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蝦夷転生コンサル、松前藩の支配構造を現代知識で塗り替える――まずは実家の隙間風を何とかする  作者: 一月三日 五郎
第三章 松前編

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第93話:続く日常、染み込む理

 宝暦十四年(一七六四年) 仲夏 蝦夷地・松前


 俺の「松前塾」での生活が始まってしばらく経った、ある夜のこと。

 

 手入れの行き届いた屋敷の奥で、俺は勘太と向かい合い、

 夕食を摂りながらその日の出来事を話していた。


「どうですか、学校は」


 勘太が、漬物を噛み砕くポリポリという音に混じって問いかけてきた。


「……悪くない。一人で城の文机に向かっているよりも、不思議と集中できる気がする」


「それはよかった。他の生徒たちの様子はどうですか」


「ああ。みな、お前の用意した『教育要領』の通り、熱心に励んでおる」


「そうですか。何か問題はありませんか? 

 誰かが喧嘩をしたり、退屈そうにしていたり……あるいは、もう帰りたそうな顔をしているとか」


 勘太の言葉に、俺は箸を止めてどきりとした。


「……そのようなことはない。みな、大人しく、楽しそうにしておるが」


「そうですか。まあ、始まって間もないですからね。本当の問題が出てくるのは、もう少し先でしょう」


 勘太がさらりと不穏なことを言う。


「……まるでお前は、問題が起こるのを待ち望んでいるようだな」


「待ち望んでいるというと語弊がありますが。

 いつ、どのようなバグ――いえ、綻びが出るかを観察しているんですよ。

 何かしら必ず起こるはずですから」

 

「起こるのは確定なのか?」


「はい。間違いなく」


 勘太は淀みなく言い切った。


「前例のない組織運営ですから、予想を立てるよりも『起きた現象』を分析する方が早い。

 ですから、道広様には『生徒の視点』から見える違和感をうかがっているのです。

 

 守屋様たち教師側からの報告だけでは、現場の歪みは見えませんから」

 

「……茶屋で握り飯を売り始めた時と同じか」


「そうです。その意味でも、今の五名という規模はちょうどいい。

 何十人も集まっていたら、一人ひとりの変化に目が行き届かず、大失敗するところでした」

 

「やはり小さく始めて、様子を見てから拡大するのか」


「ええ。屋敷の広さや守屋様達の負担を考えれば、増やせてもあと五名が限界でしょう。

 まずはこの十名に、俺の『理』を徹底的に叩き込む」


 俺は、そこまで思い至らなかった。

 新しい環境に適応することに精一杯だった自分に対し、

 この怪物はすでに組織の「定員」と「拡張性」を数字で計っていたのだ。


「あまり気負わずに、今は学校生活をお楽しみください。

 道広様が慣れてこられた頃には、また別のお役目をお願いすることになるでしょうから」

 

「……別の役目、か。わかった。今は学び舎の空気を吸っておくことにしよう」


 ――そう約束した通り、俺の平穏な「生徒」としての日常は続いた。


---


 ある日の午後。

 

 軒先に下げられた風鈴が、乾いた音を立てて夏の熱気をかき消そうとしていた。

 

 自習の時間になり、守屋たちが席を外して生徒たちだけになった時だ。

 

 市井の子らの生の声を聞くいい機会だと思い、俺は隣に座っていた年長の女子に話しかけた。


「なあ、お前。ここの生活はどうだ。慣れたか?」


 俺が声をかけると、彼女――確か、呉服屋の娘のお初だったか――は、

 一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに年相応の柔らかな笑みを浮かべた。


「はい、道広様。以前に通っていた寺子屋は、

 難しい書物を書き写すばかりで眠くなってしまうようなところでしたけれど……。

 こちらは興味深いお話が多くて、なんだか学んでいるという気がいたしません」


「ほお、そんなに違うか」


「ええ。守屋先生の奥方が昨日お話ししてくださった『布の分け方』の問題とか、すごく面白くて」


「布の分け方?」


 俺は眉をひそめた。

 ただの裁縫の話ではあるまい。

 お初は楽しげに、膝の上のくうに指で四角形を描いた。


「はい。守屋先生の奥方が昨日お話ししてくださった問題です。

 『二人の女が一反の布を掴んで、言い争っている。

 一人は「これは全部(一〇割)私のものだ」と言い、

 もう一人は「半分(五割)は私のものだ」と言い張って譲らない。

 二人を納得させて分けるにはどうすればいいか?』……道広様なら、どうなさいますか?」


「……一〇割と、五割か」


 俺は腕を組み、即座に答えた。


「一人が『全部』と言い、もう一人が『半分』と言っているのだ。

 足せば一五割、一反では足りぬ。

 ならば、まずは二人の言い分の比率で分けるか……。

 一〇対五、つまり二対一の比率で切り分けるのが、算術としては正しかろう」


 俺の答えを聞いて、お初は少しだけ残念そうに首を振った。


「それでは、半分(五割)だけを主張した正直者が損をしてしまいます。

 奥方の教えはこうです。『まず、二人が争っていない部分を先に渡してしまえ』」


「争っていない部分だと?」


「はい。よく考えてみてください、道広様。

 一人が『半分は私のだ』と言ったということは、

 残りの半分(五割)については『自分のものではない』と認めていることになりますよね?」


 俺はハッとして、膝を打った。


「……そうか。ならば、その『誰も争っていない半分』は、自動的に全部を主張している女のものになる」


「そうです! まず、誰も文句を言わない五割分を、

 全部を欲しがっている女にあげます。

 すると、残ったのは『残りの半分(五割)』だけです」


 お初は、得意げに指を一本立てた。


「この残りの半分は、二人とも『私のだ』と言って譲りません。

 これこそが、二人が本当に奪い合っている『争いの種』です。

 奥方は、この最後の半分だけを二等分して分ければいい、とおっしゃいました」


「…………」


「結果、全部欲しかった女は、最初に得た五割と、争って分けた二割五分を合わせて、七割五分を。

 半分欲しかった女は、争って分けた二割五分を手に入れることになります」


 俺は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。    

 お初は「面白いお話」として語っている。

 

(……恐ろしい理屈だ)


 奪い合いを、切り分けてしまう。


 誰も口を出さない部分は先に決め、

 揉めているところだけを、残して均す。


 そうやって――

 言い争いそのものを、小さく削っていく。

 

(……この理屈は、使える)


 全部を主張する強欲な者に対しても、

 「お前が認めなかった分は先に渡したぞ」と既成事実を突きつけ、

 残りの半分についても「二人とも主張しているのだから分けるのが道理だ」と、

 反論の余地を奪っているのだ。


「……学んでいる気がしない、か。それが狙いなのだろうな」


 無理やり教え込まれた知識は反発を生む。

 だが、こうして娯楽のように与えられた「理屈」は、

 疑いもなくこの娘たちの血肉となり、生涯を縛る。    


 勘太は、この松前塾に集まった市井の娘たちの考え方を、

 自分でも気づかぬうちに、作り変えている。  

 

 十年後、彼女たちが商家の嫁や後継ぎとなった時、

 松前の商いは勘太が描いた「理」の網の中に完全に絡め取られているに違いない。


「……奥方は、他にも何か言っていたか?」


 俺が少し低い声で尋ねると、お初は首を傾げて思い出し笑いをした。


「ええ。『ただし、世の中の争いごとは、こんな風に簡単に片付くものではない。

 どんな理屈も通じない、感情に支配されて抗うものがいる。

 それを力で押さえつけるのが武士の役目です』――なんて。

 じゃあ、最初の理屈はなんだったの?って私、思わず笑ってしまいました」


 そういって笑う。


「……まったく、その通りだな」


 それでは結局力で脅して解決しているのと変わらないではないか。

 いや、違うな。

 理屈に従うものとそうでないものを識別するための理屈か。


 理屈を妄信しているわけではない。

 妙に現実的なところに勘太の思惑が透けて見えた。


「……守屋よりも、奥方の授業の方が面白そうだな」


「そうですか? 

 私は道広様が守屋先生と外でなされている、

 体を曲げたり伸ばしたりする、あちらも楽しそうだと思いますよ」

 

「そうか? あれは悪くはないが、今の時期だと汗だくになるからな。

 それにその格好ではな……おなごには向かんと思うぞ」

 「そうですね。はしたないと怒られてしまいます」


 そう言って笑うお初の横顔は、城の中でかしこまっていた小姓たちとはまるで違う、

 生き生きとしたものだった。


「何話してるの?」

「私も混ぜてください」

「私も私も!」


 お初と笑い合っていると、他の生徒たちが我も我もと寄ってきてしまった。


(悪くないな。うん、悪くない)


「道広様? どうかされましたか?」


 お初がことりと首をかしげ、俺に問いかける。

 その様子がなんとも可愛らしかった。


「いや、なんでもない。このように賑やかなのは初めてだな。少し戸惑っただけだ」


「そうですね。こんな風に堅苦しくないのが、ここのいいところだと思います」


「私もそう思います!」

「さすが道広様のお考えになった『学校』ですね」

「すごい、すごい!」


 やけに畳み掛けるように褒めてくる。


「いや、俺が考えたというか、俺は許可を出しただけで……」


「普通なら自分の御屋敷を私塾にしようなんて許可しませんよ」

「そうです。道広様は器が大きいです!」

「さすが、道広様!」


 ……もしかして、からかわれているのだろうか?


「なあ、もしかして俺をからかっているのか?」


 俺が疑いの目を向けると、皆露骨にパッと目を逸らした。  

 お初がわざとらしい溜息をつきながら注意する。


「みんな、悪ふざけが過ぎるわ。……申し訳ありません、道広様。みなの気持ちは本当なのです。

 ただ、覚えたばかりの『女子おなごの心得』を使ってみたくて仕方ないのです」

 

「女子の心得?」


「はい、殿方の気分を良くするための教えと言いますか……。

 これ以上はご勘弁ください。殿方に『心得』の中身を話してしまうのは、

 女子として最も恥ずかしいことですので」


「そ、そうか。わかった。いや、得心がいった。

 お前たちは褒め上手だな。……正直、すごくいい気分になった」


 俺が降参すると、少女たちはパッと顔を輝かせた。


「本当ですか? よかった!」


「まあ、これからはほどほどにしてくれ。あまりやられると困ってしまうからな」


「わかりました。みんな、わかった? やり過ぎは逆効果よ」


「う、うん。わかった!」

「いい塩梅にする!」

「やりすぎ注意!」


 この歳にして、早くも男を翻弄する術を学び始めているとは。  

 この女子たちの行く末が恐ろしかった。

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