4−2.
曲が終わると、会場から再び拍手が起こった。
「ありがとうございました、奥様。」
ロビンが丁寧に一礼する。
「こちらこそ。」
アネットも微笑み返した。
ロビンのダンスは本当に完璧だった。
無駄がなく、美しく、決して相手に不快感を与えない。
まるで彼自身みたいだ、とアネットは思う。
「奥様、少し休憩されますか?」
「ええ、そうするわ」
ロビンに促され、アネットは会場端のテラスへ向かった。
夜風が頬を撫でる。
火照った身体に心地よかった。
会場の中では、まだ音楽が続いている。
楽しそうな笑い声。
グラスの触れ合う音。
くるくると踊る貴族達。
アネットはぼんやりとその光景を眺めた。
その時だった。
「あなた、危ないですわ。」
隣のテラスから声が聞こえた。
若い夫人が笑いながら夫の胸を軽く叩く。
「そんなにワインを飲んだらまた倒れてしまいます!」
「心配しすぎだ。」
「心配くらいします!貴方が大事なんですもの!」
夫婦は顔を見合わせて笑った。
自然な空気だった。
無理をしている感じがない。
愛情が当たり前みたいに流れている。
アネットは静かに目を伏せた。
「(・・・綺麗。)」
そう思った。
同時に、遠い気持ちにもなる。
ああいう夫婦が、本当に存在するのだと。
脳裏に母の姿が浮かんだ。
『お父様はこういう女性がお好きだから』
鏡の前で必死に笑っていた母。
父の好みに合わせて髪を伸ばし。
好きでもない色のドレスを纏い。
愛される努力をし続けた人。
だが父は最後まで母を見なかった。
母は壊れていった。
笑顔のまま。
少しずつ。
少しずつ。
「私には・・・・無理ね。」
ぽつりと呟く。
自分には無理だ。
あんな風に誰かを愛して。
誰かに愛される事を願って。
一喜一憂する人生なんて。
怖すぎる。
愛情はきっと、綺麗なだけじゃない。
期待して、裏切られて、執着して、苦しくなる。
母みたいに。
だから自分には、今くらいの距離感が丁度いい。
契約結婚。
愛を求めない関係。
傷つかなくて済む。
そう思っている。
「何してる。」
低い声がした。
振り返るとイーサンが立っていた。
いつの間に来たのだろう。
「旦那様。」
「冷えるぞ。」
「少し風に当たりたくて。」
イーサンはアネットの隣へ立つ。
しばらく沈黙が流れた。
中から聞こえる音楽だけが遠い。
「疲れたか。」
「少しだけ。」
「なら帰るか。」
その言葉にアネットは少し驚いた。
「まだ途中ですよ?」
「十分顔は出した。」
イーサンらしい。
社交そのものは嫌いなのだろう。
アネットは思わず笑った。
「旦那様って本当に夜会が嫌いなんですね。」
「騒がしい。」
「ふふ。」
イーサンはちらりとアネットを見る。
「・・・何だ。」
「いえ。」
アネットは少し視線を逸らした。
本当に不思議だ。
最初は冷たい人だと思っていた。
けれど彼は必要以上に踏み込まない。
無理に優しくもしない。
だから楽だった。
期待しなくていい、期待されなくていい。
その距離感が心地いい。
「旦那様。」
「何だ。」
「契約結婚で良かったです。」
イーサンの眉がわずかに動く。
「・・・突然だな。」
「だって、私は恋愛結婚には向いてないので。」
アネットは小さく笑った。
「愛し合うとか、きっと出来ません。」
それは諦めに近い声だった。
イーサンは何も言わない。
ただ静かにアネットを見る。
「旦那様みたいに、最初から割り切ってくれる人で安心しました。」
「・・・そうか。」
短い返事。
それだけ、なのに。
何故か少しだけ、空気が重くなった気がした。
アネットは気づかない。
イーサンがほんの僅かに視線を伏せたことを。
その時。
「旦那様、奥様。」
ロビンがテラスへやって来た。
「そろそろお帰りの準備を。」
「ああ。」
イーサンが頷く。
ロビンは二人を見比べ、静かに言った。
「今夜は理想のご夫婦に見えました。」
「演技の成果かしら。」
「ええ、完璧でした。」
ロビンは淡々と返す。
だがその視線は一瞬だけアネットへ向いた。
どこか探るような目だった。
アネットは気づかない。
ロビンだけが見ていた。
先ほどアネットが、テラスで愛し合う夫婦を見つめていた表情を。
羨望でも憧れでもない、どこか諦めたような、寂しい目をしていたことロビンは見ていた。
「(奥様のあの目はいったいなんだったんでしょう?)」
馬車へ乗り込む。
帰り道は静かだった。
アネットは窓の外を眺める。
夜景が流れていく。
愛し合う夫婦、優しく笑い合う男女。
自分にはきっと無理だ。
そう思うのに。
何故か今夜、イーサンの手の温度だけが妙に忘れられなかった。
馬車が屋敷に着くと、先に降りたイーサンがアネットへ手を差し出してきた。
アネットはその手に手を置いた。
何故だかとても熱く感じたのだった。




