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蝦夷転生コンサル、松前藩の支配構造を現代知識で塗り替える――まずは実家の隙間風を何とかする  作者: 一月三日 五郎
第三章 松前編

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第92話:松前塾の日常――静かな競争のはじまり

 宝暦十四年(一七六四年) 初夏 蝦夷地・松前


 俺の『松前塾』での生活が、ついに始まってしまった。


 自分が寝泊まりしている屋敷が、そのまま塾の学び舎へと作り替えられたのだから、

 なんとも奇妙な心地だ。

 

 これまで静まり返っていたボロ屋敷に朝から幼い足音と高い声が響き渡る。


 人を招くという経験自体初めてだったので戸惑うばかりだ。


 目の前には、七つから十歳ほどの娘が五人。

 

 その中に、九歳とはいえ、男の俺が一人、膝を突き合わせて混じっている。

 

(……落ち着かん。どうにも、収まりが悪い)


 次期藩主として、このような市井の子らと肩を並べて学ぶなど、

 これまでの人生で一度も想像したことすらなかった。


「では、始めます」


 守屋が静かに声を落とし、教壇代わりの文机の前に座った。

 

 机の代わりに並べられた長い板の上には、手本の紙が配られている。

 そこには、あえて崩した親しみやすい文字で一文が記されていた。

 

 守屋はそれを指でなぞりながら、ゆっくりと読み上げた。

 

「――早起きは三文の得」


 子どもたちが、声を揃えて小さく復唱する。

 

「はやおきは、さんもんの、とく……」


 揃わぬ高い声が、繰り返すうちに不思議な一定のリズムを作っていく。

 

 それを聞きながら、俺も筆を取った。

 

(……あいつ、子供たちに何を教えているんだ。いや、悪くはないのか? これは……)


 これまでの俺にとって学問とは、四書五経の如き難解な経典を与えられ、

 無理やり覚えさせられるものだった。

 

 城の中で、決められた文字をただなぞるだけの、味気ない苦行。

 

 だが、今ここにあるのは違う。

 声に出し、書き、また声に出す。

 身体に妙な感覚で残る。

 

 そして、やけに現金な内容だ。

 明らかに、教育の要領を考えたあいつ――勘太の思想が透けて見える。


「若」


 隣から、守屋の鋭い声が飛んだ。

 

「手が止まっておりますぞ。集中なされませ」


「……分かっている」


 慌てて筆を走らせるが、どうにも思うようにいかない。

 

 紙の上で墨がわずかに滲み、文字の形が崩れる。


(くだらん、こんな子供の遊びのような真似を……)


 そう思いかけて、ふと背後に冷ややかな視線を感じた。

 

 勘太だ。

 

 部屋の隅で腕を組み、ただ無言でこちらを見ている。

 その瞳には「お前の実力はその程度か」という無言の問いが含まれているようで、

 俺は思わず背筋を伸ばした。

 

 だが、勘太は何も言わずにふいと姿を消した。


 俺とて、こんな退屈な授業など抜け出したかった。

 

 だが、自分よりも幼い娘たちが額に汗して筆を握っているのを見せられては、

 無様に席を立つわけにもいかない。

 

「お上手ですね、道広様」


 不意に、隣に座っていた年長の女子が小声で褒めてきた。

 

「ふ、ふん。これほど、当然だ」


 そっけなく返したが、正直、これまでの側仕えの称賛とは違う、くすぐったいような気分だった。

 これはこれで、悪くないと思った。


---


 座学が終わると、俺は外に出て守屋と武芸の鍛錬に移る。

 

 女子たちはその間、守屋の細君さいくんから行儀作法の授業を受けている。

 

 ずっと狭い部屋に座り込んでいたので、身体を動かすのは純粋に気持ちがよかった。

 屋敷の周りを三周ほど駆け足で回ったあとは、勘太の考案だという『準備運動』を行う。

 

 腕を伸ばしたり、腰を深く曲げたりして、予め身体を温めておくのだという。

 

「これを始めてからというもの、どういうわけか身体の切れが良くなりましてな」


 守屋がそう言うのだから、効果はあるのだろう。

 

 その後は、初夏の日差しに照らされながら、素振りや弓の型を一刻ほど繰り返した。

 身体中を汗が伝い、息が上がる。


 井戸水で火照った身体を拭い、中に戻ると、昼食が用意されていた。

 身分の隔てなく、皆で一つの卓を囲んで同じ飯を食う。

 身体を酷使した後の飯は、どんな飯より美味かった。

 

 そして、昼食の後は『遊戯』の時間だ。

 

 種目は――かるた。

 

「早起きは三文の得!」


 守屋が読み札を上げると、女子たちが必死に身を乗り出し、板の上に並べられた札を探す。

 当然のように、かるたの内容も勘太の監修によるものだった。


(やることが徹底している……)


 遊びの中にまで、学問とあいつの理屈をねじ込んでいるのだ。


「はい、あった!」


「正解だ。よく見つけたな」


 年少の女子が、札を掲げて無邪気に笑う。

 周りの年上の娘たちは「次は負けない」と悔しそうだ。

 

「若、どうされました。まだ一枚も取れておられませんぞ?」


 守屋に指摘され、俺ははっとした。

 考え事をしていて、完全に出遅れていた。

 

「……少し、戦略を練っていただけだ。次は取る」


「それならよろしいが、これも『成績せいせき』に反映されますからな。考え事はほどほどになされよ」


「む、分かっておる」


 そう、この松前塾では、すべての授業で指導者による『評価』が下されるのだ。

 そして、その評価は他者と比べる相対ではなく、

 己が何ができて何ができなかったかを見る『絶対評価』だという。

 

 できなかったことができるようになれば高く評価されるが、手を抜く者は厳しく査定される。

 

 遊戯とて、手を抜くことは許されない。

 

 何より恐ろしいのは、この評価がそのまま『親元』――俺の場合は勘太に届くことだ。

 つまり、逃げ場がないということだ。

 

 さらに、生徒同士の間では成績が自然と共有されていく。

 

 年少の者はまだいい。

 まだ小さいからという言い訳が効くし、歳のわりにということで称賛されやすい。


 年長の者にとっては違う。

 皆ができているのに自分だけができていないことに対する焦り。

 自分より年下の者ができていることができない屈辱。

 相手が同じ歳の者であればなおさら負けることはできなかった。


 この仕組みを考えたやつは、実に意地が悪い。

 指導者が「お前は劣っている」と言う必要すらない。

 生徒同士が勝手に比べ合い、勝手に焦り、勝手に励むようにできている。

 

 俺にしても、女子たちに成績で負けていようと、守屋も勘太も表立って何かを言うことはない。

 女子たちだって、面と向かって俺を嘲笑うことはないだろう。

 

 だが、確実に内心では「道広様はあんなものか」と思われるに違いない。

 

 それだけは、耐え難かった。

 

 次期藩主という誇りだけでなく、一人の男としての尊厳がかかっている。

 

 年下の、しかも女子に負けたとあっては、羞恥でどうにかなってしまいそうだった。

 

 だから、俺は仕組まれた競争だと分かっていても、全力で乗らざるを得なかった。


一銭いっせんを笑う者は、一銭に泣く!」


 守屋の声に全神経を集中し、視線を走らせる。

 

「――これだっ!」


 誰よりも早く、目当ての札を畳に叩きつけるように弾いた。

 

「……正解です。お見事」


「よし!」


 パチパチパチ、と女子たちが拍手をしてくれる。

 

「道広様、すごい!」


「さすがは道広様です」


 ほほえまし気な、どこか兄を敬うような視線。

 いい歳をした男が、子供を相手に必死になって何をしているのかという思いは、確かにある。

 だが、負けるわけにはいかなかった。

 その後も死に物狂いで食らいついた俺は、序盤の不振を取り返し、辛うじて一位の座をもぎ取った。


「若……少々、大人気ないのでは?」


 片付けをしながら、守屋が呆れたように耳打ちしてくる。

 

「うるさい。あの仕組みを考えたやつに言え」


 守屋の苦言など、羞恥心を上書きした達成感の前では耳に入らない。

 

「道広様、さすがです」


「ふ、それほどでもない」


「道広様、かっこいい!」


 憧憬の眼差し。

 ……これはこれで、いいものだ。


「若……」


 守屋の渋い表情も、今は気にならなかった。

 この奇妙な『塾生活』も、案外、悪くないと思えていたのだ。


「みんな筋がいいですね。その調子ですよ。

 女子のさしすせそを忘れずにね。」


「はい、先生、さすがです」

「知りませんでした」

「すごい」

「正解です」

「そうなんですね」


 守屋の細君の言葉に女子たちが元気に答えていたが

 どういう意味か俺に分からなかった。

 

 女子には女子の教育要領があると勘太が何やら渡していたがそれのことだろうか。

 男子禁制と言われて見せてもらえなかったが。


 かつては静まり返っていた屋敷にかしましい声が響く。


 不思議と、それを煩わしいとは思わなかった。


---


 夕食の支度が始まる前、日が傾き切るより先に、塾の時間は終わる。

 その日の総括を終えると、女子たちは連れ立って帰っていく。


「先生、道広様、さようなら」


「はい、さようなら。気をつけて帰るのですよ」

「ああ、さらばだ」


 賑やかさが潮が引くように消え失せた屋敷は、

 同じ場所でありながら、どこか別の空間のように感じられた。  

 

 片付けられ、広々とした板間。

 

 少し前までは、この静寂こそが当然だったはずなのに。

 今は妙に寂しく感じた。


「若、このあとはどうされますか?」  


 守屋の問いに、俺は言葉に詰まった。

 

「……そうだな」  


 昼間は、あれほどこの場を抜け出して自由になりたいと願っていたのに。

 不自由なときは自由を渇望し、いざ自由を許されれば、何をすればいいか分からなくなる。

 なんとも不思議なものだ。


「将棋でも指すか」


「いいですな、お相手いたしましょう」


「頼む」


 将棋盤を引っ張り出し、駒を並べる。

 

 守屋と向かい合い、パチリ、パチリと駒を進めていく。

 

「お茶が入りました」  


 守屋の細君さいくんが淹れてくれた茶の、渋みのある香りが立ち昇る。

 

「うむ、ご苦労」  


 一口すすり、盤面を眺める。


 王将は、俺だ。  

 守屋は、さしずめ側を離れぬ『きん』といったところか。  

 では、勘太は何だろう。  

 

 身分を考えれば、最前線に置かれた『』が妥当だ。

 そして、一歩ずつ確実に、前に、前にと突き進んでいく役割は、

 まさに成り上がりを目論むあいつにぴったりに思えた。


 パチリ、と俺は『歩』を進めた。  

 

 歩は、時に囮になり、時に敵の陣形を崩す決め手となる。

 成れば金と同じ力を持ち、戦場を支配することすらある。  

 

 では、王将はどうだ。  

 

 自分の王将は、一度も動いていない。

 盤の奥底で、他の駒に守られ、ただ居座っているだけだ。


「王手。若、考え事をしながら勝てるほど、この守屋は甘くありませんぞ」


「……分かっておる」  


 慌てて王将を逃がし、王手を避ける。

 だが、守屋の手は止まらない。

 

王手歩成おうてふなり。詰み、ですな」


「待て待て、今のはなしだ! もう一度やり直させろ」


「若、待ったは一回までですぞ。本物の戦場なら、今の一手で討ち死にです」


 守屋の言葉が重く響く。  

 歩であっても、果敢に攻め込み、機を逃さなければ王を討ち取ることができる。

 

 だが、王が闇雲に前に出たところで、支えがなければあっという間に囲まれて終わりだ。  

 王などと威張っていても、今の俺は、盤の上で守られているだけの、何の役にも立たない駒ではないか。


「……不甲斐ないな」


「若?」  


 駒に自分を重ねて意気消沈するなど、ますます情けなかった。  

 勘太は、自らの手で駒をそろえ、陣形を組み、松前という巨大な盤面に挑もうとしている。

 それに引き換え、俺はどうだ。

 ただ座っているだけで、家臣にさえ勝てない。


「一つ二つ、駒を落としてやりましょうか?」  


 守屋の気遣いに、悔しさではなく、思いやりを感じた。

 

「そうだな。今の俺では、まだお前には及ばぬ」


「よいご判断です。では、次は手加減なしに参りますぞ」


 身分という仮面を剥ぎ取れば、俺はまだ、歩の一枚にさえ劣る未熟者だ。  

 今は、自分にできることを一つずつ積み上げていくしかない。  

 まずは、飛車角落ち(ひしゃかくおち)の守屋に。  

 この盤面の上で、俺自身の力で、勝たねばならない。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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― 新着の感想 ―
毎日楽しみに読んでいます。 歴史ジャンルは織田戦国ものが多いので違う切り口のこういう作品は面白いです。 女の子たちは実地で男の操縦法を学んでいるというオチですね。 そして少女たちの掌の上でコロコロさ…
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