第十三章 最後の約束
その日が来たのは、春だった。
湖畔の桜に似た薄桃色の花が咲き始めていた。
レオンは寝台から起き上がれなくなっていた。
八十四歳。
医師は、あと数日だろうと言った。
王国からも使者が来た。
国葬にしたいという。
レオンは断った。
「面倒だ」
それだけだった。
墓も町の小さな共同墓地でいい。
英雄廟などいらない。
「聖剣は?」
リュシアが尋ねた。
壁には、魔王を倒した聖剣が今も飾られている。
「王国に返せ」
「あなたのお墓に入れなくていいの?」
「次の勇者が使うかもしれない」
「魔王はもういないわよ」
「分からんぞ」
レオンが笑う。
「俺が転生したら、また魔王が出るかもな」
「やめてよ」
リュシアも笑った。
だが声が震えている。
夕方。
窓から差し込む橙色の光が寝室を満たした。
「なあ」
「何?」
「もし、生まれ変われたら」
「ええ」
「もし記憶が残ってたら」
「ええ」
「ここへ来る」
リュシアは夫の手を握った。
「待ってる」
「いや」
「え?」
「待つな」
リュシアが目を見開く。
「何で」
「俺が来る保証なんてない」
「でも」
「来世がある保証すらない」
「……」
「だから、待つな」
レオンはゆっくり息をする。
「生きろ」
「私は生きるわよ」
「俺がいなくても」
「嫌」
「子供みたいなこと言うな」
「嫌なものは嫌」
八百年以上生きるエルフが、泣きながら首を振っている。
「私だけ置いていくくせに」
「悪い」
「謝って済むと思ってるの?」
「思ってない」
「じゃあ帰ってきて」
「ああ」
「絶対よ」
「努力する」
「そこは絶対って言いなさい」
「転生に努力ってどうするんだろうな」
「知らないわよ」
二人は泣きながら笑った。
しばらくして。
レオンが言った。
「最初の言葉、決めとこう」
「最初の言葉?」
「もし俺が戻ってきたとして」
「ええ」
「俺だって証明しないと駄目だろ」
「顔が違うでしょうしね」
「何て言えばいい?」
リュシアは少し考えた。
「あなたが決めて」
「じゃあ」
レオンは窓の外を見た。
この家。
妻と何十年も暮らした家。
世界を救ったあと、帰る場所になった家。
「ただいま」
リュシアが目を閉じた。
「……うん」
「俺が『ただいま』って言う」
「そうしたら」
リュシアが泣きながら微笑んだ。
「私が『おかえり』って言うわ」
「決まりだ」
「ええ」
その夜。
レオンは眠った。
翌朝。
目を覚まさなかった。




