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愛さない事を誓いなさい。  作者: 鈴木べにこ


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9/32

5−2.

 夜になっても、雨は止まなかった。


 窓ガラスを叩く音が激しい。


 アネットは落ち着かないまま、自室を何度も歩き回っていた。



「・・・・・遅い。」



 北地区は屋敷から距離がある。


 しかもこの悪天候だ。


 心配しない方がおかしい。


 だが同時に、別の感情も胸の中に渦巻いていた。


 昼間の言葉。



『浅い感情論。』



 思い出すだけで胸が痛む。


 自分が未熟なのは分かっている。


 けれど、あんな言い方をしなくても良かったのに。


 その時だった。


 廊下が少し騒がしくなる。


 使用人達の声。足音。


 アネットは慌てて部屋を出た。


 エントランスへ向かう。


 そこにはびしょ濡れのイーサンが立っていた。



「旦那様!」



 アネットが駆け寄る。


 黒髪から雫が落ちる。


 礼服も泥で汚れていた。


 ロビンが後ろで深いため息を吐いている。



「だから申し上げたのです。この天候では危険だと。」


「問題なかった。」


「全身濡れている時点で問題大有りです。」



 ロビンの小言を聞き流しながら、イーサンは手袋を外した。


 そして短く言う。



「橋は補強する。」



 アネットが目を見開く。



「え・・・。」


「想定より傷んでた。」



 淡々とした口調だった。


 わざわざこの雨の中を確認しに行った理由は明白だった。


 きっかけはアネットだったからだ。


 アネットは胸が詰まる。



「・・・無茶しすぎです。」


「別に。」


「別にじゃありません!」



 思わず声が大きくなる。


 使用人達がびくりと肩を震わせた。


 ロビンが静かに周囲へ目配せする。



「皆、下がりなさい。」



 使用人達は慌てて散っていった。


 広いエントランスに三人だけが残る。


 アネットはイーサンを睨んだ。



「こんな雨の中怪我をしたらどうするんですか!風邪を引いたかも!」


「怪我などしない。風邪も引かん。」


「子供みたいな事言わないでください!」



 イーサンがわずかに眉をひそめる。



「何を怒ってる。」


「怒りますよ!」



 アネットは胸の奥がぐちゃぐちゃだった。


 昼間はあんなに冷たい言い方をしたくせに。


 なのに。


 自分の言葉をちゃんと聞いて。


 危険な雨の中、確認へ行って。


 そんな事をされたら、イーサンが余計に分からなくなる。



「旦那様はいつもそうです!」


「・・・は?」


「何考えてるのか全然分からないし、言葉も足りないし!」



 ロビンが少し目を見開く。


 アネットは止まらなかった。



「冷たい事ばっかり言うくせに、急にこういう事するから・・・!」



 声が震える。


 イーサンは黙ってアネットを見ていた。



「私はっ・・・!」



 そこで言葉が詰まった。


 泣きたくなんてなかった。


 なのに。


 昼間から我慢していた感情が一気に溢れる。



「・・・心配、するでしょう・・・。」



 ぽろり、と涙が落ちた。


 静寂。


 ロビンが息を呑む気配がした。


 アネット自身も驚いていた。


 また泣いてしまった。


 しかも今度はイーサンの前で。



「・・・見ないでくださいっ!」



 顔を隠そうとした瞬間。


 イーサンの手が伸びる。


 濡れた指先が、アネットの頬へ触れた。


 涙を拭うように。



「泣くな。」



 低い声だった。


 怒ってはいない、困ったような、戸惑ったような声音。


 アネットは余計に涙が出そうになった。



「誰のせいだと思ってるんですか・・・!」


「・・・悪かった。」



 その一言に、ロビンが目を見開いた。


 イーサンが素直に謝るのは珍しい。


 アネットも驚いていた。


 イーサンは静かに続ける。



「言い方が悪かった。」



 雨音だけが響く。


 アネットは唇を噛んだ。


 胸が苦しい。


 優しくされると困る。


 冷たいままの方が楽なのに。


 こんな風に歩み寄られると、期待してしまいそうになる。


 それが怖かった。



「・・・私はーー」



 アネットは震える声で言う。



「旦那様に認めてほしかったわけじゃありません。」


「ああ。」


「でも、少しくらい話を聞いてほしかった。」



 イーサンは何も言わなかった。


 ただ静かにアネットを見る。


 その青い瞳は、不思議なくらい真っ直ぐだった。



「・・・聞いてる。」



 短い声。


 それだけなのに。


 アネットの胸がまた熱くなる。


 ロビンは少し離れた場所で二人を見ていた。


 妙な気分だった。


 旦那様が誰かを慰める姿なんて、ほとんど見た事がない。


 しかも相手はアネットだ。


 イーサン本人は気づいていないだろう。


 だが、確実に変わり始めている。



「旦那様。」



 ロビンが静かに声をかける。



「そのままでは本当に風邪を引きます。」



 イーサンが小さく息を吐いた。



「・・・ああ。」



 そしてアネットへ視線を落とす。



「お前も冷える。部屋へ戻れ。」



 アネットは目元を拭いながら、小さく頷いた。



「・・・はい。」



 そのまま背を向ける。


 けれど去り際。


 不意にイーサンがぽつりと言った。



「お前の意見は、今後も聞く。」



 アネットが振り返る。


 イーサンはもうロビンへ次の指示を出していた。


 いつもの無愛想な伯爵へ戻っている。


 けれど、その言葉だけで胸の奥がじんわり熱くなった。


 雨はまだ降り続いていた。


 それなのに何故かアネットの心の中だけは、少しだけ温かかった。

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