋、藩士で冷や飯を食わされてる奴らを集めろ。
学校を拡張する。生徒もだが、先生が必要だ。
清二は商家連合の連中に、俺が生徒を募集していると話を流してくれ。
さあ、忙しくなるぞ」
「その意気です。若」
「若、言うな」
本当にあいつが戻るかはわからない。
だが、不思議と、遠くない未来にまた会える気がしていた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
三章で一区切りとなります。
ちょっと思っていた以上に走り続けてしまったので、しばらく充電期間をいただきます。
勘太はいなくなりましたが、物語はまだ終わりではありません。
むしろここから先が本番……になる予定です。
再開まで少し時間をいただきますが、気長にお待ちいただけると幸いです。




