閑話:闇夜に揺れる守屋
宝暦十四年(一七六四年) 晩秋 蝦夷地・松前
丑三つ時。
雲に隠れ、星明かりはない。
闇が、すべてを呑み込んでいた。
昼間は子供たちの声が響くこの屋敷も、今日この時は、静まり返っていた。
今夜ここにいるのは、私と勘太だけだ。
道広様をわが家に招き、人払いは済ませた。
勘太は、私が屋敷に戻っていることを知らない。
念のため、気配を殺して進む。
資広様の密命を受けて、私は今日、勘太を始末する。
あの子供の影響力は異常だ。
これ以上、放置することはできない。今日、ここで決着をつけるしかない。
逃げ道など、最初からなかった。
心を決め、膝をつき、障子に手をかける。
――布団は、空だった。
一瞬、思考が止まる。
「こんな時間に何の用ですか? 守屋さん」
勘太の声が、後ろからかかった。
「……どうして、こんな時間に起きている」
動揺して、どうでもいいことを聞いてしまう。
「それ、本気で聞いてますか?
というか、お互い様だと思いますけど。
……待ってたんですよ、守屋さんが来るのを」
待っていた? あり得ない。
どうやって後ろに回った? いつからだ。
部屋で寝てたはずじゃないのか? 何でばれたんだ。
次々に沸いて出る疑問の奔流で、思考がぐちゃぐちゃだった。
「なぜ……」
それだけ口に出すのが精いっぱいだった。
「なぜって、守屋さんとお話をするためですよ。二人きりでね」
「すべて……お見通しというわけか」
若もこんな気持ちだったのだろうか。
まるで釈迦の手のひらで飛び回る孫悟空になった気分だ。
「さあ、どうでしょう。どこまであってるかはわかりませんけど、大体はあってると思いますよ。
藩にとって好ましくない動きを見せた俺を始末しに来た、というところですかね。
――俺の次は、道広様も始末するつもりですか? 資広の命で」
「見てきたように言うのだな」
読まれている。
いや、それよりも資広様を呼び捨てた?
やはり藩に叛意を持っている。私の判断は正しかった。
しかし、道広様には敬称をつけている。どういうことだ。
「少し考えれば誰でもわかりますよ、この程度」
勘太は造作もないとばかりに、手をひらひらさせる。
「はあ」
わざとらしくため息をつく。こちらを苛立たせたいのか。
「まったく、権力者というのは考えが浅い。
いや、疲労で頭が回っていない可能性もあるか。
どちらにしろ面倒この上ないですね」
「それで、どうするつもりだ。人を呼ぶか? 大人しく切られるか?」
「どちらもごめんですね。そのために人払いをしているというのに」
「ではどうする。言っておくが、私にお前の口八丁は通用せんぞ。
私の忠誠は言葉では揺るがない」
「では試してみましょうか?」
「やってみろ」
「あと一年で、資広は死にます」
「な……」
こいつ、今何を言った。
資広様が亡くなる? あと一年?
いや、時期などどうでもいい。こんな不敬は許してはいけない。
腰の刀に手を伸ばす。
「正確な時期はわかりませんけど、だいたい一年です。
あなたも資広の不調には気づいているでしょう?
長く見ても、二年はないです」
伸ばした手が止まる。……どんなに長くても二年だと。
こいつは、とんでもない詐欺師だ。
「でたらめを言うな。命惜しさに私をたばかるつもりか。
それに、資広様が一年でお亡くなりになるからなんだというんだ」
「わかりませんか? 資広があと一年で死ぬというのに、俺や、ましてや道広様を殺してどうするんです?
藩を潰すつもりですか?」
「そ、そんなわけが」
「そうなるんですよ。それとも他に有力な候補がいますか? いませんよね?
いるなら簡単に謹慎を解いたりはしないはずだ」
「それは……だが、お前の言う資広様がお亡くなりになるという話の根拠はどこにある?
お目にかかったことすらないだろうが」
「根拠を言いだすってことは、どうやら思い当たる節がありそうですね。それもまた根拠の一つです」
勘太は淡々と告げる。
「根拠は、道広様から聞いた資広の様子です。
働きぶりに食生活、対面した際の顔色なんかですね。
どう考えても過労を誤魔化しながら働き続けている。
そして、最近の政策を見れば、まともに頭が働いていないのは明白だ。
一年もてばいい方ですよ」
「たったそれだけか? そんなもので納得するとでも」
「根拠なんてどうでもいいんですよ。俺がそう思っているという話です。
だいたい、どんな筋の通った話をしたところで、言葉であなたの信念は揺るがないのでしょう?」
「その通りだ」
「それで、どうしますか。一年後に資広が死ぬとしても、命令に従い藩を潰しますか?」
「それは……」
「だいたい、都合が悪いからといって簡単に人を殺すのはよくないですよ。取り返しがつかなすぎます。
冤罪だったらどうするんですか? 腹を切っても人は生き返りませんよ」
「……だが、主命は絶対だ」
そう言いながらも、声が震えた。
「あなたの主は誰ですか? 資広ですか? それとも松前藩の藩主ですか?
あと一年で亡くなる今の藩主の命令で、この先何十年も藩を栄えさせる未来の藩主を殺すのですか?」
駄目だ。言葉で揺るがないと言っておきながら、揺さぶられている。
だが、考えずにはいられない。
資広様のご体調が芳しくないのは事実だ。
病という噂は聞かないが、そもそも藩主というのは激務なのだ。
一年はともかく、数年後はわからない。
そんな状況で、他に候補もいない中で最有力候補の道広様を殺す?
いくら資広様の命でもやりすぎではないか。
殺した後、どうなる? それで問題は解決するのか?
そもそも問題は何だ?
「仮に俺や道広様が死んでも、計画は止まりませんよ。
商人たちは俺が教えた理を知ってしまいましたからね。
あとは勝手に進めることでしょう」
「すでに手遅れということか」
「時間稼ぎにはなるんじゃないですかね。
多少は混乱するでしょう。
でも、それで元の通りにはなりません。
調整役がいなくなれば、各々が好きなように動き出して、余計に収拾がつかなくなるのでは?」
「自分の命がかかっているというのに、ずいぶんと楽観的なのだな」
「命がけなんて今に始まったことじゃありませんよ。
宗谷では一冬越えるのも命がけです。
それに、自分の何倍もある熊の突進をぎりぎりで躱すことに比べれば、
たいていのことは何でもありません」
宗谷の冬の厳しさは聞いている。
体の弱い子供が何人も冬を越せずに死ぬ。
大人でも蓄えが少なければ持たないと。
だが、熊だと。
冗談のつもりか。
本当なら生きているのが不思議なぐらいだ。
「どういう子供なんだ、お前は」
意味の分からない例えに、毒気を抜かれてしまった。
「人より少しだけ人生経験が豊富なだけですよ、少しだけね」
少しだけ、か。こいつの少しと私の少しは、大きく違うらしい。
「私の負けだ。好きにしろ。ただ、奥は関係ない、見逃してくれ」
結局、言葉で揺さぶられてしまった。
最初から耳を貸すべきではなかった。
他の者がさんざん言いくるめられるのを見てきたというのに。
まんまとしてやられてしまった。
「潔いですね。まさに武士の鑑だ。では、俺の共犯者になってください。それで今まで通りです」
「道広様に言わないのか」
「言いませんよ。言ったって信じてもらえませんから。
あ、俺が『資広様がお亡くなりになる』って言ったのは忘れて下さい。ただのはったりですから」
「は、はったりだと……! 何という不敬な。――いや、そうだな。忘れるとしよう。
そんなはったりに騙されてあっさり懐柔されるなど、死んでも死に切れん大恥だ」
「はは、そうですよ。誰にも言わないほうがいいです。誰にもね」
自分の選択が間違っていたとは思えない。
だが一つだけ間違えたといえるのは、こいつに口を開かせたことだった。
言葉では揺るがない――そのはずだったのに。
勘太の言葉に、未来を想像してしまった。
勘太を殺し、道広様を手にかけ、そして――資広様も亡くなる。
お家は取り潰しになり、藩は解体される。
そんな最悪の未来が頭をよぎった。
……無理だ。
――その未来だけは選べなかった。
いつの間にか雲は晴れ、空には三日月が浮かんでいた。
まるで私の無様を笑っているように見えた。
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